36話 精神術式の本領
《いくら距離とったからっつったって、あのレベルの魔術ぶっ放したら流石にアイツ等も巻き込むぞ。止めとけや。つーか、そこまでやって精霊散らしてもアイツ等直ぐに戻って来るだろうが》
アークの手引によって想定外に加入したクトゥローを始めとしたクラフター組ならばいざ知らず、リンプファーにとってティーダとジュニアはしっかりと最終戦に向けた戦力の一つとして勘定されていた。もっとも、変えが効かない唯一無二という程の物では無いが……
(……仮にリンプファーならどうする?)
《俺の立場なら“空間術式”で背後取ってから斬圧殺するか外界に叩き出すか、物量には物量で魔武具大量召喚して磨り潰すか……後は野となれ山となれ。強引に包囲突破してからステゴロの肉弾戦か──》
前半二つはリンプファーの固有技能であるが故に模倣は不可能。最後の一つの肉弾戦については先程からリンプファーが推してはいるのだが、生憎リスクが高過ぎる。
……そもそも、アネッテは実戦は言わずもがな、近接戦闘の訓練ですら長い間行っていない。それも数年・数十年といった常識的な年数ではなく、数千年の長いスパンでの話である。
「もっと早く決意するべきであった」と悔やむも、後悔は先に立たない。兎にも角にも一瞬の間だけでも次撃への猶予を得るべく、アネッテは“精神術式”で以て精霊達の動きを封じにかかる。
(“精神術式”を使う!!!)
足に力を込めつつ、包囲の一角に向けて放った“精神術式”。先程は支配権を奪取するまではいかないにせよ、動きを制限・または散らす程度の効果を発揮して見せた。
ドォッ!!!
同時、アネッテは対象とした一角に向けて突進する。
未だ四方八方から集中砲火を受けている身の上であるが、精霊の壁さえ突破すれば、攻撃の方向は大きく限定される…………という狙いがあったのだが──
《可能な限りは減衰する。足止めんなよ》
疑問符を浮かべるアネッテだったが、答えは即座に見えた。
(は?)
よりにもよって真正面から。“精神術式”を放った筈の一角から精霊魔法が飛来する。
《惚けるなッ!!!》
(──ッ!!!)
岩石に金属片に電撃に液体に粉塵に熱撃に砂礫に……
「『白亜の神域』!!!」
《!!!!》
半透明の障壁がアネッテの周囲に展開される。
《『白亜の神域』か。わざわざコレを選んだのは──いや、何でもねぇや。で? どうすんだ? いくら俺でも、障壁解除した瞬間に減衰も防御も追い付かずに蜂の巣だぞこりゃあ》
神聖魔法によって作られた障壁に、全方位からの精霊魔法群が間断無く叩き付けられる。
神聖魔法は世界の記憶にアクセスし、幾ばくかの魔力を対価に奇跡を引き摺り出す。その性質上、呪文内容は過去に起きた歴史の転換点・戦争・個人間の戦いを元にした物になり、しばしば歴史家達の議論の的となる。
今回発動された神聖魔法『白亜の神域』は、カテゴリ内では中位の防御系として知られる。心中詠唱により呪文は省略されたが、その内容はリンプファー最大の敵、イグニエイトとの激戦。幾千幾万のループによる挑戦の果てに、漸く乗り越えた確率の壁。その瞬間であった。
……もっとも、アネッテはそんな事にはまるで気が付いていなかったが
《リエルなら、障壁張らずに正面に攻撃ぶっ放して相殺して、減衰頼みで突撃してたかね。まあ、包囲突破したところで、また囲まれるのがオチ…………いや、そもそもアイツなら、包囲なんてされないだろうけどよ》
(………………)
《さっき、あの黒服が言ってやがった『その気になれば間断無く永続的に発動可能』ってので、全部の精霊を撃ち落とすなりしてたかもな。残念ながらオメーは保って数秒で、永続的には出来ないんだったか》
「リエルなら」──アネッテはその言葉に歯噛みする。
そもそもリエルとアネッテは、戦闘面に於いて同じだけのスペックを有している筈なのだ。
それが、今はどうだ。狂愛によって心のタガが外れているというのもあるが、研鑽を怠らなかったリエルに、遥かに長い年月を生きたアネッテが大きく水をあけられている。
本来なら、己こそが研鑽を重ね、リエルを牽引しなければならなかったのに。
《そうだな。もっと言やあ、そんなんだからお前はイカれポンチの愚弟を止められなかったわけだ。そう考えりゃ、あの狂気はリエルに通ずるモンがあんのか? 血は争えねえとはよく言ったもんだ。なあ?》
発破を掛けるつもりもあるのだろうが、前世で弟分が死んだ要因への恨み言の側面がやや強いか。最悪の場合はリンプファーに体を明け渡し突破してもらおうかとも考えていたが、その案は即座に消し飛んだ。
リエルなら。そう、リエルなら問題無く対処するだろう。
《相手は間断無く攻撃を畳み掛ける。テルミッド・ラインみたいなヤツだな。これと互角にやり合えないようだと……》
彼女なら、物量には物量で対応出来る。遣り方は……ああ、何と言っていただろうか?
《…………》
いよいよ障壁が軋み声を上げる。「焦るな」と己に言い聞かせるが、この状況ではそうもいかない。
《落ち着け。もっかい障壁を重ね掛けする時間も考えりゃあ、まだまだ数分は安全だ。冷静に“精神術式”で記憶を探れ。そうすりゃ直ぐに思い出す》
(……分かった)
そうだ。確か──
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
嘗てアネッテはケルベム糸を巧みに操るリエルに訊ねたことがあった。
『──…“精神術式”を使って、無理矢理自分の精神を劣化複製して、それから計算領域を拡張するんです。そうすれば糸を使う時に不規則な風にも対応出来ますし、リンプファーの力も借りれば、もっと凄い速さで魔術やスキルを使えますから、そこで上手く操るんです。ただ──』
ただ?
『──複製した精神が、此方の主導権を奪おうとしてきますから、少し痛いんです。“精神術式”で応戦はしますけど、それでもなかなか無痛とは……』
もし、もしも主導権を奪われたら?
『私の人格が消えた後、私に似た何かが代わりに体を動かすだけです』
魂の単位から、自分が自分じゃなくなるってこと? それは、死ぬよりも怖い事みたいに聞こえるんだけど……
『?? 大丈夫ですよ? 劣化した私でも、リョウさんへの気持ちは変わらないですから』
…………そっか。本当に、リョウが全てなんだね。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「“精神術式”を使う!!!」
己の精神に干渉──成功。
《おおおおお!?》
アネッテの精神世界の急激な広がりに、リンプファーは素っ頓狂な声を上げる。
己の精神を複製──成功。
《この障壁は保ってあと数瞬だ。重ね掛けすんならまだ間に合うぞ》
(大丈夫!!)
間も無く障壁は破壊される。
《来るぞ!!!》
アネッテは大きく息を吸い込み、破壊されるより先に障壁を解除する。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「おおおおお!?」
アネッテの精神世界に居座っていたリンプファーは驚きの声を上げる。
(あの安い挑発でコレか。安直な奴め)
アネッテの精神世界はリョウとは異なり、深い山中の様相を呈している。穏やかで心安らぐ世界……なのだが、今はその世界が急激な変容を見せていた。
(精神世界の急激な拡張。リエルがやってるやつだな。ただ……)
それに、アネッテの未熟な精神が耐えられるのか。
(“空間術式”を起動する)
通常の方法では辿り着けない精神世界の果てに立つ。その精神世界の端から延びたコピー世界は、生みの親である世界とは似ても似つかぬ、荒涼とした荒れ地であった。唐突に変化する情景には、流石のリンプファーも苦笑する。
(……マ○クラのバイオームかよオメーは)