7話 キィトスの街並みで
車に運ばれること二時間。それでもなおリョウは感動の最中に居た。
「うぉぉぉぉぉわぁぁぁぁー──…………」
(多分)高級なガラスに指紋が付くことも厭わず、リョウは顔面と両手を張り付け、空を見上げていた。特徴的な車体が人目を引いたのも一助となったのだろうが、しばしば此方を見た通行人がビクリと身体を震わせてから歩調を早めていた。ガラスに車内が見えない加工が為されているとはいえ、誰かがそこに張り付いているであろうことは、その影から容易に想像できたからだ。
《敢えて微かに影が見えるような加工になってっから、張り付いたら外の人間からから気付かれるぞ》
(すげえなー。シンガポールか香港かよ
《流石の二都市でも、ここまでの街並みじゃねえと思うぞ》
「すっげー…………」
もはや何度目か分からない感嘆詞。左右にリエルとカシュナが座っては居たが、今はリョウの体には触れず微笑ましく眺めるに留めている。その瞳からは、少なからず誇らしさも感じ取れた。
「ホント、中央部に一番近い地区とはいえ凄いよねぇ〜……天気悪い日なんかだと上の方霞がかって見えなくなるし……」
眠気からウトウトと櫂を漕ぎながらアネッテが同意する。リョウが見とれていた物──それはビル群であった。大小様々などとケチなことは言わず、スカイツリー級の高さの建築物が延々と並び建っているその街並みは、リョウの童心をドストライクに撃ち抜いていた。
「都会だな……」
《『都会』で片付けて良いレベルじゃねえけどなコレ》
「第十区だと、この辺りの地価と家賃が二番目に高いんだったか?」
「坪単価は忘れてしまいましたが……そうですね。かなり賑わっている区画になります」
道行く人々の半数はスーツを着、もう半数は思い思いにお洒落? を楽しんでいる。前述については地球と大差のない仕立てだが、後述については思わず疑問符が付いた。前衛的なポンチョや奇抜な看護服のような服をお洒落と言うならばお洒落なのだろうが……
《ファッションだぞアレ。日本にも同じようなのあるし》
(まじかよ日本)
万年安物ジーパン派のリョウにはいまいちピンと来なかったが、ファッションであるらしかった。
《ガイアに囁かれてんだろ。きっと》
(がいあ?)
無駄に広い片側九車線道路の内、歩道側一車線には様々な移動販売車が軒を連ねている。各々車二台分のスペースを有しており、一台分は車のスペース・残りは客のための座席の為のスペースとして活用されている。リンプファーのお陰で文字も日本語表記として理解出来るが、ラインナップは日本のそれと大差は無いようだった。
「アイスクリームにハンバーガーか。どれも美味そうだなー」
「色々と落ち着いたら…………食べ歩くのも良いかもねぇ〜……」
「楽しみが増えましたね! リョウさん」
「この面子で街を歩いたら、恐ろしい騒ぎになりそうだがな」
「それにしても……」
これだけの出店と人混みが合わさってもなお、歩道にはゴミ一つ落ちていない。景観や衛生・倫理を鑑みればそちらの方が良いのだと理解はしているが、へばり付いたガム一つない道にはどこか薄ら寒い感情を覚える。
「ゴミ一つ落ちて無えけど、ポイ捨ては重罪だったりすんのか?」
「捨てた量や物・悪意にもよるが、だいたい禁錮二年くらいだ。リョウも気を付けろよ」
「だいたいそれくらいだね〜……大量に不法投棄した馬鹿は…………国外追放食らったりもしてるけど……」
「ほー……」
(厳しくね?)
《だいたいな場合、執行猶予が一応付くからよ》
(罰金とかは?)
《それは結局、金払えば許されるってことじゃねえか》
(でもそれだと刑務所の収容人数キャパ超えるんじゃね?)
《そんだけ数が用意されてるってことだ》
(ほーん)
「ふむ……ところで……」
「??」
グラスを優雅に傾けながら呟くカシュナ。それに対し、リエルは可愛らしく首を傾げた。睡眠欲に敗北したアネッテは目を閉じ、大口を開けながら涎を垂らしつつ首を傾げている。
「予定だと、そろそろ士官学校に着く予定じゃなかったか? 未だに真逆の方向に走っているようだが」
「ふがっ!?」
「あっ……」
覚醒したアネッテがチラリと腕時計を見ると、にわかに慌て出した。
「やっば! タオラニカが待ってる!!」
「運転手さんに予定を伝えてなかったんですか?」
「いやぁ〜……その都度支持を出してけば良いかなぁって」
「……何かトラブルか?」
「リョウは何も心配しなくて良い。気付いていたにも関わらず敢えて言わなかった私にも責任がある」
《兄弟が楽しそうだったから、敢えて黙ってたって意味だ》
(ああ、そーゆー……)
運転席との間には分厚い壁があり、その姿は望めない。アネッテは備え付けの電話越しに支持を出していた。流石に空気を読んだリョウは、椅子に正しく腰掛け直す。
「魔王府管轄の士官学校ともなれば、言わば直属の部下だ。私に対して一時間や二時間程度の遅れでガタガタ言わせるつもりも無い」
「あ、その口振りだと同席してくれるの?」
手早く電話を終えたアネッテが尋ねる。
「初めからそのつもりだが」
「心強いですね。アネッテ」
「リョウ君と校内の適当な部屋で待機しててもらおうかとも思ってたけど……その方が話が早くてスマートだね。助かるよ」
「どうだかな。あの女がお前たちに小言の一つでも吐ける胆力があるとも思えんし、最悪の場合でも強引な手段に出れば良いだけだろうが」
「度胸はそれなりだけど、仕事に対する責任感は強い人だよタオラニカは。それに、それは最後の手段でしょ。あんまり使いたくないから『強引な手段』なんだけど?」
「ふん。その言葉の割には被「リョウさん。これから士官学校に向かいます」
車両は手早く反対車線に移り、その速度を上げる。「よくもまあこの長い車体で揺れ一つ無く移動するものだ」と思わず感心してしまうほどに鮮やかな運転技術。魔王の足と成る者には、それ相応の技術が求められるということだろうか。
「?? 何かさっきも話してたな。制服を受け取るだとかなんとか」
カシュナの言葉を遮ったリエルは気になるが、取り敢えず返答する。
「学校に通うんだよ。学校! 楽しみでしょ!?」
「……学校か」
学校にあまり良い思い出が無いリョウは若干顔をしかめた。
「学校は嫌いですか?」
「いや、嫌いっつーか……」
返答に窮するリョウ。恐らく入学金やらを含めた金銭の全てはリエルかカシュナが負担しているのだ。その当人達を前にして「学校は嫌いです」などとは口が裂けても言えない。ましてや前世の記憶だなど以ての外である。
「良いじゃん学校。クラスメイトとの甘いラブロマンスとかあるかもよ!?」
「「!!!???」」
ギュッ!!!
その言葉に応じてか、両サイドのリエルとカシュナに腕を絡め取られる。
「はっはっはっ……」
(その類はもうお腹いっぱいっす)
《贅沢な悩みだな色男め》
しかし前世の学校嫌いは差別的な教師と、それに伴う謂れの無い悪評から来るものであった。それでも会話をする程度の人間は多少居たあたり、心機どころか全てを一転して通ってみれば案外楽しい場所なのかも知れない。
「その可能性には至らなかったが考慮すべきだったな……リエル!」
「大丈夫です。カシュナ。考えがあります」
「具体的には」
「タオラニカには既に懇切丁寧にお願いを──」
「ああもう良い。概ね理解した」
「何が何だか分かんねえけど、取り敢えずお任せします」
「お任せしちゃうのかー。知―らないっと」
さらりと怖いことを言うアネッテ。だがそこまでの恐れは無い。最悪、リンプファーがどうにかしてくれるだろう。
「あ、カシュナ。やっぱり私とリョウ君は車内待機で。二人で会ってきて欲しいかも」
「あん? タオラニカとか? ……別に構わないが、校内の様子くらいは見せた方が良いんじゃないのか?」
「その方が良いって予想。当日まで楽しみにしとくってのも悪くないだろうしさ。リエルもそれで良いよね?」
「?? はい。では二人で手続きをしてきます」
「まあ、断る理由も無いが」
若干の恐怖と若干の高揚感を抱きつつ、一路士官学校を目指す。流れ去る景色を見るに明らかに速度を上げた高級車だが、やはり揺れ一つ感じなかった。
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