15話 深緑の王
「考えたんだけど、やっぱりトリトトリが気になっちゃって。直接様子見たいなーって」
「ふむ……断る理由も無いが、自分の足の方が速い「カ、カシュナッ」
リエルが何やら耳打ちをするとカシュナは「あっ」と何かに気付いた様子で態度を一変させる。
「あ、ああそうだな。好きに使うと良い」
(どゆこと?)
《移動の最中に寝たいんじゃねーのか?》
(あー……)
アネッテは碌に寝ていないのだと言っていた。なるほど確かにそんな状態で喧嘩をされれば「イラッ」とこようというものだろう。……もっとも、アネッテはその特殊な性質から睡眠など必要としないのだが。
「あー、その、余計な心配かも知れねえけど大丈夫なのか? こっちにも色々仕事があんだろ?」
「大丈夫大丈夫! 使い勝手の良い奴れ──部下が居るからね」
「…………へー」
(今奴隷って言おうとした)
《今奴隷って言おうとしたな》
キィトスで奴隷はご法度なのではなかったのか。それとも、単に使い勝手の良い部下を日常的に「奴隷」呼ばわりしているだけなのか。
…………それはそれで問題だと思うが。
「ヴェールも有る上にそこまでの距離でも無し。いっそのこと学生寮まで歩くか」
「ヴェールで周りの方の認識を逸らせば私達だとバレはしませんけど「顔が知れているような偉い人間が来ている」と、結局騒ぎにはなると思います」
《あのヴェールを被ると、ソイツがどんな奴かイマイチ分からんくなる。任意の対象を除外することも可能な便利な魔具だ》
(ほー)
魔導士や補佐官クラスの人材はキィトスの主戦力であり、保護するべき宝でもある。故に顔と名前が一致し暗殺の憂き目に合わぬよう人目に触れる祭典・儀礼への出席の際には儀礼用のヴェールが着用されるのだが、これは逆に言えば祭典・儀礼の際にしか着用されない。今回のようなお忍びのケースで儀礼用のヴェールを着用するとなると魔導士の座を虎視眈々と狙っている名うての補佐官か、優秀な生徒をスカウトせんと命じられ暗躍する高官か、顔と名前が一致してしまっている一部の者達……言わずと知れた魔王カシュナ・異教徒を駆逐する枢機卿達を束ねる、アルケー教の聖女としても有名な《神敵の殲滅者》リエル・レイス・魔王カシュナの懐刀として有名な《魔王の半身》アネッテ・ヘーグバリ・大雑把で好戦的な性格故にまず顔を隠さないキィトス国軍第四軍団長《技巧の蹂躙鬼》スライ・ハントゥなどなど、錚々たる面子である。
「その通りなんだが、遅かれ早かれだろう?」
「それもそうですね」
周囲に魔導士リエルとバレないように儀礼用のヴェールを身に付けて授業に臨もうと言うのだ。遅かれ早かれ騒ぎになるのは決定事項だろう。
「と言うわけだ。アネッテ。私達はここから徒歩で向かう」
「ありゃ。悪いね」
《思ってもいねえだろうに》
(辛辣だなオイ)
《ちょいと席外すわぁ》
(いきなりだなオイ)
「物資は手持ちで足りそうですか? 私は弾丸も使わないですし、そちらに関しては全発融通出来ますけど……」
「先の戦闘での消耗分は補充済みだし大使館にもそれなりの量の物資は有るだろう。それより、少しでも危険だと判断したなら誰よりも先に逃げて私達に連絡しろ。兵の損耗の責任など問わん。補佐官程度なら二十余年も待てば替えが生まれて来るが、魔導士……いや、お前の代わりは存在しないんだからな」
「はいはい分かってるよ。それと弾丸は召喚したのを使ったから消耗ゼロだよリエル」
ヴェールを被った二人と共に、ぞろぞろと車から這い出る。はち切れんばかりの胸を隠す為だろうか。マントを羽織ったカシュナが運転手と二、三言会話をすると、白塗りの高級車は緩やかに出立した。
「……さて、偶にはのんびりと歩くのも悪くはない」
「リョウさん。その、手を繋いでも良いですか……?」
「ダメじゃねえけどよ……」
車こそ無くなったが未だここはエントランス前であり、かなりの人通りがある。カシュナとリエルは通りすがらに深々と礼こそされるのだが、当然ながらリョウは好奇の目に晒されることとなった。
そんな二人から腕を組まれているこの男は何者だろうか、と。
「リョウ、安心しろ。私達の顔と声は奴等に不完全な形でしか伝達されない」
「お前等はな!? 俺は素顔だよコンチクショウ!!」
リョウは対象から外されているため分からなかったが、その他の者達からは低くくぐもった声にしか聞こえない上、顔も仮面を付けているようにしか見えない。アネッテと戦った『黒剣』のダイタスやアークも同様の手口を使っていた。
「クッソ。気まずいったらねえよ」
足早に歩を進めるリョウだったが方角が違っていたらしい。カシュナに軽く腕を引かれて方向を正される。
(ああ、こっちなんスね)
返答は無い。
(そういやぁどっか行くだとか言ってたか)
リンプファーは離席中である。
「ヴェールの予備は用意していなかったですね……カシュナはどうですか?」
「名前を呼ぶな名前を。私も予備は持ってないぞ」
「よく考えれば、リョウさんが軍服を着ているのも問題でしたね……」
「もう良いどうとでもなれ」
………………
…………
……
歩き続けるものの、未だ道半ばといった所か。リエルがカシュナにだけ聞こえるように呟いた。
「誰かに見られてます」
「敵意は?」
「有りません。此方を観察しています」
「なら良い。タオラニカの部下辺りだろう。捨て置け」
「……害虫駆除の物質でも散布すれば静かになるでしょうか?」
「その顔はVを撒く気だな? 止めろ。思考が短絡的に過ぎる」
「大丈夫です。召喚した物質なら何日も残らな──」
「?? 二人で何話してんだ」
「なんでも」ない」ありません」
リョウは理解していなかったが、それは地球人類が作り出した化学物質の中でも最悪の一つと呼び声高い悪魔。
「それにしても──」
キョロキョロと辺りを見回すが、サークル勧誘の張り紙の多いこと多いこと。最終学歴故にリョウは知る由も無かったが、薄汚れた大学のような様相を呈していた。
「意外と俗っぽいっつーか、何と言うか……」
「そろそろ寮が近いですから。勧誘の紙は目に付く場所に貼った方が良いと言うことですね」
「タオラニカ……学校側が許可しているのかは知らんがな」
何年何世代にも渡って様々なサークルが紙を貼り付けてきたのだろう。乱雑に剥がした跡が堆積し、壁はお世辞にも綺麗とは言えない状態であった。
「ん?」
『樹海探索!! 深緑の王を倒し、金カードへの道を拓け!!!』
いつ頃から貼り続けられているのだろう。ボロボロの紙が貼られていた。
『菊門開発!! 旧態依然の常識を打ち倒し、絶頂への道を拓け!!!』
こちらの貼り紙は無視する事とした。
「何だ。さっきの紙に興味が有ったのか?」
「樹海の方がそれなりに」
間違っても菊門の方では無い。絶対にだ。
「深緑の王」とは中々に異世界らしいネーミングである。
……少々安っぽいきらいはあるが。
「壁外の、それも樹海の探索ですか……学校側の許可は絶対に下りないですね」
「当然だろう。だから諦めて、勧誘の紙も朽ち果てたわけだ」
無念。サークルは志半ばで潰えたらしい。
電光掲示板が日付を知らせている。
(四月三日の日曜日……どんな仕組みで翻訳されてんだ)
「んで、深緑の王って何だ?」
「よく分からん。国民に被害が出ているわけでも無し、調べてもいない」
「本当に居るとすれば、スライムの魔人でしょうか」
「スライム!?」
ファンタジーの王道、スライムの登場に興奮を隠せないリョウ。
「魔人化したなら山脈に引き篭もるだろう」
「魔人化!?」
「リョウさん。声が大きいですっ」
「悪い悪い」