17話 ヴァードギン
二人に連れられ窓口に歩を進めると、受付の女性が立ち上がり恭しく此方に一礼した後、オフィス中央の席に座って居た初老の男性に席を譲った。
「ふん。管理職──いや、場所から察するに寮長という奴か?」
「……私達が誰なのか、リョウさんとの関係も含めてタオラニカさんから連絡が行ったみたいです」
「お得意の読心か。そうだ、下らんおべっかを聞く時間も惜しい。奴には一切口を開かせずにリエ──全てお前があの男の心中を代弁してしまえ。口ではなく手だけを動かせろ」
「いえ、それが中々優秀な方のようで」
「あん?」
そうこうしている内に受付に辿り着くと、モノクルを掛けた初老の男性が柔かな表情を浮かべながら軽く一礼し声を発した。
椅子は一つしかないが、カシュナに座るよう促され、リョウはそのようにする。
「ようこそ初めまして。私は寮長のヴァードギンだ。話は学長から聞いているよ」
寮長のヴァードギンはリエルとカシュナに目もくれず、リョウにのみ語り掛ける。
「…………」
「ほう?」
リエルは興味無く立ち……ながらもリョウをしっかりと視界に捉え続け、カシュナは感心したような声を上げた。
《カシュナとリエルだって知っててこの対応ってのは中々の胆力だな。理屈としちゃ正解ではあるけどよ》
これは不遜や反意では勿論無い。
ヴェールを被っているとなれば、リエルとカシュナは高貴な身分でありながらもそれを隠したいということ。ならば余計なリアクションは悪手。礼節は付き添いの両親等と同様に軽い座礼に留め、無駄に椅子も用意せずこのようにリョウのみへの応対に専心するのがベストである。もっとも、相手が魔王と魔導士・そしてその好い人だと知っていてこれが出来るような胆力を持つ者は限られるだろうが。
「さて」
「ガサリ」と音を立て、何やら重そうな紙袋がカウンターの上に置かれた。
「紙袋に梱包されていて分からないと思うが、これは必要な教材一式だ。板書用のノートも何冊か付けてあるが、ただの在庫処分だ。ちょっとしたオマケだと思ってくれ」
「有難う御座い──あっ」
横から「ぬるり」とリエルの手が伸びて来たと思った瞬間には、それは「するり」と魔法のように彼女の袖口に吸い込まれていった。
《いや、実際に魔法だからコレ》
「入学に必要な諸々の書類だが、この時間から書くのも面倒だろう。それは此方で整えておく」
「有難う御座います」
座ったまま、リョウは軽く頭を下げた。
「それと事務方の余り物で申し訳ないが、軽い筆記用具も用意させてもらった。急な入学だと買い揃えるのも面倒だろう? 遠慮無く使うと良い」
「お心遣いありがとうございます」
ヴァードギンが机の下から十五センチ四方の黒塗りの箱を引っ張り出すと、それがそのままリョウの前に置かれた。
カパッ
開けてみるとボールペンのセットだ。なのだが──……
「「「…………」」」
実用一辺倒の安物ではない豪奢な細工が施されており、素材は何なのだろうか? 少なくともプラスチック製では無い。そしてどう見ても事務方の余り物でも無い。
僅かな沈黙の後、それは蓋を閉ざされリエルの袖口へと収納される。
「…………」
ヴァードギンの頬を伝う冷や汗が視界に映る。なるほど板書用のノートやら諸々の書類やら筆記用具やら、所謂媚びというやつなのだろう。
「それと制服だが、生産会社に連絡をして色々なサイズを大量に用意しておいた。少し前に業者が搬入口に着いたそうだから……今頃部屋に積まれている頃合いか」
《媚びも媚び。ここに極まれり》
(だな)
「最後に部屋の鍵だ」
この流れだと煌びやかに装飾された鍵でも出てくるのかと思いきや、取り出されたのは形や装飾こそ洒落ているものの、所々赤茶く古錆びた鉄の鍵だった。
「……スマンな。あの部屋は歴史的展示物として残してあったんだが、そうなると普段使いの鍵は外側から掛けられる南京錠のみになる。此方でも急ぎ確認したが、施錠機能に支障は無かった。本来なら業者を呼んで急ぎ取り替えるのが筋なんだろうが──」
「『宿泊する人間の都合上、施錠機能に問題が無いのなら鍵の情報が外部に漏れるのは避けたかった』ですか」
「はい。仰る──その通りです」
「ふん。そもそも入ろうと思えばドアごとぶち破れる連中しか居ないだろう。鍵なんぞ気休め程度だ」
学生の身の上とは言え、彼等はれっきとした魔術士である。ドアどころか壁すら撃ち破ることが出来る。
(じゃあ泥棒し放題じゃねぇか!)
《し放題っちゃあそれまでだけどよぉ……神聖魔法やらスキルやらでその場の過去の情報を読み取ってまで犯人を探すんだ。当然逃げた先も丸分かりだ。逃げられねえって》
(つったって、対策手段も勿論有んだろ?)
《察しが良いな兄弟。それで読めなきゃ更に上位の術者が出て来る。それでも読めなきゃ更に上位の術者が。んでいよいよこりゃダメだってなりゃあ、最後にはリエルが出て来る。精度は脅威の100%!! すげーだろ》
(何でお前が誇らしげなんだよ)
「それと申し訳無いが、元々が展示物だから中が見えるように大部分がガラス張りになっててな。取り急ぎ厚手の布で塞ぎはしたが、防音に多少の難があるかも知れん。良ければ明日の授業中にでも板を貼り付けるなりの突貫工事を手配するが」
「そこまでは思い付かなかったな。ふむ…………だが構わない。私が補修しよう。そちらの好意のお陰で時間もできたことだしな」
「陛──そうですか。此方としても楽が出来て助かります。そして最後に希望者には寮内の規則が書かれたプリントを支給する決まりになっているが、必要無いな」
《ぜってー希望者だけじゃ無えよなソレ》
(強制的なやつだよな)
「部屋への案内は必要か?」
「……いいえ、場所は分かりました。五階西側の角部屋ですね?」
「ええ、そうです」
「なら我々だけで向かうとするか」
カシュナに促されるまま立ち上がるリョウに対し、最後にヴァードギンは深々と頭を下げてこう告げた。
「良き学生生活を」
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
部屋の隅に積まれた段ボールから制服を選別し終え一息つくリョウ。現在は部屋着として、ゆったりとした甚平を着せられていた。
……着替え中はカシュナとリエルにこれ以上無いほど凝視された。
《ヤるなら、例の紐引いてからにしてくれよ兄弟》
「寮に入ってから復活した探査と探知も、知らん間に無くなったな」
「大元の原因を断ちましたから」
「んー……」
恵まれた待遇だと理解はしている。しかし、一介の小市民であるリョウは忙しなく辺りを見渡した。
「この部屋落ち着かねぇ」
それでも床にカーペットを敷き詰める事で遥かにマシになったのだ。先程迄であれば、土足のままで座り心地の悪い装飾一辺倒の椅子に腰掛けなければならなかったのだから。
「全くだ。だが部屋を変える選択肢は無い。残念だがな」
「はい。歓待の結果なんでしょうし、無下には出来ませんよね……」
《デザイン自体は良いだけに惜しいな。昔日本で誰だかが作った移動式茶室みてーだ》
流石に豊臣秀吉の黄金の茶室程では無いにせよ、兎に角煌びやかな部屋である。喩えるなら趣味の悪い美術館のような……有り体に言ってしまえば品性に欠けた。
「ああ……ドアの取手はメッキじゃなく地金だ。これは金がかかっているぞ」
「何で学校の寮にこんな部屋が有るんだよ……」
「それはですね──」
リエルから士官学校の歴史を説明されるリョウ。
「──……─……!!」
(あん? 今、何か聞こえなかったか?)
《……俺はなーんも聞こえなかったぞー》
(そうか)
叫び声のような何かが聞こえた気がしたが、気のせいだったらしい。
「さて、私はその間に壁の改築をしてしまおうか」