5話 光の元に
(……ん?)
鋭く硬い小石と枯れ草の感触に目を覚ますリョウ。墨汁にでも漬けたかのような暗闇に、思わず目を瞬かせる。身を起こし、光源を求めて瞳と頭をフラフラ彷徨わせるが、仄明かりすら見当たらず、途方にくれる。
空気は淀んでおり、カビ臭い。加えて若干の腐敗臭が鼻に付く。
(どこだよここ……と言うか、痛みが無い…? いや、それどころか……)
怪我が、無い。
一縷の光も差さない暗闇で、自身の身体を弄る男性……絵面は最悪だが、リョウ本人は至って真剣そのものである。
そもそも、今現在身体に触れている手ですら、本来なら千切れ飛んだ部位だ。一通り傷の有無を調べ終え、体が壮健である事に安堵したリョウは思案する。
(あの神様、フォローしてやるとか言ってたか。つまり、そういう事か?)
神様が何かしらの力で治してくれたのだと理解する。それなりに柔らかい布の感触を肌に感じるあたり、服も着ているのだろう。その点について感謝もする。が──
(そこまでフォローしてくれるんなら、スタート地点にも気ぃ使えよ……何も見えねえって)
舌打ちをひとつ打ってから、心を叱咤する。
いつまでも暗闇に怯えていても始まらない。身体の次は地面だとばかりに、今度は地面に手を這わせ、様子を伺う。
そこかしこに枯れ草が生えてはいるが、比較的平坦で、何より土ではない。
リョウは建物の内部であろうとあたりをつけた。建物ということは壁があり、壁を辿れば出口に辿り着く。時間は掛かるだろうが、確実だろう。
壁の無い建物という可能性もあるだろうが、それならそれで、直進すれば出られるのだから問題はない。
もっとも、この空気の淀み方を見るに、その可能性は限りなく低そうだが。
(いや、そもそも……そうか)
別の可能性に辿り着いたリョウは、ゆっくりと、確実に立ち上がる。
(そもそも……)
そろり、そろりと、足を前に進める。
(ここが地上何階か分からねえし。床に穴が開いてるかも知れねえし)
足で先の床を探りながら、一歩。また一歩と前に進む。
(異世界とかいう場所なら、建材も何なのか……いや……いや、どっちにせよ危険か)
草が生えて、荒れ果てても尚、床の形を留めているのだ。樹脂のような頑丈な感触がするため、そこまで脆い材質のはずもないと理解してはいる。だが、経年劣化故の脆さということも有り得るだろう。
若しくは、あの神様の落とし穴があるかも知れない。一度落とされ、更には投げ落とされているリョウに死角は無い。少なくとも、こと落とされる事に関しては。
指先にカリリとした異質感を感じるリョウ。どうやら壁際に辿り着いたようだと安堵し、胸をなでおろす。
手探り足探りで暗闇を進むのは精神的に追い詰められる何かがあった。壁に手を触れながら、杖がわりに進めるのは精神衛生上有難い。
(まあ、床と同じで崩れたりするかも知れねえのは同じだし、鉄骨が飛び出てたりするかも知れねえか、気は抜けねえけど……)
果たしてそんなことも無く、数歩も進めば指に異質な感触が走った。
(縦に規則正しく走る溝……? 戸口か!?)
ここを開ければ、即座に外界に出られるかも知れない。そう考えると気が逸るが、僅かに残っていた冷静な自分が警鐘を鳴らす。考え無しに出るのは危険だと。
(まずは少し開いてみるか………いや、そもそもどうやって開けんだ?)
なにせ異世界である。特殊なドアかも知れない。とはいえ、合理性・利便性を突き詰めてゆけば引戸か開き戸に行き着くはずである。頼むからそうであってくれと、異世界の建築技術者達の向上心を心底祈りながら、手探りで取っ手を探す。すると──
(……マジかよオイ)
指先が触れたのは、壁から生えたL字の棒。小突くとガチャガチャと音がし、どうやら回すことが出来るらしい。
……有り体に言ってしまうと、レバータイプのドアノブである。
(レバータイプって、結構複雑な構造だよな……んなもんが廃墟っぽい建物にあるってことは、文明レベルがかなり高いのか)
前世で大量に読んでいた無料の漫画・小説では、大体が中世程度の文明レベルだったが、現実はこんなものかと落胆し、肩を落とす。
地球的な調度品の数々に毒気を抜かれ切ったリョウは、軽くレバーを傾けて、ドアを引く。どうやら内部部品が壊れていたらしく、まるで手応えを感じることなくドアが開いた。派手な軋みの音を立てる事も覚悟していたが、幸運にも蝶番は現役であるらしい。
そろそろと、開いたドアの先を覗き込まんとした。その姿は完全にコソ泥であり、チャチな犯罪者を彷彿とさせる。その点を自覚したリョウは、再び肩を落とした。異世界くんだりまて来て、何をしているのだろうと。
見れば、またもや暗闇である、ドアの隙間から光が漏れ出ていなかったのだから当たり前なのだが、そこまで思考が回っていなかったリョウは、三度肩を落とす結果だ。
(風を感じないし、空気の淀み方も同じだな。こりゃ、出るまでに何時間掛かるか分かんねえぞ……)
いっそのこと数時間待機して、朝になってから行動しようかという考えが首をもたげる。だが、それは希望的観測でしかない。
この場が地下数階の深さであるなら、例え今まさに日中だとしても光など届きはしないのだから。
兎にも角にも、壁に手を這わせつつ歩を進める。
(異世界脱出ゲームか。あの神様。こんなんが趣味なのか……)
前世では、異世界冒険譚や無料動画サイトをよく閲覧していた。無料で楽しめるコンテンツは、節約が必要なリョウにとって最良の娯楽だったのだ。
とはいえ、自分がその立場になると中々厳しいものがある。一歩を踏み出すのにも、細心の注意が必要なこの状況では──
(ん…? 節約?)
先程、一瞬頭をよぎった単語に違和感を覚える。節約? そんな事をする必要があったのか、と。
給料を含むプライベートこそ霞みがかったうろ覚えだが、正規雇用で働いていた業務内容はしっかりと記憶している。学歴から逆算すれば年収が下の下だと導き出す事は容易いが、どう考えても一人暮らしで節約節制が必要とは思えない。
何に金銭を浪費していたのか。思い出されるのは、先程脳裏によぎった言葉。
(……『うそつき』か。誰か……心から信用してた誰かに騙されたか、裏切られたってとこか)
真っ先に思い当たるのは、やはり女。
(貢いだ挙句に捨てられたってあたりか)
お先真っ暗な現状と相まって、笑いがこみ上げてくる。
(以外と俺も純情なんだなぁ………………っと?)
通路の奥、遥か先。
移動しながら小さく明滅している光が見えた。
足元への注意もそこそこに、リョウは光を目指し駆け出す。
途中で床が抜けている可能性。障害物があるかも知れない恐怖。人間だとして、友好的な性格なのか。
そういった想定を全て打ちはらい、走り出す。
光は、すぐそこまで近付いていた。