8話 神様の粋な演出
自分が誰なのか分からない。名前すら思い出せない事を伝え、数秒の逡巡の後。
「……事情は分かりました。他に怪我は無いようですし、先ずは地上まで案内しますね。私の後に付いてきてください」
否はない。こんな危険な暗闇に居続けるなど、真っ平御免である。
バ神の話を聞いてからにすべきだろうかとも思うが、まさに死にそうになっていた先程の状況でも何も手を打たない男である。一々指示を仰ぐこともないだろう。そもそも、奴が何処にいるのかも分からないのだから。
「何から何まで、ありがとうございます。しかし、『地上』ということは、地下だったんですね……てっきり──」
(いや……それとも、彼女が助けに来る事も織り込み済み。バ神様の思し召しって事か?)
「この暗さですからね……でも、本当に無事で良かったです。非公式ですが、装備を整えた小隊が複数未帰還になるような場所ですから」
思わず、顔が引き攣る。
………なんという場所に放り出してくれるのだろうか、アイツは。
「わざわざ、そんな場所に僕を置き去りにする意味が分かりませんね……」
「その事ですが、こちらで調査します。ここは地図に載せていない禁足地ですし、ただの愉快犯と切り捨てられる事案ではありません」
そんな場所を、身一つで歩いている貴方は何者なのかと聞いてみたかったが、あまり踏み込んだ話題を振る事は憚られる。どこでボロが出るか分からないのだ。
(それにしても……)
先程から彼女は、地図も持っていないというのに迷う事なく道を進んでいる。
目印でもあるのかと観察してみるが、それらしいものも見当たらない。
天井を見上げてみれば、異常な数のパイプが走っているのが確認できる。これに素人が分からないような特徴があったりするのだろうか。
刹那。
ドォォォォン………
先程歩いてきた方向から、何やら大きな音が響く。間延びした音の割に音量が小さかった事から、遥か後方なのだと分かる。
「リエルさん。今の音「気にしなくても大丈夫ですよ」
(……やけに食い気味?? ……けど、まあ、大丈夫ならどうでもいいか。それより外に出たら何するか……何すりゃいいんだ?)
《彼女が案内してくれる筈だ。安心してついていけ》
(おぉ、分かった)
………………………
「うおおおおおおっ!?」
「!? どうしました!?」
《落ち着け。右袖見てみろ》
言われるがまま右手首を見てみると、そこには……
『リョウ・キサラギ』の刺繍が入っていた。
《ナイスなフォローだろ? 感謝してくれていいんだぜ》
『状況に応じて指示を出す』とは、こういう事だったのかと理解する。が──
(恩着せんなボケ。事前に教えておいてくれりゃあ、驚く事もなかっただろうが)
「…リョウ・キサラギだそうです」
「名前ですね。ではリョウさんと呼ばせてもらいます。戸籍検索はしてみますが、自由民の方の場合は網羅出来ていないので、やはり身元は分からないかもしれません」
《ああ、勿論、俺の声はお前にしか聞こえないからな。安心しろ》
他にも何か仕込まれているのではないかと、身に付けている服を見聞するリョウ。
THE 村人Aと呼ぶにふさわしい布の服には、特に不審な点は無いようだった。右袖に『リョウ・キサラギ』と銘打たれている点を除けば、だが。
歩みを再開する。
《いやあ、ファーストネーム呼びか。好感度高そうで良かったじゃねぇか。んん?》
(そういう文化なんだと思ったんだけどな。違うのか?)
《文化は日本と対して変わらない。そういう風になってる》
(??)
どことなく違和感を感じる口振りだが、今気にする事もないだろうと、会話を再開する。
(フレンドリーに接してくれてるだけだろ。……正直嬉しいけどな)
《ハハッ! 正直だなおい。 俺の手伝いさえしてくれれば何をしたって自由だからな。せいぜい、頑張って口説き落としてくれ》
(あのな……まあいいか。ってか、そもそも俺は何すりゃいいんだよ)
《その都度指示と助言はする。大体はなり行きで乗り切れるから気負う事は──っと! そういえば忘れてたか》
ポンッ! と小気味良い音と共に、目の前に半透明のヒモが現れた。
ピンク色のその紐は、半透明ではあるのだ、どこか光沢を感じさせる。
(なんだこりゃ。引いたらタライでも降ってくんのか?)
《いや待て兄弟。お前は俺をなんだと思ってんだ?》
(危険生物に襲われそうな場面でもだんまりを貫く、血も涙も無い邪神じゃねえの?)
「そこ、床板が割れているので気をつけてください」
「おっと! 気付きませんでした。有難うございます」
バカとの会話に夢中で、足元の注意が疎かになっていた。
(というか、こっちの足元まで見てくれてるとか天使かよ。こんな優しい子と結婚してえな……)
《……話戻すから帰ってこい。でだ、可能な限り使って欲しくはないんだが、そのヒモを引くと、俺に対する情報の一切が遮断される》
(あー……もうちょい分かりやすく頼む)
《俺が何も見えなくなるし、何も聞こえなくなる》
(へええ!)
ぐいっ。
《オイ》
リエルに付き従い、歩く・歩く・歩く。
《少しは躊躇えよ兄弟! 暇になるだろうがッ!!》
覗き魔が喧しい。
《俺がお前を依代にしてる関係上、ある程度視界が同期してんだよ。でもそれはマズイだろ? 便所だの情事だのの観点で問題有りだろ? その為に用意してやったってのに、どうせ覗きの変態とでも思ってんだろ! ばーかばーか!》
まさかのニアピン賞である。しかし、このまま放置してもかえって喧しくなるだけだろう。
(確か…こう…念じて、こうか?)
ポンッ! と小気味良い音と共に、再び目の前に半透明のヒモが現れた。
ぐいっ。
《お? おぉ。これでいいこれでいい。必要な時以外はなるべく遮断しないようにしてくれよ兄弟。危険な状況で助言出来なくなるからな》
(何度も言わせんな。その危険な状況ってやつについさっき遭遇したんだけどよ。助言もクソも無かっただろうが)
《待て待て兄弟。半歩前を歩いてるお前好みの女性がいるだろ? 彼女との繋がりを作るための演出だよ演出》