26話 無益な時間②
「ピシリ」と空気の色が変わる。
忠誠心──否、アークに対して信仰にも近い感情の塊であるノルンは、会話の内容にこそ理解が及ばなかったが、セラがアークを挑発しているという点のみに於いては理解出来た。
ノルンはセラを強く睨む。
教授は白衣の懐に片手を入れながら玉葱を満喫している。
エルはしーたんの背中を摩りながら戸惑っている。
「えぇーと……お三方さーん? ちょっとー?」
言うべきかと僅かな逡巡の後、セラが口を開いた。
「アンタの奥「止めろ」
セラの夫であるカルグドが珍しく語気を強め、あろうことか怒りの表情など滲ませながら言葉の続きを遮った。
アークは、僅かに指先を動かす。
「アンタ……」
ノルンにミックスジュースを差し出しながらカルグドは告げる。臆病者であるこの男は自身が尻に敷かれているということも相まって、本来ならばセラに意見する事すら珍しいのだが……
「アークの旦那が優しいからって調子に乗り過ぎだ。セラ。謝れ」
「………………分かってるよ」
言われずともそのつもりであった。
非戦闘員であるカルグドには分からなかったのだが、いつの間にかセラの首元に虚空から針が突き立てられている。薄肌一枚を貫くのみで体内に届いてはいないが、それは決してセラによる抵抗の結果では無い。「その気になればいつでも殺せる」という警告故に、敢えてその程度で留められているだけであった。
(この針もきっと、お得意のトンデモ効果持ちの魔武具なんだろうね。オマケに何やら心臓の動きもおかしい。何をされてるのかも分からないくらいの力量差かい……)
さらに言えば指一本動かせない。魔力の流れを感知出来なかった点から鑑みるに“術式”を使われたのは間違い無いだろう。どのような“術式”でどのように拘束されているのかは定かではないが。
──パンッ! パンッ!!!
「はいはいはいはい! その辺にしとこうかっ!」
魔術的な干渉では無いが、エルが軽く手を打ち鳴らすとセラに対する拘束が解かれた。
「セラは言って良い事と悪い事が──って言うか私よりも長い付き合いなんだから、その話は地雷だって分かってたでしょ?」
「ああ、そうだね。悪かったよアーク」
エルは「うんうん」と瞳を閉じながら満足気に頷くと、次いでアークに向かい直り「ビシリ」と指を突き付けた。
「そんでもって、アークも!!」
アークは僅かに肩を竦める。
「今度は私に矛先か?」
「そりゃそうでしょ。しーたんに厳しくするのはまだ納得──…は無理として理解は出来るけど、セラにあそこまでしなくても良かったんじゃない?」
アークを除いて誰も気付いてはいなかったが、直ぐにでも防御を展開出来るよう精霊を待機状態にしていた教授は、懐に突っ込んでいた手を抜き出し再び皿に添える。
アークは口元を僅かに緩ませた。
「懐かしい。まるでアネッテ・ヘーグバリと話しているかと錯覚する。もっとも、貴様は奴程感情的にはならないのだろうが」
「ん。リエルが絡んだら素が出るけど、あの子も上手に真似してるよねー……って、誤魔化さないでよ」
「あ、あのっ!!」
「どしたの? しーたん。っていうかもう大丈夫なの?」
カルグドは妻の一大事を乗り越えたと胸を撫で下ろし、セラはやれやれと肩を竦めるとグラス磨きを再開する。ノルンは溜飲が下がったのだろう、ミックスジュースに夢中になっているフリをしながらも、アークの過去が気になるのか熱心に聞き耳を立てて居た。
「アーク様が私を疎んでおられる理由は存じ上げませんが、よろしければ──」
「説明をするつもりも無ければ謝罪も不要だ。各々其々が信念に基づき足掻き、苦しんだ結果に過ぎん。そこには善も悪も罪も業も罰も無い」
皆が皆己の正義に従い、逃げ・殺し・罵り・奪い・壊し・そして、覚醒させた。
止められる立場にあったものの、それを止める事無く傍観に徹したのは他ならぬアークである。止めを刺したこの女に対し思う所はあったが、必要な手順であると放置した手前、筋違いであると理屈の上では理解している。
「んー……と言うか、そろそろアークも全部話しちゃった方が良いんじゃないの? こんなに懐いてるノルンもだけど、皆ここにきて何も知らないってのも可哀想だしさ」
「全部聞いてるのはアタイとエルとカルグドだけだったかい。もうそろそろケリも付くんだし、頃合いだと思うけどねぇ」
「それについては私も興味があるな。アーク君の真の目的、強さの秘密、仮面を着ける理由……聞きたい事は山程ある。もっとも、助けて貰った上に便利な体にまでしてくれたんだ。無理強いはしないがね」
エルとセラの会話に、珍しいことに教授までもが参入した。
「少なくとも今この場では無い。そうだな…………ダイタスが合流すれば全員に全てを話しても良いだろう」
その言葉に、セラとエルが色めき立つ。
「またアレが聞けるのかい。楽しみだねぇ」
「私もちょっと楽しみかも。皆の反応とか場の空気とか諸々込みで」
「「???」」
何も知らないノルンとしーたんは首を傾げている。すると──
ぐぅぅぅぅぅぅ…………
──エルの腹の虫が盛大に声を上げた。
「……エル。アンタ、女捨て過ぎなんじゃないかい? 旦那が泣くよ?」
「エル姉……」
「………………」
「ガツガツガツ……」
興味を失ったのか、教授は再び玉葱に没頭する。
「エ、エルさんらしくて可愛いと思いますっ」
「生理現象でしょ! 責めないで!! ちょっとカルグド! 今無性にお腹が空いててシーフード的な料理が欲しい食べたい頂戴お願いっ!」
「何で韻を踏んでんだいアンタは」
「寝坊して朝御飯を食べなかったからですよね……? 余った分は自分が朝食として食べたので無駄にはならなかったですけど、作る側の人間の気持ちも考えて欲しいです」
「だって眠かったし」
「……………………そうですか」
「お前の作った朝飯は惰眠にも劣る」とも取れる言を突き付けられたカルグドの瞳が、ほんの僅かに細められる。
「それなら……丁度新しい食材が入ってますし、調理しましょうか?」
カルグドが支給型倉庫から手を抜き出すと、掌大の巻貝が握られていた。
カルグドの怒気を敏感に感じ取ったノルンが、やや急ぎ気味にミックスジュースを飲み干した。
「おっ! 何か分かんないけど大っきくて美味しそうだねー。ソレが新しい食材!?」
「カルグド。それは地底海……この世界の生物では無いな?」
「はい。地底海でクレセントさん達が拾って来たんですよ。自分も調べたんですが毒は無いみたいですし」
「何やら集まっていると思えば、奴等そんな事をしていたか」
ぐじゅるっ!!
「「え?」」
素っ頓狂な声を上げたのはノルンとしーたんだった。
シャシャシャシャ……
「「「「………………」」」」
貝の口から、ヤドカリとも蜘蛛とも取れる奇怪な無数の脚が「ワキワキワシャワシャ」と顔を出す。
黄色と黒の横縞模様の脚々が粘り気のある液体を滴らせながら蠢く様は、有り体に言って気色が悪い。
じゅぼっ!!!
多量の粘液を撒き散らしながら、ソレは瞬時に貝の中に舞い戻った。余程の粘度があったらしく、空中に粘液の糸が無数に漂っている。
「……見た目には難があるんですけど、濃い目の味付けなら食べても大丈夫かな。と」
「ちょっとー……その貝殻食べた方がマシなレベルなん…………て言うかその口振りってまさか、カルグドも試食して無い感じのやつ!?」
顔を青く染め絶句するしーたんを横目に、思わず不平の声を挙げるエル。しかしそれも当然だろう。まるで知られていない事だが地底海はダンジョンによって異世界と繋がっており、そこから多種多様な生物が流入して来ている。この貝もその一種であった。