25話 無益な時間
(補佐官って、結構偉い人なんだよな?)
《結構なんてもんじゃねえよ。一番上にカシュナ。二番目に魔導士。その次に補佐官達だ。魔導士が直接動くよりも補佐官が出張る事のが多いし、兵士からの印象も強いぞ》
となると、やはりおかしい。
(ほー。やっぱそうか)
そこまで高位の人物が、わざわざ注意喚起などのために各部屋を回るだろうか? 部下や寮の職員を使うのが正解ではないのか?
「もっと広い方が良いだろう」
「狭い方が体が密着しま「だから! 恥ずかしいから後にしろって!! 三人共気まずそうにしてんだろ!?」
卑猥な会議を繰り広げる二人を黙らせた後、再び思考の海に潜る。
ドアをノックしながらの高圧的な名乗り上げやその後の行動からから察するに、カラドロスは上官であるリエルとカシュナがここに居る事を知らなかった。だとすると、彼女は二人に報告に来た訳では無く別の理由で来訪した……
(つまり──)
一歩ずつ着実に真実へと近付くリョウ。
リンプファーは固唾を呑む。
(──つまり俺は犯人だと疑われてた訳だ。そりゃー殺人があった日に一番豪華な部屋にいきなり入居すりゃあ気になるわな。んで、その疑いは晴れ……いや、完全に払拭するために敢えてカシュナもリエルも、部下の前ではしゃいでるのかも知れねえ)
《なるほど》
確実に真実から遠ざかって行くリョウ。
リンプファーは胸をなで下ろす。
「で? まだ何か用が有るのか?」
やいのやいのと話し合って居たカシュナだが、いよいよ痺れを切らせた。だがそれも当然だろう。部屋の隅には、夕食の乗せられたテーブルが置かれたままなのだから。
「先程時間を止めはしたが、いつまでも放置しておくのは気分が悪い。その程度の頭も回らないとは幻滅だ。特に……カラドロスだったか? お前の失態は全てそのままリエルの恥になると知れ」
さらにリエルも追撃? をする。
「カラドロスさん。今夜も、その、私は、リョウさんの女になりますから…………なので、ええと、暫く留守にします」
これに諦観ともとれる表情を浮かべたカラドロス達は、謝罪と一礼の後に部屋を去った。のだが──
「カシュナ。やっぱり浴室をもっと広くして浴槽そのものを大きくしましょう」
「壁をブチ抜いて支柱を付ければいけるかも知れないが強度が──」
「ケルベム鋼を使えば──」
「妥協はしない──」
(腹減った)
食材に恐怖こそあるものの、リョウは素直にそう思った。
《風呂入るならしっかり『紐』引いとけよ。兄弟の情事とか見る趣味無えし、兄弟の女の裸を見る趣味はもっと無えからな》
(…………ウッス)
「島だ。島を作るぞ」
「す、凄いです! その発想はありませんでした」
「それも水場だ。幾らでも応用が利くぞ……」
──二人の悪巧みは終わる気配を見せるどころか、邪魔者が居なくなったとばかりに大きな盛り上がりを見せていた。
《今までの世界じゃ産まれたこと無えけど、子供が楽しみだなー!!!》
(……? 何か、フラッシュバックした時に娘が居た記憶を見た気がすんだけど)
《あれ娘じゃ無えから気のせいだ! 楽しみだな!!!》
欠片ほどの悪意も無い純粋な言葉に、然しものリョウも力無く応じた。
(もうどうにでもなれ)
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
遡る事少し前。
とある場所のとある空間。世界からも、運命値の呪縛からも隔絶された白塗りの世界。
神秘的とも取れるその場には、何故か古びた軽食屋が建てられていた。
「私の前で傷を見せたのはいつ以来か。手酷くやられたな。ノルン」
数百年前から変わらぬ指定席に座りながら、アークはノルンに語りかける。
アークは作戦行動中では無い為か『偽装』こそそのままだが、顔全体を覆う仮面による変装は行わず、顔の上半分のみを覆うドミノマスクを着用するに留めていた。もっとも、視界を確保する為の穴さえ塞ぎ、文字通り顔面の上半分を完全に覆っているそれをドミノマスクと呼ぶべきかについては疑問符が付くが。
「…………申し訳ありません」
「手酷くやられた」とはいうものの、ノルンの負った手傷は軽い擦り傷程度。既に──もっと言えば戦闘中に完治している。
「あんまり虐めてやるもんじゃないよ、アーク。敵さんだって、中々の強さだったじゃないさ? アタイが戦った連中でも雑兵扱いだってんだから、その隊長と斬り結んだノルンは大したモンだと思うけどね」
相も変わらずグラスを磨きながら窘めるのはセラだ。横に立つ店主のカルグドはノルンお気に入りのミックスジュースを作るために様々な果汁を調理台に並べていた。
彼等とて人間である。カシュナやリエルなどは想像も出来ないだろうが、殺戮一辺倒では無い穏やかな時間、価値を見いだせない無益な時間……そういったものも確かに存在していた。
「そうそう!! ねちねち面倒臭い姑じゃないんだからさっ。アークのそーゆーとこ良くないなー………………あ、『しーたん』口開けて。それに、ノルンも収穫はあったんでしょ?」
「収穫なんて無いよエル姉。ただ決着がつかなかっただけで」
ノルンから「エル姉」と呼ばれる女性は大量のサクランボがプリントされたアロハシャツを着崩しながら腰に黒剣を帯刀しており、最高にセンスが悪い。そんな彼女は横で車椅子に腰掛けた女性の口にプリンを運び、介助をしてやりながら茶化すように口を挟んだ。
「そんなこと言ってー。ちゃんと思い出してごらんー?」
同じテーブルでは、白衣を纏った男性──『教授』と名乗る男が無言でオムライスを口内に掻き込んでいる。「ジャキジャキ」と小気味良い咀嚼音が響くそれは、ライスの代わりに生の玉葱の微塵切りを卵で包んだ「オムオニオン」とでも呼ぶべき代物である。
「ところでアーク。イナハトラの旦那は、一人で行かせて大丈夫なのかい」
「運命値の調整の観点でも、奴一人でなければならない。念の為クレセントを二人護衛に付けている。奴等に気取られないよう超遠距離での待機にはなるが、万が一も無いだろう」
「なら安心だね」
「思い出す? エル姉、それって一体……」
「ノルンさん。きっとアーク様はノルンさんに゛ぃっ────…ぐぅっ!! …………ゴホッ! ゴホッ!!!」
「ちょっ……ちょっと、しーたんってば大丈夫!?」
エルが車椅子に座る女性──『しーたん』の背中を押し、前屈みの姿勢を取らせながら咳をさせる。誤嚥への対処としては順当だろう。
「ふむ……やはりまだ新しい体は馴染まないか。こればかりは本人の慣れでしか「アークゥゥゥゥ!!! しーたんの咳が止まんないよぉぉぉぉぉぉ!!!」……喧しい女だ」
「こふっ……ひゅー……こふっ……」
「しーたんしっかり!!! 旦那様が待ってるよ!!!」
人体構造に於いて最大の欠陥とも揶揄される気管と食道の配置関係だが、アークが下手に手を加えずにオリジナルを忠実に再現していた点が仇となった。
「ごふっ……ゲホッ……!!」
「エル! “術式”で咽せてる原因取っ払えば済むだろ!! さっさとやんな!!」
「そっか! ──術式を捧ぐ!!」
エルがしーたんの体内に両腕を突き刺すと、先程までの咳き込みがピタリと止んだ。
「ひゅっ、ひゅー……ひゅー……はっ──…はっ──…」
「そのままでも死にはしない。痛みも苦しみも訓練の一環になる。エルも過剰に手出しをするな」
コーヒーを嗜みながら吐き捨てるアークに対し、セラが噛み付く。
「アーク…………随分とその子に冷たいじゃないさ?」
「世界から言い渡された日は近い。車椅子での再会では先方から文句も出るだろう。それまでに仕上げる必要がある」
「それだけかい?」
「何が言いたい」