6話 リョウ、逃走する
「ハアッ…ハアッ………ハッ…」
光源付近に辿り着いたリョウは、肩で息をしながら辺りの暗闇を注意深く見渡した。
(大分足音立てちまったし、まともな人間なら逃げるか……)
突如として自分に向かって走りくる何か。一寸先も見えない暗闇に、けたたましく鳴り響く足音と、荒い呼吸を添えて。
そんな状況で、和かな仕草でこちらを迎え、笑顔で応対してくれるのはゲームのNPCくらいか。リョウ自身、同じことが我が身に起きれば真っ先に身を隠し息を潜める自信がある。
刹那。
右方五メートル程の場所で、何かが瞬いた。
ここで、リョウは最悪の可能性に行き着く。
「キエッ! キエッ! キエッ!」
何故、光が明滅していたのか。人間が光明とするならば、特別な理由でも無い限り照らし続ける事を目的に利用される筈である。
だとすると、人間では無い。そして、人間以外が光源を使う理由など、一つしか考えられない。
「ケケケケケッ! ケケケッ!」
ジャングルでけたたましく鳴く鳥の声。あれを数段喧しくし、悪意を上乗せしたような、そんな不快な音。
眼球の動きだけでは目視出来ないと知る。仕方ないとばかりに、ギリギリギリと、ぎこちない動作で首を右側に捻り見遣る。
果たして、そこに居たのは人間ではなかった。
不規則に煌めく光に照らされていたのは、エイのようなのっぺりとした顔と、その額から生えているらしい提灯のような発光体。唇の隙間からは、鋭い歯が見え隠れしている。
体は蛇に近いかと思ったが、ゲジゲジのような細かい足がビッシリと備わっているこの姿では、その形容は相応しいとは言えないだろう。
友好的な生物なのか否かは関係が無い。その醜悪な外見。先ずはそれだけで、次の行動は選択決定された。つまり──
「うおおおおおおおお!!!!」
踵を返し、先程踏破した道に舞い戻るリョウ。全力で足を動かし、前へ前へと進まなければならないこの状況だが、いや、だからこその現実逃避か。前世での知識が思い出される。
特定の生物は光に誘き寄せられる習性・本能があり、それが漁や狩りに応用されているというものだ。
イカや魚を捕らえる為、眩い光を水面に叩きつける手法。昆虫を採集する為、街灯の下で待ち伏せる手法。野生生物で例を挙げれば、チョウチンアンコウがそうだろうか。つまり──
(俺の知能はイカと昆虫と、アンコウに捕食される深海魚レベルかっ!! クソがっ!!)
己のIQの低さに絶望し毒付くも、現状は変わらない。背後からはズルズルカサカサと不快な音が迫り続けている。
死にたくねえ! と両足に力を込めるも、現実は非情である。エイヘビゲジゲジ──(命名 リョウ)との距離の猶予は、既に数メートルといったところか。そんな時──
ガッ! という衝撃が足に掛かり、フワリ! という浮遊感が全身を襲った。
「───────ッ!」
比較的枯れ草の多い地面に前のめりで転がるリョウ。
「クッソ! ツイてねえ!」
痛みが走る足首を叱咤しながら、敵が迫って来ているであろう方向を睨み付ける。やはり暗闇が広がるのみで、何も視認できない。が、音は告げている。今まさに、飛びかからんとするところだ。と
逃げられない。が、ただ食われるつもりは毛頭無い。右半身を半歩前へ出し、右腕全体に強く力を込めて脇腹を防御。左手は強く握りながら顎の下へ。マイクを持つ様にし、敵を迎え討たんと構えの姿勢をとる。
一撃で意識を刈り取られさえしなければ良いという考えだ。この暗闇では退化しているかもしれないが、眼球を指突で抉り出しでもすれば、不意を突けるだろう。
体当たりか、のしかかりか、噛みつきか。身構えたままのリョウだったが、いつまで経ってもその瞬間がやって来ない。
ここまで来て、様子を伺うものだろうかと訝しんでいると、前方でドサリとした重い音が響いた。
「……………は?」
感じた風と振動から察するに、倒れたということか。断末魔のだの字も聞こえはしなかったが。
突然死だろうかと訝しむリョウだったが、代わりとばかりに響いてきた「コツ…コツ…」という足音。それに合わせてユラユラと揺れる松明の灯りに身を硬ばらせる。
思わず、半歩下がった。
(……靴音に聞こえるし、人間か? タイミング的に、コイツが化け物を倒したって事だよな……?)
更に、一歩。音を立てずに後ろへと下がる。
(いや、結果的に助かったのは間違いない。ただ、さっきまで足音なんて聞こえなかったし、灯りなんて点いて無かった。本当に人間か? 仮に人間だとしても、身分証も無い住所不定無職かつ不法侵入者の俺が真正面から「ご機嫌よう」とはいかねえ……ここは……暗闇に紛れてやり過ごして、後をつけて出口まで案内してもらうのがベストか)
一歩と言わず数十歩。後ろへ下がろうと足を踏み出しかけた。その時。
「あの……待ってくださいっ!」
前方から、可愛らしい女性の声。
漆黒の暗闇。それも周囲に見える灯は一つである。彼女?の仲間に話しかけたとは考えにくいだろう。声をかけられるとしたら自分以外に有り得ないと判断出来る。
問答無用で襲いかかって来ないだけ、まだ友好的な……人間?なのだろうか。
可愛らしい声に絆されたわけではない。暗闇と孤独に辟易したわけでもない。そう自分に言い聞かせるリョウ。自分という存在がバレている。この痛めた足では逃げたとしてもどうせ追いつかれる。それならばせめて、相手が友好的なうちに取り入るべきだと、そう打算した。
「すいません。今襲われたばかりなもので、少々警戒して……し……」
二の句が、継げなかった。
やや急いで歩み寄ってくる女性。その姿が次第に露わになるに比例して、リョウの心が大きく掻き乱され、攪拌される。
有り体に言えば、その女性に心を奪われてしまったのだ。