38話 灰塵の折
(しっかし、あの奴隷のガキ。今際の際が神聖魔法にまでなってんだよな…………世界から憐憫の眼差しを向けられてたのは確実──…つうか、実際術式習得しかけてたっけか。やっぱ殺しといて正解だよなぁ…………アネッテの馬鹿は、可哀想だの助けようだの味方にしようだのなんだのかんだのガタガタブツブツ文句言ってやがったが、金切り声しか出さねえレベルでオツムがブチ壊れた奴をどうやって仲間にすんだ。リエルと違って術者本人でもねえんだから“精神術式”も効かねえってのに)
五指を広げ、奏でる。
「地を這う甌穴。炎環の深淵」
世界がどのようにして成り立っているのかを知ってしまった。
その時の彼の衝撃は、どれ程のものだっただろう?
「愉悦の哄笑。悲哀の炎熱。夜半を焼くは紅蓮の奴隷」
世界に於いて、己がどのような立場なのかを知ってしまった。
その時の彼の絶望は、どれ程のものだっただろう?
「崩壊を望む喪失者に、亡者の慈悲なる一撃を──!!」
世界のその他の人間は、それすら知らないと知ってしまった。
その時の彼の憤怒は、どれ程のものだっただろう?
憐れな少年の生きた証を、呪文としてここに示す。
(生きてるだけで幸せなんて、あのガキの前なら口が裂けても言えねえわな)
再び、大地に気泡が浮かぶ。
「…………『灰塵の折』」
掌から炎が迸った。
炭化など生温い。
大地を舐めるように進むそれは、容赦無く敵を消し飛ばす。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
力が漲る。
この圧倒的な充足感。
自身が全能であるかとすら思える程の、強い昂りを感じる。
今ならば、人生一つを使い辛うじて手に入るか入らないかという術式──それを三つ所持し操るリンプファー・キィトスや、嘗てその規格外のリンプファーをすら圧倒したイグニエイト・ルヴェリオリでさえ対等に戦えるとすら。
しかしこれはただの錯覚。
そう、諸刃の剣なのだ。これに呑み込まれてしまえば、二度と戻っては来れないだろう。
少なくとも、皆が知っているアネッテ・ヘーグバリとしては──
(──ッぐ…………痛うッ!!!)
肉体への痛みではない。これは精神を食い破り、魂を侵食する痛み。『少し痛い』などとリエルは言っていただろうか。
(あの子、こんな痛みを感じながら、顔色一つ変えないの……!?)
この役目を押し付けていた己に三度自責の念を抱きそうになるが、今はそれよりもやるべき事がある。
(『感受する』×90 『埋もれを抉れ』×75 『九天の目』×93 『蛇蝎の裂け目×40!!!』)
探知・探査のスキルを強引に多重発動。更に複製した精神を強制的に用いて管理・把握する。地下深く、地底海の魔物達すら意識下に置いたアネッテに対し、最早背後を取る程度の不意打ちは通用しない。
ティーダとジュニアも辛うじて渡り合っているらしい。其方にも助力は必要ないだろう。
障壁を解除し、アネッテは大きく息を吸い込んだ。
ここで──
「『三確』×20 『空独』×15 『我圧』×40 『虚力』×20 『衰果』×72 『閻狼』×30 『煌后』×15 『楔根』×20 『硝回』×30 『砂魔』×40──!!!」
基本色数こそ千に満たない魔術であるが、この数は包囲の一角などでは収まらない。包囲そのものを消し飛ばす連撃。
内数発はそれだけに留まらず、精霊王へ向けて牙を剥いた。
「………………」
厳密に言えば彼等、精霊に死という概念は無い。
それ故にだろうか。消し飛ばされる様を見ながらも、さして気にした素振りも無く精霊王が手を翳す。すると再び精霊が召集──否、生み出される。
アネッテの魔術の威力を見誤っていたのだろう。精霊魔法によって相殺し切れなかった魔術が、精霊本体を撃ち抜いた。
「まったく……損な役回りだ」
黒衣の男は短剣を仕舞い、代わりに警棒らしき物を懐から取り出す。
(あの棒切れ、どこかで見たような? ううん。それよりも──)
如何にその力を増そうとも、この場で記憶を探るほどの余裕は無い。そこまでは驕れない。
アネッテは先程発動した膨大な探知・探査に加え、拡張された思考領域で以て、敵の動きを把握する。
(──見える!!!)
黒衣の男は、強く地面を踏み込もうと予備動作に入った。
(──遅い!!!)
精霊王は後衛に徹する腹積りか。その場から動かずに精霊を生み出し続ける。
無謀にも此方に飛び込もうとしている愚か者にカウンターを合わせようと、アネッテは拳を強く握りしめる。すると同時、探査と探知に反応があった。
「────ッ!!!」
クレセントが二体、此方へ向けて跳躍して来るのを察知。
身構えるアネッテ。
………………
…………
……
(………………うん?)
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
ジュニアはクレセントを睨み付ける。
この敵には物質的な攻撃は意味を成さない。
世に遍く全ての物質は、これに触れた瞬間に強制的に“昇華”される。
大地を踏み締めていることから、やはり足裏に対する土壌による攻撃も有効かと思いかけるが、敵は衣類を身に付けている。気化対象を自在に設定出来るのだとすれば、それは無謀な挑戦というものだろう。
そもそもが召喚付与式自動小銃を弾くような手合いでもある。不意を突き、靴底(に恐らく仕込まれているであろう装甲)を貫きつつ、そこから敵の常識外な体表硬度を突破するのは現実的では無い。
そこで選ばれた呪文。
基本色数七百『光輪』。その性能は──
ガァァンッ!!!
「んっ……!!!」
──電撃。それも、この至近距離で敵のみを撃ち抜く程に正確な。
数瞬、僅かにクレセントの動きが止まる。
(“術式”にはビビったが、やっぱ機械だな!! それに電気は昇華出来ねえだろ!!!)
対するジュニアは受け身を取り、即座に体勢を立て直す。
「『水神の福音』!!」
傷が瞬く間に完治する。もう一撃を加えるべきかと逡巡するジュニアだったが……
(ティーダ!!)
ティーダの戦況を確認すると、どうやらほぼ同じタイミングで同じ魔術を放っていたらしい。しかし敵と接触していた所為か、自身も少なからず被害を受けているようだった。
(やっぱアイツも被弾防止用魔具落としてやがったか!!!)
とは言え、被弾防止用魔具の有効範囲は(召喚物・スキルの性質にも依るが)基本色数五百程度が限界である。特に薬品類と電撃には抵抗が弱く、身に付けていたとて、気休めが精々ではあっただろう。
一足飛びに距離を詰め、ティーダを抱え敵と引き離す。
「………………!!! お前…………!!」
凄惨。
絶句。
「ジュ……ニ──か。ふっ…………」
その有り様は凄惨の一言に尽きた。腹には穴が穿たれ、そこからはドス黒い血と肉片と黒炭がボロボロと溢れ落ちる。
「喋るな! 治癒が遅くなんだろうがッ!!」
挙げ句の果てには全身に重度の熱傷及び裂傷。吸血鬼の肉体とは便利なもので徐々に回復が始まってはいたが、それでも腹部は直視に堪えない。電気が流れ込んだと思しき腹部の穴は、見窄らしく炭化していた。
「『水神の福音』!!!」
中位治癒呪文により炭が剥がれ落ち、その下から瑞々しい肌が顔を覗かせる。
「ゴポッ…………うぁ゛ぁ゛……効くなぁ……」
内臓も損傷していたのだろう。ティーダが血の塊を吐き出しながらも、減らず口を叩く。
「完治したか?」
「気色悪ぃ。さっさと降ろせ。それと青い髪似合ってねえんだよ変えろ」
「この野郎……」
未だ背を向けたままであったクレセントに再び向き直りつつ、ティーダを放り投げた。
「うおっと!!」