裁きの光を受ける者①
『──は人間とほぼ同等とみられ、逃走中の博士の足取りは途絶えたままとなっております。施設は完全に破壊されており、同等の機体を製造するには数年の時間を要すると考えられており、会見で政府は、事態は逼迫していないとの見解を示して──』
キュッ、キュッ、キュッ
単純作業でしかないが、この作業は達成感がある。ピカピカに輝くコップを見、彼女は満足気な表情を浮かべた。
『……続いてのニュースです。土地の消失面積のデータは機密扱いとのことで公表されていませんが、不法移民を含む土地の所有者達はその点も政府に対する怒りの矛先として──』
カランッ……カランッ……
来客の音に、店主は笑顔を貼り付けた。
「いらっしゃ──なんだ、アンタか。もうそんな時間かい」
近頃足繁く通ってくれるこの常連は、決まって毎日午後二時に来店する。
『水面下でキィトスとの移住交渉が行われているのではとの報道もありますが、そもそも歴史的にも確執があるキィトスを話し合いのテーブルに引きずり出すことは不可能だろうと、有識者達は見解を一致させており──』
「なんだとはご挨拶ですね。この時分だと貴重な常連ですよ?」
全身に重度の火傷を負ってしまったのだというこの女性の顔を、店主は未だ見た事が無い。
「……まあね。力のある若い男衆や精霊魔法が使える奴は、みぃんな戦争に行っちまった。残ってんのは私みたいな無力な人間や、アンタみたいなハインツからの人間ばかりさ」
彼女はいつものカウンターの指定席に腰掛けた。
『精霊王は南部に出現し、幾つかの街に甚大な被害を与えました。これによって南部全ての奴霊が脱走。更に火力発電所も被害を受けたことによって、南部ではエネルギー供給が不安定な地域が発生します。以下、具体的な地名を──』
ルヴェリオリ大陸は謎の侵食により、その面積を急激に失っていた。それに伴い発生する暴動・精霊王の解放・アグニ教の衰退と、何故かそれに反して急速に勢力を拡大する始源教の存在・日本などという何処とも知れない国の言語の急激な拡散・謎の海流変化に伴う気候変動・魔物と呼ばれる謎の生命体の出現と、人間社会はこの上なく混沌の最中にあった。
「カルグドの奴も、何処まで行ってるのやら……」
「最近だと手紙も届きにくいと聞きます。心配ですね」
この軽食屋は、彼女とその夫であるカルグドの夫婦二人で切り盛りされていた。しかし、現在カルグドは徴兵により何処とも知れぬ戦場へ赴いている。
「そうなのさ。検閲だかがされてて、単純にそれで弾かれてるだけだって噂もあるけどね。半年前から十通は送ってるってのに」
「ふふっ……お熱いんですね?」
「バッ──この!! からかうんじゃないよっ!!!」
店主は見えやすい位置に水の入ったグラスを置いた。黒いフードを深く被り俯く彼女でも直ぐに気付けるようにとの配慮である。少々強めの音が響いてしまったが、からかわれたお返しと考えれば安いものだろう。
「せめてもの気休めに同意して差し上げたいところですけど、夫婦間の手紙の遣り取りを十通全て弾く検閲官というのも、それはそれで不安ですね。アカワナの軍人がそこまで無能だとは思えませんが……」
「んー……まあ、最初の数通が弾かれただけで、今やっと五通目くらいが届いた時分かも分からないしね。気長に待つさ」
「確かにそうですね。ご主人が何処まで行っているのかも分からないんですし」
「そうだろう?」
気丈に振る舞う店主だったが、グラスを磨く手は僅かに震えていた。
「彼女」はそれを見逃さない。
「私は流れ者ですので、ここに着くまでに色々な情報を見聞きしてきたんですが」
「……へえ?」
興味が無いような軽い返事だが、意識はしっかりと向けられている。
もしかすると、夫に関する情報なのだろうかと。
「アイロス渓谷に、また新種の魔物が出たみたいです」
「……そりゃあ随分と遠いね。こっからだと、飛行機が使えてた頃でも移動に一日はかかるよ」
無限のエネルギーを生み出す夢の永久機関、『奴霊』。『奴隷』『精霊』を繋げた不出来な造語だが、封印されていた精霊王が反旗を翻したその日を以ってその安全神話は崩れ去った。なにせ、彼が一言囁くだけで奴霊達はエネルギー供給を停止するのである。そのような危険な動力源で暢気に空など飛べようはずもない。
「三ツ眼の空飛ぶ魔物が出たみたいです。手強い新種のようで、掃討にかなりの数の軍が動くとか」
「そこに旦那が向かってるって?」
「そこまでは……ですが、可能性はあるかもしれません」
「…………」
「機械知性の捜索も難航していますし……」
「あとは──」と、客の女は続ける。
「いよいよハインツ王国を潰すみたいです」
「!!! やっぱりかい!?」
「既に二万の兵士が展開されていますし、間違い無いかと」
長年の戦争による淘汰の果てに、この世界には大陸は一つ・国は四つしか存在しない。あらゆる侵略を圧倒的武力で跳ね除けながらも、数千年にわたり外界からの干渉を拒み続ける島国『キィトス』。一つの大陸を二分するように存在する『ハナラグーシャ連邦共和国』『アカワナ連合王国』。大陸中央に存在したが故に両国が長年覇権を争い血を流し続けた結果、不可侵の空白地帯と相成った『ハインツ王国』。
『ハナグラーシャも消失面積を公表こそしていませんが、暴動の規模や聞き込みから想定するにアカワナと同程度の侵食が起きて──』
昨日一昨日と変わらずの内容に、店主はラジオの電源を切ろうかと思案する。軍が現場から人間を立ち退かせている為、新情報が無いのだろうが……
ルヴェリオリ大陸は謎の侵食により、その面積を急激に失い続けている。この状況で、大陸中央部の小国を野放しにして置くわけが無い。どちらが先に動くかについては意見が割れていたものの、ハインツ王国への攻撃自体は誰しもが予想していたシナリオだった。
「もしかすると、そちらに向かった可能性も」
「それは……あるかもしれな──」
店主はハッと気付く。そう。これは単なる小国との争いでは終わらないのだ。
「……全面戦争になるってことかい」
ハナラグーシャ連邦共和国がアカワナ連合王国の侵略行為を黙認するはずがない。ハインツ王国への軍事介入は相互条約で禁じられているのだから。
今までは自国の暴動の鎮圧・魔物への対応に迫られていたが故に小競り合いで済んでいたが、いよいよ本格的な戦争が幕を開ける。
「本当の意味での全面戦争になります。ここまで隠し続けていたハインツ王族の隠し玉も、いよいよお披露目されると思いますし」
「隠し玉……?」
「リンプファーが“代償術式”を付与しようとして失敗した、不出来な魔武具です。近衛騎士と震えている王女様にも働いてもらわないと」
「アンタ、さっきから何を言って……いや、そもそもそんな情報を何処で──」
お行儀良く座り、世間話をしながらコーヒーを嗜んで帰る。それだけの女と思っていた。しかし、今はまるで違う。纏う雰囲気は歴戦の古兵のように重い。火傷をひた隠し俯く姿勢からは、哀愁ではなく強い自信すら伝わってくる。
「──さん。貴方には才能があります」
「……今度はなんだって?」
「才能です。精霊魔法如きを終着点としたこの文明では汲みきれなかった才能……キィトスなら魔導士にも引き立てられたであろうそれを貴方は持っている」
「アンタは──「答えは分かっているが、形式は必要なのだろう?」
気付けばその身体は一回り大きくなり、その声はいつしかあからさまに加工されたものへと変わっていた。
音も無く立ち上がった彼女──否、彼はその場で恭しく一礼する。
「自己紹介がまだだったな。私はアーク・シクラン。世界の意思に従い、貴様の願いを叶えに来た」