18話 階下の生徒
掛けられていた厚手の布諸共、嵌め込まれたガラスが煌めく粒子状に分解消滅する。廊下との境界が曖昧になるものの角部屋であることが幸いし、人通りは無かった。
次いでカシュナは新たな壁を創り出し──
「おぉー」
「リョウさん。聞いてますか?」
「悪い悪い」
カシュナの魔法に夢中になっていたリョウにリエルがムッとした顔を向ける。怒った顔も可愛らしい。
懲りずに壁をチラリと見ると、既に改築は完了していた。
「要は見栄の張り合いで生まれた部屋ということだ」
「おう。理解はした」
「もう……」
「んで? これからの予定はどうなってる?」
「予定……予定か。夕食を取って寝るくらいだが……」
「ところでカシュナ、仕事の方は大丈夫ですか?」
「在庫の方は問題無い。諸々の裁定は──…一番新しい奴でも五十年以上働いているんだ。上手くやるだろう」
「在庫? 何か売ってんのか?」
魔王の身の上でありながら、製造業に携わってでもいるのだろうか?
「ふむ。どこから話したものか……リョウ。今日一日だけでもお前はこの国で色々な物を目にしてきたきただろう」
「おう」
聳える摩天楼の群れ。文化的な生活水準。舗装され尽くした道。今思えば、人口の割には空気も澄んでいたような気がする。
「それらの素材は全て私が製造・販売している」
「おう?」
翻訳の不具合だろうか。言っている意味がよく分からない。
「全て?」
「ええと、ざっと言いますね……厳密にはケルベムを除いて鉄塊・銅塊のような純金属、つまり原料としての販売です。二十度一気圧のこれを民間の業者がトン単位で買い取って加工・販売をしています。木材や海水や石炭や石油や液化ガスや工業・装飾用のダイヤモンドを始めとした宝石まで、全てカシュナが創っているんですよ」
《つまり、何をするにもカシュナに金が集中するっつー構造だあな。支配者としちゃあ、これ程やり易い体制は無えだろうよ》
「純ケルベムは私含めて誰にも加工出来ないからな。いや、私はやろうと思えば出来るが面倒な……まあいい、リエルが今言った通り、私自身が注文された形で創る他に手が無い」
「待て、でも、魔術で作った物は直ぐに消えるんじゃなかったか?」
「私が使うのは魔術じゃない。いや、まぁ戦闘やら私生活やらだと魔術を使わないことも無いが、大体は術式を使うな」
「!! そうだ。そうだった。“創造術式”だ。カシュナの十八番で、余計な詠唱も無く召び出せて、確か創った物が消えないんだったよな?」
各世界の記憶の入り混じったリョウにとって、教えてくれたのはリンプファーだったかアネッテだったか、はたまた別ループの記憶の残滓なのか定かでは無い。だが、そのような認識が確かに頭の中にあった。
《…………》
「……………………そうだ。リョウ。“創造術式”で創った物は転送されずに残る。よく知っているな」
「どっかで聞いたんだよ。どこで誰から聞いたのかはイマイチ思い出せねえんだけど」
「リョウさん。術式については保持者以外には存在が秘匿されているので、その、あまり大きな声では……」
「ん、そうなのか。気を付けるよ」
それについては、以前リンプファーから強く釘を刺されている。
「リエル。下の連中は?」
「大丈夫です。終わりました」
(おお? ってことはアレか? リエルも何かしらの術式を使えるってことか?)
《……まぁな》
リンプファー曰く術式の会得には相当の鍛錬か、或いは運と世界からの同情が必要らしい。世界全体でも使い手は十人程度だとも。
《ところで兄弟》
(ん?)
カシュナかリエル……或いは両人共に、世界から同情されるような悲劇の過去があったりするのだろうかとリョウは夢想する。人格を破壊しかねない程の悲劇だと言っていたため、二人のこの様子を見るにまず有り得ないだろうが。
《記憶喪失キャラが知ってる情報じゃ無くね?》
(あっ……)
《うわっちゃー。リョウ君! アウトー!!!》
アネッテのような言葉遣いに突っ込む気力も無く、冷や汗がダラダラと流れ出る。
(どどどどどどどどどうしよう!?)
《GAME OVER…》
(使えねぇ!!)
妙な言動の後に顔を白黒させながら俯くリョウを見て「また倒れるのではないか」と心配したカシュナが漫画のようにコミカルに慌てだす。
対してリエルは冷静にリョウの汗を拭いながら優しく微笑んでいた。ただし冷静に見えて「慌ててるリョウさんも可愛くて素敵……」などと考え胸の奥をキュンとさせながら、であったが。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
──この僅かに数分前。
キィトス軍士官学校学生寮四階西側の角部屋。4-70号室。
「……外の奴等は?」
「分からない。多分、拘束された」
利発そうな男が、愚鈍そうな男に問いかけていた。
………………
二人の間に、気まずい沈黙が流れる。
「なあ、ヒューさんの指示とは言え、幾らなんでもやり過ぎじゃないのか? 魔導士リエルに魔王様って……外の奴等が捕まったんなら、俺達も危な「じゃあ、大恩あるあの人の頼みを断るってのか?」
そうではない。そうではないが……命あっての物種だろうとその目は語る。
恩人からの願い……確かにそれもあるだろう。しかし、男には別の理由もあった。
(リエル様が騙されているなんて……許せねえ!!)
彼等の支援者である「ヒュー」が言っていたのだ。「リエル・レイスが悪い男に騙されている」と。
信仰の有無に関わらず、その容姿と聖女と言う肩書きからリエルを恋慕う者は多い。冷静に考えれば最高司法機関の長たる者がそう簡単に騙されるわけが無いのだが。
「なぁに。魔王様は苛烈な方だが、リエル様は慈悲深いアルケー教の聖女だ。きっと許して下さる。そもそもバレないように『偽装』も使ってるだろ。大丈夫だ。黙って探知を続けろ」
「な、なあ……でも……」
利発そうな男の頭に『カッ!』と血が上る。恩知らずの為にわざわざ猫撫で声であやしてやったと言うのに、未だにこの男は臆病風に吹かれているのだ。
「おい! そろそろ良い加減に──」
「ち、違う! 違うぅ!! 囲まれてる!!!」
「何?」
男二人。片や探査と片や探知の二段構えの見張りであったが、視界のみに頼る探査では分からなかった。探知を使っていた愚鈍そうな男だけが気付けたのだ。
「糸が……部屋中に……!!!」
自分達が、既に囲まれていることを。
「チッ──!!」
上階へ向けた探査を切り、探知へ切り替えた男は現状を理解する。
(部屋一面に目視出来ないような細い糸!! ブチ破って脱出を……いや、先ず罠と材質の確認は──舐めやがって、『偽装』を使う必要すら無えって判断か。『鑑定』!!!)
『鑑定』。『偽装』で隠蔽されていない対象の素材・仕組み・役割等を判別するスキルである。脱出の糸口を探るべく放たれた『鑑定』であったが、それによりもたらされた情報は絶望的な物だった。
(ケ、ケルベムの純正糸だとぉっ……!!)
磐石な基盤を持つ者が莫大な金額を積んで初めて魔王カシュナへの受注権を得、さらに膨大な金額を前金として渡してようやく入手出来るという純正ケルベム品。
(何処か脱出口は!?)
僅かな隙間でもと期待して叩き付けられる在らん限りの探知も、人一人通る隙間も無いという結果を示すのみ。横からはバチャバチャと嫌な水音が響くが、全ては思案の外である。
(ケルベム鋼はどう足掻いても引き千切れない!! 何か手は──)
ゴキュッ!
床にほんの小さな孔が開けられる音が響くが、そんな些事にかまけている暇は無い。
「おい! いっその事、壁を破壊──」
いつまでも茫然自失として居る相方を思い出した男は横を振り向き、そして絶叫した。