29話 喪失者の襲撃
「リンプファー!? これって!」
《この状況を作ったのはアークだ。ならまあ、何かしらの手は打つだろうよ》
「この馬鹿は何事も無くトリトトリに辿り着けると本気で考えていたのか」「『ヒューさん』の件が無かろうが、壁外を単身で彷徨えばアークに襲撃もされるだろう」と、リンプファーは呆れながら考える。
「敵なんてどこにも」
《前ぽ──つっても、もう既に後方か。鈍り切ったお前の危機意識と探知が、危機察知に特化してるとは言え運転手にも劣っていた。それだけの事だろ?》
アネッテ以外の者には見えていた。距離こそあるものの、道路の中央で此方に敵意を持って短剣を構える、黒衣の実力者の姿が。
《見たことない奴だな。新顔か。アークの奴、何人囲ってやがる》
「────!! 『天空の瞳』!!」
『九天の目』と並ぶ、最高位探査スキルを発動するアネッテ。ズームイン・アウトこそ出来ないものの、大規模戦闘の際にも用いられるその探査範囲は『九天の目』を大きく凌ぐ。しかしそれは──
《そりゃ悪手だ。今直ぐ──》
距離が距離であるため、魔力を察知出来なかったのも要因だったのだろう。
《今直ぐ脱出しろ!》
此方の逃げの一手を見た男は、既に魔術を放っている。
「『銀濤』を──!!」
しかし、リンプファーは考える。
敵が本気でアネッテを害そうと考えるならば、こんな中途半端な手段を取るだろうか、と。
「これ、精霊魔法!?」
「キンッキンッキンッキンッ」と破断される防御機構が甲高い音を立てながら、車体が縦に切断され行く。
この攻撃にしてもそうだ。車体ごとアネッテを切り捨てれば良いものを、わざわざ狙いをズラして車体のみを、それも順序立てて切断している。
「パカリ」と冗談のような音を奏でながら、車体が左右に裁断された。上を見れば、透き通るような青空が顔を見せている。
《今回、減衰は俺がやっといてやる。前回は碌に出来なかったんだろ?》
「ありがとう!!」
両脇の茂みに身を潜めるでも無く、正々堂々と道の真ん中で待ち構えて居たというのも違和感が有る。
《んー……》
アネッテは車外──と言っても既にその境界は曖昧であったが、兎にも角にも舗装道へと転がり出る。
《五百年前。直前までアークが持ってた極大の運命値が、アイツが宣言した瞬間に極大からゼロになってたんだよなぁ……っと!! アネッテ、運転手は退避させとけ。カシュナにも救援要請を出させんな》
(どうして?)
敵が単独であるのもそうだ。運命値調整の関係で、先の戦いでの仲間を動かせない可能性は高いが、それならば運命値を持たないかの如く振る舞えるアーク本人が参戦しなければおかしい。
《アイツを引き寄せる罠だからだ。リエルには俺から言っとく。ま、俺が居るんだ。負けは無えよ》
アネッテの指示により、運転手は裁断された車体の残骸を支給型倉庫に仕舞った後、何処かへと走り去った。
「命令しといてアレだけど、本当に逡巡無く行っちゃったね」
《油断すんなボケ》
呆れから、内心でため息を吐く。リンプファーが己に憑いていることに加え、敵の攻撃はアネッテにとっては対処が容易い精霊魔法。怪我も無く五体満足で敵の攻撃を凌ぎ切った(とアネッテは思っている)ため、彼女には悪い意味で余裕が生まれていた。
リンプファーはアネッテの視界を覗きながら考える。
(恐らく……アークの狙いはアネッテの強化。最終局面に向けて、それなりに強く仕上げる腹積りか。ただ、それなら俺と利害は一致している。ああ、今はお前の案に乗ってやるよ。最後に笑うのは兄弟だがな!!)
アネッテが敵を直接視界に捉えた。
背丈と体格はリョウと同程度だろうか。仮面で顔は窺えないものの、纏う雰囲気や髪を搔き上げる仕草からは男性的な印象を強く受ける。
「随分と、精霊に好かれてるんだね」
男は自身の周囲に多数の精霊を侍らせている。
「………………」
返答は無い。
既に彼等に対価として魔力を支払っているのだろう。いつでも攻撃出来るという無言の圧力に、アネッテは肌が僅かに泡立つような感覚を覚えた。
(いや、ひとつだけ発動してる奴がある)
さらに言えば“精神術式”による術者本人に対する干渉も弾かれる。選ばれた者のみに許された究極の一手たる“術式”。それを易々と対策して退けられる現実には、やや嫌気がさす。
しかし、アネッテは余裕の態度を崩さない。
(ああ、身体強化まで精霊魔法に頼ってるんだ。ということはスキルも召喚術も使えない……? 都合は良いけど……)
精霊魔法など、アネッテからすれば最も与し易い……言うなればカモである。
アネッテは気取られぬように「仕込み」を行う。
男が口を開く。
「今は仮面を着けているが、『偽装』は使っていない。俺の、この声に、覚えは無いか」
確かに。嘗て戦った『黒剣』やアークのように、低くくぐもった声では無い。しかし──
「無いかなっ! ごめん!!」
………………
…………
……
沈黙が場を支配した。
《えぇ〜…………》
こういったアネッテの人を食ったような物言いは、あくまでその役割を演じているだけであり、地の性格はしっかりと別に有る。
(何か拙かった?)
《いや、すまん。一応聞いとくけどよ。お前も聞き覚え無えんだよな?》
(無いよ)
《オーケー。会話を続けてくれ》
その役割には運命値調整の他に、友人を喪失したリエルを元気付ける意味もあったため「一度でも演じると決めたのなら、心中でもそのロールプレイを全うしろ」と叱責したこともあった。その言葉に従えば、確かに今の返答は正しいのだろうが……
「成る程……本当に、アークから聞いていた通りだ」
短いながらも、男の返答からは僅かな怒気が感じられた。
「ごめんなさい」
「………………」
こういった場面での謝罪は悪手である。アネッテは、無意識の内に火に油を注いだ。
リンプファーもこの男の声に聞き覚えなど無い。しかし、それでも、この仕打ちには憐憫の情を抱かずにはいられなかった。
《もうなんか相手が可哀想だからさっさと戦え》
(分かった)
何かしらの確執や因縁があるであろう男の言葉を遮るには(思い入れもクソも無い手合いとは言え)あまりにあんまりな言葉だろうと、リンプファーは画面を見つつ不憫に思った。
袖口から召喚付与式自動小銃を取り出しながら告げるアネッテ。
「誰かの敵討ちなんだろうけど、殺した人間なんて一々覚えて無いんだよね」
「………………っは」
それを聞いた男の息遣いこそ分からなかったが、僅かな体の動きを見るに、どうやら鼻で嗤ったのだと理解する。
「……涙を流して、殺した人間の名前を呟きながら夜を過ごしていた女が、よくもまあそこまで成長したな」
「!!!!!」
《挑発だ。乗るな》
アネッテがリンプファーと行動を共にし始めた頃、如何にリエルとリョウのためとは言え、その業の深さに泣きながら過ごした夜もあった。
《初期の初期の話だ。年数の問題じゃ無え。別世界の話だ。コイツがそれを知ってる訳が無えだろうが。冷静になれ》
「本当に、そう思うか? なあ、リンプファー・キィトス」
《………………!!!》
リンプファーは声を上げる際、アネッテの心に直接語りかける。つまり『読心』等のスキルを用いて思考を読めば、リンプファーの言葉を拾い取る事は理論上可能ではある。
《…………アークはまだしも、お前はどんなイカれた手品使ってやがる》