52話 都市シャーミ
総面積百二万㎢・外周三千六百km。建国当初より最大限の効率化を図かれたキィトスの国土は、真円に形作られている。そしてその外周は、魔王カシュナの手によって一枚岩のケルベム鋼で囲まれていた。五百年前の侵攻でも辛うじて破られなかったその外壁の高さは地上八百mにも及び、内部には基地も点在している。キィトス国民にとっては魔王カシュナの力の象徴。守護のシンボルであった。
〜キィトス国南端 第七・第八地区に跨る都市シャーミ 外壁内基地〜
窓の無い閉鎖的な空間。緩やかにソファに腰掛ける妙齢の女性に対し、初老の男性が緊張した面持ちで対面する。
「リエルにアネッテ。それに加えて男一人だ。門を通る際に私がここに居ると伝えろ。良いな?」
「ハッ!!!」
魔王カシュナに対し、キィトス国第七軍団所属 マメタル・ネヴァ少佐は後ろ腰に前腕部を交差させ、過剰なほど大きな声で返答した。
「既に信用できる部下数名に、そのように命じて御座います!!!」
「事前にか……リエルから事前に指示でもあったのか?」
「ハッ!!! いいえ!!! 僭越ながら私が事前に考え、指示を出しておきました!!!」
「なるほど。リエルから基地一つ任される程度には有能というわけだ」
「ハッ!!! そのお言葉は末代まで語り継ぐ名誉であります!!! しかし、恥ずかしながら男性の同行者殿については想定しておりませんでした!!! これより追加の命令を、直接口頭にて出して参ります!!!」
「魔導士の同行者なら無碍に扱われはしないだろうが……まあ、念を入れてくれるのならば甘えようか。それと、昨日連絡した通り大事にはしたくない。これより以後、私には構わずに平常任務へ戻れ」
「ハッ!!! ご安心を!!! 部下も口が硬い者を選出しております!!!」
「物分かりが良いようで結構だ。私達は部屋を勝手に使って勝手に消える。勿論見送りは不要だ」
「ハッ!!! では、失礼いたします!!!」
空位の第七軍団長の席は、リエルとアネッテが合同で受け持っている。この物分かりの良さは、リエルの教育の賜物だろうか。
(……いや、違うな。物分かりが悪い奴は精神を矯正されるのか)
それについて、友人としても魔王の立場としても言うことは無い。顔も知らない無能の馬鹿が従順な僕になるのだ。百理あって一害も無い。
「……ふぅ」
大きく息を吐き、考える。まさかそのリエルが。あの拷問狂いが恋をするなど。
(ああ、そうか)
リエルは、アルケー神に身も心も捧げた狂信者でもある。ならばある意味順当かと一人結論付けた。
チラリと時計を見遣る。しかし、約束の時間はまだまだ遠い。
「………………」
手慰みに懐から短剣を取り出し、愛おしく指で弄んだ。
(記憶の定着に不具合が出ているらしいが、記憶は魂に刻まれている。じきに全て思い出す)
また、無邪気な笑顔を見せてくれるのだろうか。
また、優しく抱きしめてくれるのだろうか。
また、強く諭してくれるのだろうか。
「うぅ…………」
年甲斐も無く高揚する気持ちを抑えられない。
胸の高鳴りを抑えるべく、カシュナは胸に手を押し当て浅い呼吸を繰り返した。
「ふぅ………ふぅ………」
数万年の時を生きた厳格な魔王として通っているカシュナだが、今は外見相応な乙女の表情を浮かべていた。百戦錬磨の魔導士達でさえ、この表情を見たとしたらそのギャップに言葉を失うだろう。
(ここに至るまでに沢山の人間を使い潰したが、もし『彼』に知れたら嫌われるか? …………いや、間違い無く嫌われるだろうな。『彼』は清廉潔白な男だったはずだ。アネッテにはコトが落ち着き次第、内密に人形を破棄してもらおう)
背もたれに身体を沈み込ませると同時、部屋の隅の空間がグニャリと歪んだ。
「ああ?」
歪みは徐々に大きく広がり、黒い穴を形成した。
見るのは久方振りだが、カシュナはこれを知っている。
「“空間術式”か!!」
これを使える者は多くない。具体的には術式保有者である『彼』──リンプファーと、術式を付与された魔具を持ったリンプファーの関係者に限られる。そしてその関係者は今一堂に介しているのだ。穴の先から己に会いに来る人物など、考えるまでもない。
約束の時間よりも随分と早い事に加えて此方の居場所を知っていたのかという疑問こそあるものの、その程度は些事だ。二の次三の次である。
「リ……いや、リョウ…………なのか?」
「……カシュナ?」
穴から此方へと歩み寄るリエルは、心なしか憔悴しているように見えた。いや、それよりも──
「リョウ!?」
背負われているリョウの顔色が悪い。何か異常が起きていることは明白だ。
「リエル!! まさか、精神の定着に不備が!?」
「いえ、じきに意識を取り戻します。ですけど……」
「ですけど……なんだ?」
カシュナはリョウをソファに横たわらせるリエルに問うた。
「リョウさんの復活を阻止しようと目論む一派から攻撃を受けました。今、アネッテと私の部下達が交戦中です。どうか助力をお願いします」
「そいつらに、やられたのか!! お前達が付いていながら!!!」
「………………」
リンプファーの指示とは異なるものの、リエルは良い策を思い付いた。
上手くいけば、この邪魔な女とアークを共倒れに出来る。
「つまり、リエルの部下とアネッテでは対応し切れないということか」
「…………敵の実力は、カシュナと同等に思えました」
「あ?」
「多分アネッテも、そう長く保ちません」
「馬鹿な」
カシュナが顔を顰め、不機嫌な声を上げるのも当然だろう。
上官に最前線へ赴くよう要請する部下など聞いたこともない。
「……リエルが向かったところで」
「私とアネッテ二人がかりでも、カシュナに勝てるかとなると……」
「そうだろうな」
カシュナはリョウの顔を撫でながら大きく溜め息を吐いた。
(温かい。生きている)
彼のために生きてきたのだ。ここで戦わずにどうする。
万に近い時を耐えてきたのだ。数時間程度がなんだというのか。
………………
…………
……
「場所は」
「シュラバアルです。外壁付近だと思います」
「敵戦力は」
「黒衣の集団です。正確な数は分かりません。ですけど恐らく複数。リーダーがカシュナと同等。部下も魔導士級の戦力だと思います」
「……分かった」
カシュナは懐からボールペン状の通信用魔具を取り出しながら告げる。
「敵が複数となれば、私が誘い出された隙にリョウを害する腹積もりかも知れない。大事にはしたくなかったが、遅かれ早かれだ。不在の間に護衛を付ける」
「私が不甲斐ないせ「やめろ」
目的の人物二人にはワンコールで繋がった。挨拶の口上を待つのももどかしいとばかりに、矢継ぎ早に指示を出した。
「今すぐにシャーミ外壁内基地七二七号室の要人とリエルを警護しろ。これは勅命だ。必ず二名で遂行しろ。必要とあれば迷わずに死ね」
「ハッ!」「承知しました」
通信が切られる。
「お前は部下でもあるが友人でもある。第一、内容が真実なら不可抗力だろう」
「……はい」
当のリエルは、友人だなどと思った事など欠片も無いのだが。
「シルーシ・チャイとテルミッド・ラインを召集した。必ず護り通せ。惚れた男ならな」
カシュナは壁に手を当て、囁いた。
「“破壊術式”を展開する」
とは言え半信半疑。この数分後、カシュナはアネッテの負傷を見て激昂することとなる。
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