3話 投擲
アネッテが手を叩くと、甘ったるい空気は霧散した。確かにアネッテを除く皆が未だに寝間着を身に纏っている。リエルに至っては、それに加えて巨大なナイトキャップをぶら下げたままだ。
(アネッテはこんな役回りばっかだな)
《兄弟の意思が弱えからな》
(くっ……)
「……そうだな」
「……分かりました」
「隣の部屋にシャワー室あるから、リョウくんはそこで「じゃあ私とカシュナはシャワーのお手伝「リエルとカシュナはまた別のシャワー室!!! 私は壁の補修依頼しとくからさ!!!」
「……分かりました」
「あ、カシュナは壁塞げるシート創っといてね」
「仕方ないな」
この場は一度解散となりリエルとカシュナは別室へ、アネッテは肩を落としながら壁の補修を始めた。
………………
…………
……
シャワー室と聞くと多人数が同時に利用可能なイメージがあったが、果たしてそこは一人用であった。
「んー……?」
七部乾きの髪を鬱陶しげに左右に振り、パチン! パチン! と爪を切りながら思案する。ホテルでもないだろうに、無駄にアメニティが豊富だ。使い捨ての爪切りまであるとは恐れ入る。
誰を対象にし、どういった目的で敷設されたシャワー室なのかは分からないが、脱衣場には新品のあらゆるサイズの軍服がハンガーに掛けられていた。男女の軍服には違いがあるらしく、ハンガーの首には「男L」「男LL」「女S②」「女L①」「女L②」などといったサイズチップが付けられていた。
「これ、着ろってことだよな?」
《そうなるな》
「ふむ」
体を清め終わったリョウは女性用の軍服を手に取り、つぶさに観察した。どうやら体のサイズの他に、胸囲によって①②の数字が割り振られているらしい。アネッテは①でカシュナは②だろうかなどと、どうでも良いことが頭をよぎる。
リョウは気付かずに着用したのだが、男性用軍服の下──パンツにも特殊な仕様がある。それは太腿の太さだ。鍛えに鍛え抜いた者の大腿四頭筋は、それはもう恐ろしく肥大化する。上半身の筋肉ならばボタンを外せばいくらでも適応できるが、下半身はそうもいかないのだ。もっとも、魔法による強化があるこの世界でそのような軍人は稀だが……
「つーかこれ、軍靴もか?」
足元には、これまたあらゆるサイズの軍靴が並べられている。とは言え……
「服はまだ洗って返せば良いとして、靴を洗って返すってわけにはいかんよな?」
《上手く言えねえけど、何なんだろうな? 俺も服はオーケーでも、靴はどうかと思う。ただまあ、一張羅ってわけにもいかねえし貰っとけ貰っとけ。んなケチ臭えこと言わねえから》
「んー……まあ、そうだな」
確かに好意を寄せている相手ならば、軍服の一式くらいは許してくれるだろう。全身軍服で足元がスリッパでは格好もつかないというのもあるが。
「っし。行くか」
来る際に履いていたスリッパを手に持ち、隣の部屋へ向かう。カシュナとリエルは既に戻っていた。
「悪い。遅くなった」
「リョウさん。おかえりなさい」
シャワーと着替えと各種作業に要していた時間は三十分程度。決して遅くはないのだが、礼儀として謝罪はしておく。
「気にするな。私達は体を素早く清潔にする方法がある。それに比べて時間が掛かるのは当然だ」
「あー……あれか。あれなら早いだろうな」
(確か野宿だかの時に使うとか言ってたアレか)
《そうだな……つっても、野営するときにも普通は気分転換に風呂に入るもんだ。よっぽど追い詰められた状況下か、よっぽどの不精者でもねえとアレは使わねえな》
詰まり、あの時のリエルはリョウと一緒に入浴するため「よっぽど追い詰められていた」のだろう。
「なんだ、知ってい………………んん?」
リョウは先程全壊したばかりの壁を見る。そこには半透明のビニールシートが釘打ちで貼られており、外からの視界を遮っていた。他の部屋に移動する選択肢もあるだろうに、こんな惨状でもこの部屋に拘る理由は何なのだろうか。
「どうしました? カシュナ」
「もうそんな知識まで説明が終わっているのかと驚いただけだ。流石はリエル。仕事が早い」
「あ、あー……いやカシュナ。そこはホラ、リエルだし?」
「あん?? どうしたアネッテ。露骨に怪しい素振りだな?」
「襲撃もありましたし、説明はまるで進んでいません……たまたまお風呂で私が体を洗う際に説明をしただけ「ああん???」
何やら険悪な空気が流れる。カシュナは不愉快そうな表情を浮かべ、アネッテはダラダラと冷や汗を垂らしていた。
「ええと……俺ってば何かマズ「アネッテ」
「……ひゃい」
リョウの疑問の言葉はカシュナの呼び掛けによって遮られた。
「リエルはリョウと一緒に寝ただけだと、そう言ってなかったか?」
「ソウダヨ?」
「一緒に風呂に入って、それから一緒に寝ただけと」
「ソウナルネー」
カシュナはぬるりと立ち上がり、ゆらゆらとアネッテに歩み寄った。
「なあ、おい。『だけ』という副助詞には、相当な悪意が込められているんじゃないか?」
「ソ、ソンナコト、ナイ……グギュェッ!!!」
およそ女性が出すべきではない悲鳴を上げているアネッテだが、片手とはいえ首を絞められていればそれもやむなしだろう。
(オイ! これ俺が仲介に入って──)
《ほっとけほっとけ。ただじゃれてるだけだから》
カシュナはじゃれ合いで首を絞めるのだと知る。もしも夫婦の間柄になればどうなるのか。タマでも潰されるのだろうか? リョウはカシュナとの将来を考え、暗澹たる気分になった。
(もしそうなら、リエルに泣き付くしかねえな)
《いや、流石にアネッテに対してだけだ。心配すんな》
(なら良いや)
「カシュナ、私は「リエル、当事者のお前にも話を聞く必要があるな」
リエルからの呼び掛けに応え、ぐったりとしたアネッテを捨て置き、カシュナが緩慢な動作でリエルを見た。
(これ、もしかして俺がリエルと寝たのが争点か?)
《身も蓋も無く言っちまえば、私より先に先に肌合わせやがったのを意図的に隠してやがったなって感じ?》
(……うああ俺黙っとくわ)
《そうしろ》
俯くリエルの表情はリョウには窺い知れなかったが、カシュナからはしかと確認できた。
「っつ……!!」
半月に歪められた口元からは声こそ出てはいなかったが、たった六音程度の言葉であれば歴戦の魔王でなくともその動きから内容を読み取ることは容易である。
『ご・ち・そ・う・さ・ま』
「…………キ」
「「キ?」ですか?(笑)」
リエルに二面性があることなど、カシュナはとうの昔に承知している。だが、悪鬼の面を向けられるなど思ってもみなかったのだ。己には、常に友人としての清廉な面を向けてくれるものだと──!!!
「キッサマァァァァ!!!!」
「うおおおおおっっっ!?」
カシュナの右手で胸倉をむんず! と掴まれたアネッテがぶわぁっ! と投擲された。走馬灯の如くコマ送りになるリョウの視界がアネッテの胸倉を捉える。「あれだけの負荷がかかっても破れないとは大した軍服だ」などと呑気な事を考えている内にアネッテがリョウに迫り──
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