30話 精霊はここに
しかし“精神術式”の使い手であるアネッテとリエルは自らの精神に強固なプロテクトを掛けているため、それはあくまで理論上の話に過ぎない。そして“術式”とは、言わば魔術の極地である。完全下位に属するスキルや精霊・神聖魔法如きでは、プロテクトを破壊するどころか、触れる事さえ叶わない。
「全て、アークに指示された通りの台詞回し。この会話の流れすら、奴の運命値調整の上と云うことだ。大まかな世界の動きの調整ですら四苦八苦している無能共とは次元が違う」
《ふああ〜ぁ……ソッスネ……》
画面から流れて来るアーク信奉者の戯言を、欠伸をしながら流し聞くリンプファー。
《ハイハイ成る程な。アークの入れ知恵か。凄い凄い……》
既に制御・把握を放棄したというのに、つい習慣による癖で出してしまっていた各観測地点の運命値を示す画面を脇に押しやり、胡座などかきながらアネッテの視界を注視した。
──ザザザッ
《ああ?》
(どうしたの?)
《…………いや、なんでもねぇ》
先程脇に押し退けた画面に一瞬ノイズが走ったかと思えば、見慣れぬフォントの文字列が浮かび上がった。
──そう、私の入れ知恵だ。私の意図を正確に汲んでくれたようでなにより──
《チッ……どうやってんのか欠片も分かんねぇな》
アークの此方を舐め切った態度に加え、どのような手段を用いて収集データに干渉しているのかすら理解出来ない現状も相まって、リンプファーは思わず舌打ちを漏らした。
「………………」
「さっきから黙りを決め込んでいるお前には、この言葉が効くと言っていたな」
仮面越しでも分かる程の喜色を浮かべながら、男は続けて口を開く。
「『お前達が数万年間、蝶よ花よと愛でているリョウ・キサラギを殺しでもすれば、あの女も多少は人間らしくなるだろうか』、と」
それ以上は無いとばかりに、アネッテは五指を広げて叫ぶ。
同時に、男は何やら精霊へ向け言葉を紡いだ。しかし──
「そうか。これが──」
周囲に待機していた精霊達は、アネッテの“精神術式”を受け散り散りに離反した。
そしてそれはつまり、精霊魔法による身体強化すら解除されたということを意味する。
精霊には、希薄ではあるが意思がある。存在理由がある。活動に必要なエネルギーがある。
魔力を対価とし僅かばかりの力を借りる精霊魔法だが、力の供給元である精霊の意思に干渉されてしまえば術者は案山子も同然。
これがアネッテにとって精霊魔法がカモたる所以である。もっとも、アネッテとリエルからすれば“術式”を持たない全ての知的生命体がカモも同義なのだが。
「『静蓋』!!!」
刹那。基本色数一千万の『静蓋』により、秒速四十二kmという馬鹿げた速度を付加された無数の鉱物が召喚される。音の壁に留まらず熱の壁をも容易く突破しているそれらは、断熱圧縮により周囲に閃光と衝撃波を振り撒きながら進撃する。
ゴォッ!!!!
一般的な術者が放った魔術であれば、発動の数瞬前に魔術の仔細を知り、それに応じたカウンター・防御・回避行動を取る事が出来る。
しかし、アネッテ及びリエルは“術式”を介して魔術を発動している。その特殊過ぎる発動手順・性質により、魔術の仔細どころか発動の前兆を察知する事すら困難である。
今回の一撃は分かりやすく五指を広げて差し向けていたため後者の価値は示せなかったものの、反応速度を跳ね上げる身体強化の精霊すら離反した、ただの真人間に視認出来る魔術では無い。まして対応など以ての外。
念の為にと同時発動された防御術が、アネッテを包み込む。
莫大な衝撃と轟音が場を支配し──
………………
…………
……
余波に巻き込まれるアネッテではない。髪束一つも揺らさず、前を見詰める。
倒すべき己の──否、二人の敵を。
「リエル・レイス程では無いが、敵と決めれば容赦が無い。いや、アークの言を借りれば『その程度には成長した』か。これも言っていた通りだ」
男はなんのことはないと、軽く廊下に立つように薄らと炭化した大地に直立していた。先程と変わらず、無数の精霊に魔力を渡してアイドリング状態で周囲に侍らせている。
(物理的な衝撃が打ち消された…………それに、精霊は全部が全部待機じゃない。いくつかのは発動してる。身体強化に熱耐性に……)
「魔力の流れは見えなかったけど、どうやって発動したのかな。しかも、あの一瞬にも満たない間に」
たとえ、常識範囲内において最強の身体強化魔術である『銀濤』をその身に纏おうと、あの距離で放たれたアネッテの『静蓋』を無傷で回避し切るのは難しい。
第一、魔力の流れを感じ取れなかったというのに精霊魔法を再度発動、及び待機状態にしているとはどうしたことか。
「どの口が言う。だが、実際に目にすると…………アークに聞いてはいたが、やはり理不尽極まるな。二つの“術式”とリンプファーの叡智で全ての魔術・魔法・スキルを魔力の消費無く瞬時に、予兆の無い完全な不意打ちとして、その気になれば間断無く永続的に発動可能か。これは補佐官以上の連中もそうだが、基本色数一千万の魔術の余波をゼロ距離、単身で、リスク無く、魔武具に頼らず減衰し切るなど、世の魔術士が知れば血涙を流すぞ」
「コイツは自分の手で叩き潰す」と決意を固めたアネッテは、召喚付与式自動小銃を背中に回し、三一八小隊御用達の拳のみを覆う特別製のナックルを装備する。
「答える気が無いなら結構だよ。殺してからゆっくり解剖するなりして調べるし。……アークの居場所を調べるついでにね!!!」
ダンッ!!!
強烈な踏み込みによりアネッテが懐に飛び込むと同時、“精神術式”によって再び男の周囲に待機していた精霊が四散する。
キキュッ!!
足裏に展開した障壁が甲高い音を立てた。
「…………ふん」
「!?!?」
しかし男が退屈そうに鼻を鳴らすと、アネッテによる支配を振り切った精霊が再度招集される。彼我の境に立ち塞がるように集められた精霊達は、今まさに拳を突き出そうとするアネッテに向け、在らん限りの力で以て魔法を放たんとする。気配と精霊の色から察するに「火炎」「岩石」「雷撃」「水系統に属する何らかの液体」だろうか。
(嘘!? “精神術式”を振り切るなんて出来るわけ──)
《驚く前にさっさと回避しろ!!!》
痛覚をオフにし減衰をしながら攻撃をしようかと逡巡するも、吹き飛ぶように真横へ回避行動を取るアネッテ。なにせ“精神術式”に耐性を持つトンデモ精霊である。どんな隠された能力が有るか知れたものでは無い。
数瞬遅れ、その場を精霊魔法が打ち据えた。
(──!!!)
雷撃によるものか、はたまた液体によるものか。着弾地点からは白煙が立ち昇っている。
《得体の知れない敵と戦う時は?》
(回避に徹して様子を見る?)
《正解だ。分かってんならそうしろ》
「一の魔力を充填し招来。精霊はここに」
男と距離を取り安全を得るも束の間、さらに無数の精霊が集まり、遠巻きにアネッテを囲う。
(一の魔力で集まる数じゃ無い!!!)
《“精神術式”が効かねえってのも考えると……》
(まさか、コイツも“精神術式”を!?)
《有り得ねえ。何か別の“術式”だ》
「人間一人殺すのに、大規模な威力は必要無い」
男が軽く振る腕に合わせ、四方八方から精霊魔法が飛来する。
「くっ!!」
リエル・レイスのケルベム純正糸程では無いにせよ長物を扱う魔術士や、ある特定のスキル等の例外はあるものの、基本的に術の発動は術者の体が起点となる。しかし──