4話 ダンジョン
リエルがいそいそと袖口からオムライスの乗った皿を取り出し、机に並べている。袖口の中は時間が止まってでもいるのか、オムライスからは湯気が立ち上っている。それぞれケチャップで名前が書かれており、聞くところによると卵が各々の好みの硬さに調整されているらしかった。……ちなみに、リョウのオムライスには巨大なハートマークが描かれている。その意味は推して知るべし。
リョウを真ん中に、右にリエル・左にカシュナ・正面にアネッテが座っている。左右から放たれる圧が尋常ではない。
ハートマークを憎々し気に盗み見ながら、カシュナが会話を切り出した。
「……さて」
「カシュナ。人一人吹っ飛んでんだけど」
そして人一人を叩き付けられたのはリョウである。咄嗟にリエルを庇ったため、その衝撃を一身に受ける羽目になった。
「まぁまぁ、リョウくんも蒸し返さない。まずはオムライスを食べようっ」
「一番の被害者がそう言うんなら良いけどよ……」
「頂きます」
リエルはお行儀良く手を合わせていた。
「先ずアネッテ。ライシンサの今後の使い道は決まっているのか? 無いなら部下達の雑務に回したいところだが」
「死なれても面倒だから安全な場所で飼い殺そうと思ってたし、それで良いよ」
「よし。奴の部下達も合わせて手配しておけ」
「はいはい」
大使館のみを残すシュラバアルに駐在させる意味など無い。これからはリョウとの時間も確保しなくてはならないカシュナにとって、切れ者(と巷で評判)のライシンサを放って置く選択肢は無かった。
「トリトトリについてはどうだ?」
「そのライシンサがアドバイスしてくれてたみたいで(もぐもぐ)……大使館職員が直ぐに対応したみたいで(もぐもぐ)確認できるだけの突入者ゼロ。物理的に封鎖も完了。吸い込み型だけど被害者ゼロ。推定深度は七十だってさ」
「吸い込まれた間抜けが居なかったか。場所を考えると奇跡に近いな」
「七十……生まれたての深度ではありませんね」
「確かにそうだな。タイミング的にも、黒衣の連中が関わっていると考えるのが自然か?」
「ん〜……分かんないけど、可能性はあるよね(もぐもぐ)たださ、深度七十でしょ? さっきも言ったけど吸い込み型だったし、こっちの状況も状況だし、放って置いても良いんじゃない?」
「その深度なら、そうそう彼方からの干渉も無い……ですか?」
「そゆこと。話が早くてもぐもぐもぐ」
「ふむ……楽観的だが、リョウに未知のダンジョンを経験させておいてやりたい気持ちもあるな」
「なかなか無いしね。この案件」
意見は揃ったということか。二人はカシュナの反応をオムライスを食べながら待っている。
ちなみにリョウは、話に割って入れずカカシに徹していた。オムライスが美味しい。
「その案で行っても良いが、万が一があっても面倒だ。念の為にどこかの隊を動か──」
「事後報告で悪いんだけど、もう第十軍動かしちゃった。カシュナも良い感じに寝ちゃってたし、起こすのも忍びなくてさ」
「腕は立つんだろうな?」
「フランチェスカと隊員四十人で新規編成したよ。保全だけなら十分過ぎるよね?」
「補佐官を引っ張り出したか。対話も可能なんだろうな?」
「もちろん。それで、妨害行為には実力行使で良いよね?」
「当然だ。殺して良い」
「そこまでは勝手に命令してなかったなー。今追加でしちゃうね」
くいっくいっ……
リエルにちょいちょいと袖を摘まれる。
「説明、要りますか?」
「お願いします」
《りえるせんせーのいせかいきょうしつ〜》
(可愛い声が聞こえねえから黙ってろ邪魔すんな)
「ダンジョンとは、失敗した魔術が極低確率で引き起こす事象・そしてそれによって生まれる空間です」
「ふーむ?」
「化け物が蔓延る危険な空間……別世界に繋がったトンネルだと認識しておけ」
「別世界」
《この世界から見た地球みてえなもんだ》
アネッテとの話し合いが一区切りついたカシュナが左から語りかけてくる。気付けばアネッテは少々離れた場所でペン型の道具に向かって何やら指示を出していた。
「ダンジョンは敵を倒すことで得られる資源が多いので、冒険者の皆さんから人気が高いんですが──」
「それは全て別世界の生物だ。もしそれらに意思と文明があったらどうする? 血で血を洗う報復戦の始まりだ」
「うわぁ…………いやでも敵を倒さずに得られる資源もあるんじゃねえの?」
リョウの常識での推し量りであるが、ダンジョンといえば宝箱などが配置されているのが常である。
《宝箱とかは無えな》
(無えか)
《言うてただの入り組んだトンネルだし》
「ダンジョン自体はただの空間の亀裂だから碌な資源は無いだろう。繋がった先の別世界に行けば此方には無い特殊な資源もありはするんだろうが……彼方からすれば別世界の生物が大挙してやって来て、我が物顔で資源を掠って行くわけだ。殺し合うには十分過ぎる理由だと思わないか?」
「なるほど。理解した」
「今まで確認されてはいないが、並行世界に繋がっている可能性も有る。その場合、敵は私自身だ。いざ戦いになれば余波で世界が消し飛ぶぞ」
「それに、知的生命体がいなくても安心はできないんです」
「……? 単純に危険な生き物とかか?」
「まさかだろう。文明を作れない程度の生命体など恐れるに値しない。問題は未知の病原菌だ」
「あー…………」
リョウがこの世界に来て真っ先に警戒したものである。
「免疫の無い病気が広がると、本当に危険ですから……人間で発症しなくても、回り回ってキィトスの家畜や植物に被害が出たら大事件です」
「幸いにも今回のダンジョンは吸い込み型……つまり、生成時に此方の空気を吸い込んだ。ダンジョン内の空気は既知の物。彼方の空気が此方に流れ込んで来る前に物理的な閉鎖が間に合ったわけだ」
カシュナがリョウの首に腕を回し密着する。対抗してか、リエルは太腿に手を這わせながら腰に手を回した。
「で! そんなことまで頭が回らない馬鹿が突撃しないように、私達が部下を回したってこと。反発も強いけどさ」
「人の土地に無断で住み着くシラミ共は、私達が利益を独占したいだけだと思っているようだがな」
「そもそもキィトスの領土ですし、独占もなにも無いんですが……」
(あーなるほど。そーゆー感じね)
《勝手に住み着いてるだけなんだよアイツら。つっても移住して来たのはアイツらの先祖だし、現住民からすりゃあ生まれ故郷なわけだが》
(そりゃあリエルも門番に止められたらイラッとするわな。従属国以前の問題じゃねえか)
「カシュナ。部下からの連絡なんだけど、トリトトリの領主が抗議してきたってさ」
「ふん……何についての抗議だ?」
カシュナは不快感を露わにしながら鼻を鳴らすと、リョウに体を寄せて耳を甘噛みした。
「ほわぁっ!?」
「ふん………」
リエルは不快感を露わにしながら鼻を鳴らすと、負けじとリョウの腕を掴み、首を甘噛みした。
「くぅっ!?」
「何見せられてんだろ私」
両サイドから襲い来る未知の感覚に戸惑いながらも恍惚の表情を浮かべるリョウ。アネッテは虚無の表情を浮かべていた。