54話 始点と幾つかの結末と
本来ならば扉の奥に引き摺り込まれ、淀みと一体化しているはずであった。
「状況的にアークが兄弟を殺すとは考え難かったが……それにしても奇跡に近いな、こりゃあ」
若干の手足の欠損が見られるものの、リョウの精神体は未だ健在である。
(安全圏無しで兄弟を放り込むか。結果的に…………いや、負け惜しみだ。最終局面を考えるなら、アークのこの一手が最善だった)
感情論で言えば、当然リンプファーとしては認めたくはない。しかし、事実は事実として受け入れなければならない。
(ここからはアークの掌の上で踊りつつ逆転の一手を──って、そんなもん可能なのか? いや、今はんなことよりも……)
精神体は記憶で形造られる。欠損した部位を修復する為には、扉の奥に吸収された記憶を取り返す必要がある。
(また魂を弄くり回して記憶を初期化……じゃねえや。んなことすりゃ昨日今日の記憶も吹っ飛ぶ。いやでも同じ記憶を探すのも現実的じゃ………………初期と現在の差分で判断、いや、いや、違うか。扉の奥に吸収されちまった分の記憶は、兄弟の精神体全てに稀釈されてる……差分もクソも無え。つまり精神体を一部欠損しても記憶を喪失はしない。そうなると……)
扉の奥の記憶だまりに封じられた記憶は数千年分にも及ぶ。吸収されたものと同一の記憶を回収するなど、どう足掻いたところで不可能だろう。
(ここからはアークの作戦に乗ってやるしかねぇな。つまりアイツは…………完全ランダム修復をお望みか)
リンプファーが軽く手を招くと、扉の隙間から淀みが溢れ出てくる。それはリョウの側近くに来るまでに手足の形を成し、欠損部にピタリと吸い付く。
(計画がオジャンだ。笑うしかねえな……っとと!!)
リョウが僅かに身動ぎするのを見て、リンプファーは慌てて安全圏の建造を開始した。
(どんな記憶が戻るかは分からねえが、せめてリエルとの記憶だけは当たるんじゃねえぞ……)
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
意識は明確。しかし体が動かない。
(いや、違う)
厳密には体は動いている。しかし、それにリョウの意思は干渉出来ない。
映像を見せられている……否、これは明晰夢に近かった。
「なあ。リンプファー」
《……どうした。兄弟》
それはどこかの平原。空は赤黒く染まりひび割れ、その隙間からは黒い液体が滴っていた。
黒い液体は大地を潤すことはしない。触れた大地は抉られ、粒子状に分解され消えゆく。
「最初の説明だけどよ。あれ、畳み掛ける感じで話し続けた方が手っ取り早いと思うぞ?」
《そうか? ……なら、次からはそうしてみるか》
「クソ辛気臭えな。最後まで笑え。らしくねえよ」
《すまん》
「謝んな」
数秒、何かを噛み締めるように押し黙る。
遥か遠くからは戦いの音が聞こえた。
《……必ず》
「あ?」
《……必ず、お前達を幸せにする》
「おう」
傍らに倒れ伏した娘の髪が風にそよぐ。
赤黒く染まった陽光を弾く金髪が、リョウの目にやけに美しく映った。
「自分の女も、自分の娘も守れねえのか……俺は」
×××××
場面は切り替わる。
そこは不毛の荒野。
リョウは倒れ伏していた。
外傷は無い。
「ごめんなさい……」
しかし心を潰された。
(……泣…………か、い……で…………)
声など出ようはずもない。
白く塗り潰された顔。その哀しみに染まった瞳が、緩やかに狂気を湛え出す。
(次は、……や、い…か、勝つ…………だから……)
確約すら出来ない。そんな己の不甲斐なさを呪う。
「違う…………」
彼女は大きくかぶりを振った。
「違う!! 違う!!! この私は私だけ!!!」
声など出ようはずもない。
彼女の狂気を止められない。
「いつまでも操り人形のままでいると思うなよ……!!!」
彼女は挑みかかるように空を見上げた。
「その高みから引き摺り下ろしてやる!!!」
×××××
どうか、どうか、おねがいします
《…………》
わたしはどうなってもいいんです。だから
《…………》
ひとつだけ、ひとつだけ、どうか、どうか、どうか
《…………》
彼女に、今度こそ、人並みの幸せを、どうか──
《…………お前はブレねえな。終わり際には、いつもソレだ》
?????
《バカにはしねえよ。俺にも、護りてえ女が居た》
…………
《…………何がしてえんだろうな? 俺は》
…………
《お笑い草じゃねえか。なあ? ここまで歩いてきて、歩いて歩いて歩き続けて、何度繰り返しても結果は全てこのザマだ。俺の護りたいものなんざ、大事なものなんざ、とうの昔に喪失しちまってる。無かったんだよ。それに気が付いてるってのに、未だに未練がましく挑戦してんだぜ? なあ? バカみてえだろ? 稀代の天才……時空を越える賢者の俺が》
──…────……
《聞こえねえ》
──バカにはしねえよ。俺にも、護りてえ女が居る。
《…………ああ、お前──》
…………
《お前なら。お前なら、まだやり直せるのか》
×××××
濁流の中。
それでも、彼女の哄笑だけはやけにハッキリと聞こえる。
淀みに飲み込まれたリョウは、上も下も分からない。
一瞬指先に何か硬い物が触れた気がしたが、気にする余裕など無かった。
流され行く。
次第に精神体は淀みに溶けて無くなり──
×××××
「絶対に助かる!! もう少し……」
彼女の顔は黒く塗り潰され、輪郭すら窺い知る事は出来なかった。
血が止まらない。
「ご…………めな──コポッ!! けほっ……」
血の塊を吐き出す音が、妙に軽快に響いた。
「喋るな!!! もうすぐだから……」
血が止まらない。
謝るのは此方だというのに。
護れなかった己に責があるというのに。
血が止まらない。
握り返す指の力が、徐々に緩やかになってゆく。
血が止まらない。
漆黒の闇の中でも、その真紅はまるで北極星のように鮮やいて見えた。
血が止まらない。
「頼む……逝かないでくれ……」
「………………ずっと、ごぽっ……いっし…………」
血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。血が止まらない。
全てを察したリョウは、強引に笑みを貼り付けた。
「俺は、大丈夫だから。だから…………少し、休んでろ。後で、起こしてやるから」
「………は………い」
また一人に戻るだけ。何という事はない。
終には指から力が抜けて──
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「む……んあ……??」
目が覚めると、そこは広大なドームだった。
横で胡座をかいて居るのは──
「…………お前、リンプファーか?」
「よう、兄弟。起きたな」
「目覚めは最悪だけどな」
悪夢を見た所為か、酷い胸やけがする。目覚めとしては最悪であると言えた。
「なあ、リンプファー」
「どうした」
「夢を見た」
「……………………どんな夢だ」
リンプファーは溢すように呟いた。
「いや、夢じゃない。これは記憶だ」
「………………そうか」
抜けたピースがピタリと嵌るような感覚。それが確かに感じられた。
「リンプファー」
「何だ」
「全部…………いや、話せる部分で良い。話せ」
………………
…………
……