20話 補佐官筆頭の仕事
キィトス国軍第十一軍団補佐官、カラドロスは不機嫌そうに返事をした。相手は準補佐官のホムサック。蛇蝎の如く──同じ空間にすら居たく無いとはリエルの言だが、それ程までに男性を嫌うリエル・レイスがその才能を評価し準補佐官にまで引き上げた唯一の男性である。
(面倒な)
緊急の報告など、碌でも無い案件に決まっている。よりにもよって隊長が不在の今、己に裁量が委ねられるとは。
(……とは言え)
カラドロスは目の前で虚ろな瞳で一心に業務に勤しむ者達を一瞥する。無駄な動きは一切無い。無駄口など以ての外。カラドロスが無言である今、ただカタカタとキーボードを叩く音と書類を捲る音のみがフロアを支配していた。
第十一軍団にはこの優秀な“人形”達が居る。通常業務に追われながらの仕事では無いだけ、他の隊よりは恵まれている。この事実に冷静になったカラドロスは、適当な準補佐官辺りを送り、此方は悠々と座りながら適宜指示を出していけば良いかと思案した。
『士官学校にて、殺人が発生しました』
「チッ。どこの馬鹿だ。面倒な事を……」
魔王直轄地の士官学校での殺人。半端者を派遣などしようものならば、即座に不敬と首を撥ねられる。さらに言えば捜査に少しでもまごついた場合、第十一軍の名声が地に落ちることとなる。軍団長であるリエルが不在の今、それらの責は全てカラドロスが負わなければならない。どう考えても補佐官以上……つまり己が現場に出なければならない案件であった。
「現場の状況は?」
『学生寮付近の研究棟の屋上にて人間の挽肉の山と細切れの衣類を発見、即座に通報。近隣に居た二三七小隊を取り急ぎ向かわせましたが──…只今丁度彼等から状況報告が入りました。『死因の魔術・凶器・何故この場に居たのかすら把握不可。慰留品から辛うじて身元のみ判明。上位の隊員による助力を求む』…………どうやら梃子摺っているようです』
「チッ! 使えんゴミ共が。サイネージへ連絡は?」
『未だです。先ずは筆頭のカラドロス様へお知らせするべきかと』
「ふん。当然だな。で? 殺されたのは一般生徒か?」
『そのようです。外部及び教職員でも『王の学徒』でもありません』
ゴミなどと言う下劣な言葉を臆面も無く言い放つカラドロスと、躊躇い無く同意するホムサック。
「……私は支度をした後にタオラニカの場所へ向かう。お前は他の準補佐官に仕事を引き継ぎ、サイネージへ報告を上げてから私に合流しろ」
見た目や仕草こそ少女のそれだが、あくまで老化を止められているだけであってタオラニカは良い歳である。そんな彼女をカラドロスは、それこそ蛇蝎の如く嫌っていた。
『二三七小隊が現在待機中ですが』
「タオラニカの部屋で合流だ。奴等、最低限の仕事すらしていなかったら全員揃えて叩きのめしてやる」
……ちなみに、カラドロスとタオラニカの年齢はさして変わらない。さらに言えばリエルは二人とは比べ物にならない程に年上である。それに一々突っ込みを入れていては命が幾つあっても足りないが。
『リエル様へのご報告は──』
「止めろ。死にたいのならお前一人で勝手に死ね。私を巻き込むな」
何があっても連絡をするなとの命令である。そして命令は絶対。違えば階級に関係無く、死よりも恐ろしい責め苦を味わう事になる。得体の知れない魔術で数百年間暗闇に閉じ込められた者・「飼い主」の命令を聞くだけの生き物に変えられた者・数十頭の豚に輪姦された末に廃人となった者・自分で自分の首を斬り落とし詫びた者……カラドロスは屍と化した仲間達を横目に、なんとかここまでのし上がって来たのだ。
『っ……! 申し訳ございません。見当違いでした』
「第一にリエル様の命令、第二に私の命令、第三にサイネージの命令……その伽藍堂の頭の中に詰め込むのはそれだけで良い。忘れるな」
軽い身のこなしで椅子から跳ね立つと、大きく開かれた制服の胸元を喉元まで締め直す。そして──
「聞け!!!」
「ざざっ!」と音でもしそうな俊敏さで、フロア内の人間達がカラドロスに注目──否、その黒く濁った瞳は何も映してはいないが、兎に角顔を向けた。
「お前達はそのまま三十時間作業を続けろ。分かったか?」
先程の俊敏さはどこへやら、皆「かくかく」とブリキ人形のように頭を上げ下げし、業務へと舞い戻った。
次いでカラドロスは引き出しから指輪を取り出し、指に通した。一定以上の兵士に一律で支給される『支給型倉庫』だが、公私に渡って便利過ぎる代物故にこれを任務の度に嵌め直す者は珍しい。準補佐官以上で見てもカラドロスくらいのものだろう。
「おい」
「??」
ガァンッ!!
「…………」
歩く道すがら“人形”の頭を戯れに殴り付けるも、一瞬だけカラドロスを見た後に碌な反応を返さず虚ろな眼差しで書類に判を押し続けるのみ。期待したような反応が見られず怒りが募る。
「ふん……」
部屋の隅に敷かれている転移譲渡型魔具に触れ、登録された行き先を選別する。膨大な数が現存している為に有り難みは薄いが、これも現在の技術では再現不可能な歴とした『リンプファーの落とし子』である。ちなみに、魔具に登録された人間以外は触れたところで使用出来ない。このセキュリティの複雑さも、現在の技術では再現不可能な点であった。
(……気にした事も無かったが、士官学校も転移先に登録されていたのか。これは行幸だ)
転移先に障害物が無い事を確認する。視界が一瞬だけ暗転し、気付けば校内の一角に突っ立って居た。
(ここは……士官学校のエントランスか?)
別段珍しくも無いのだろう。通りすがりにチラチラと「カラドロス様だ」と視線を向けられるのみで、特に騒ぎにもならない。
(この間接照明、転移譲渡型魔具だったのか。在学している頃からあった筈だが、私は気付かなかったな)
カラドロスはどんな任務でも認識を阻害するヴェールを着用しない。カードの色が金色になってから補佐官に就任する迄は「いつの日か魔導士になった時のために」と着用を欠かさなかった。しかし──
(アポは無いが、いくらタオラニカでも第十一軍団のお偉いさんが来る事くらいは承知しているだろう)
──ことここに至った際に漸く理解した。あれは異常者の集まりだと。魔導士とは努力して成るものではなく、成るべき才を持つ者が自然と収まる座なのだと。
そう理解した直後、カラドロスはリエルから補佐官筆頭へと引き立てられた。
(ふん……)
タオラニカの(居るであろう)部屋の前まで辿り着く。
気の立っているカラドロスは普段のリエルに倣って『衝打』でドアを吹き飛ばして入室しようかと思案するも、流石に思い止まった。
「──! …──!!」
「…………。……─」
(何だ? 何を騒いでいる?)
魔術的にか、はたまた建築的技術の賜物か、諍う声の内容が聞き取れず怪訝な表情を浮かべていると、一人でにドアが開かれた。
「カラドロス様! 我々の力が及ばぬばかりに申し訳ございません!! この度はご助力に感謝致します!!」
「二三七小隊か」
「ハッ!!」
四人組の男達が後ろ腰に前腕部を交差させる。キィトス軍式の敬礼である。
「ですからタオラニカ殿!! どう責任を取られるのか聞いているのです!!」
「何度も言っていますが、責任を持って今回の事態の収拾に当たるつもりです」
「そこまで校長の地位に固執しますか!!!」
「どの口がそれを(ぺこり)言うんですか……」
タオラニカは男四人に詰め寄られている。途中カラドロスに気付いて軽く頭を下げたが、耳まで赤く染めながら群がる男達は一瞥どころかそれに気付きもしない。