45話 シュラバアル崩壊
「リョウさん!!??」
恋人が突然妙な事を口走り、大きく体勢を崩したのだ。事前に説明する暇すら惜しい状況だったとは言え、リンプファーは若干の罪悪感を覚えた。
(探知に敵は掛からねえ! それなら!!)
「“防御術式”を起動する!!」
リンプファー単身では使いこなす事は叶わないものの、十全であれば何者にも見えず、何者にも壊せず、何者にも越えられない、最強の障壁が敷地を覆う。それと同時にアネッテが部屋に飛び込んで来た。
「リエル!! 今のって──」
「アネッテ! テメェはクアンの援護に向かえ! 俺はキィトスに──」
「リンプファー!? リョウさんを──」
張り巡らせた障壁から、極々細い糸を数本切断する手応えが返って来た。“防御術式”を通して感知した魔力。それとクアンの通信とで、リンプファーはこれから起こる惨劇を理解する。
(ッチ!! クソ野郎!! 下準備してやがったのか!!!)
『下準備』を説明する前に、召喚術についての説明が必要だろう。
召喚術は、召び出した物は術者の意思に関係無く、一定時間経つと元の場所に転送され消え去る。更に、この召喚術は基本的に自分の体表面からしか発動出来ない……のだが、こちらに関しては幾つか限定的な抜け道が存在する。
第一は自身の魔力を武器に馴染ませる事だろう。馴染ませる時間は武器の質量に比例して長くなる上、使用時には自身が触れていなければ発動点にならない。しかし、一度馴染ませれば半永久的に発動点であり続ける為、最もポピュラーな手段とされる。
第二は血液や唾液を塗布する方法だ。視認が難しい糸などを地面に設置する事で、一端を手に持ち、罠のような働きを見せる。糸を風に乗せ、超々遠距離や相手の死角から魔術を叩き込む事も可能だと言われているが、これは技術上不可能と考えられており、未だ理論の域を出ない。
ハシロパスカでアネッテが召喚術を行使した際「『礫柱』で瞬時に石柱が召喚されるのなら、元からその場にあった空気は何処へ移動するのか」と、気になった読者も居たのではないだろうか。
その答えは『召喚先に何かしらの物質が存在する場合、それを影響が出ない形で押し除けた上で召喚される』という、召喚術及び、各種スキル・神聖魔法・精霊魔法・防御術の特性にある。相手を貫いた状態で召喚出来ない点はマイナスポイントではある。しかしこのセーフティーがあるお陰で、若輩者から熟練者まで、遍く全ての術者は安全に術を行使出来るのだ。
だがしかし、それにも例外がある。
それは、風として召喚されない、純然たる気体。
ただ単に気体を召喚した場合に限り、何故かそのルールが適用されないのだ。
そう、つまり。
その瞬間。
街の至る所で、同時多発的に召喚された、莫大な量の一酸化炭素は、その場の大気を強く押し遣る。
無駄な火炎など無く。
陳腐な閃光など無く。
稚拙な予兆など無く。
突如として現れたそれは、ただただ白い壁だった。
巻き上げられた粉塵か、はたまた空気中で押し出され、霧状に可視化された水分か。
どちらにせよ、ソレこそが破壊の行軍なのだと知る。
刹那。
ドォッ!!!!!!!!!
外縁部の家屋など、耐えられる筈もない。
中央部の建築物は骨組みこそ僅かに原型を残しうるが、その爆風と衝撃波は、屋内の全てを貴賤なく、舐め回すように蹂躙する。
急激な気圧の変化に耐え切れない人体は無惨に変形し、内臓はひしゃげ、潰れて果てた。
辛くもそれらから逃げ延びた数名には、漏れ無く一酸化炭素が降り掛かる。
だがまだ終わらない。
ここから始まるのだ。
なぜなら、大気は「押し出された」。
幾らかの一酸化炭素が残っているとは言え、負圧である。押し出された空気は気圧の低いシュラバアルに戻って来る。
更に術者は、このタイミングで召喚した一酸化炭素を転送……つまり、消し去った。
威力は加算される。
ドォッ!!!!!!!!!
全方位から迫り来る空気は、今度こそ全てを塵芥と成す。
これら全ての事象が、僅か二秒に満たない時間で処理された。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
通信直後。
クアン達十一名は、強化術・強化スキルを用いて、弾き飛ぶように駆けていた。
「クアン! 外壁越えて、街突っ切った方が早くね〜!?」
「危険過ぎだアホ! このまま外壁沿いに走れ!!」
確かに、直線距離を考えればそうなる。しかし、恐らく術者の狙いはリエル・アネッテの両名である。そうなればクアン自身も標的の一つに数えられていることだろう。敵の巣が張り巡らされた領域に飛び込むなど、ただの自殺行為と言えた。
第一、アネッテのオーダーに『無駄な死人は極力出すな』とあった。罠を警戒するのならば、市街地での活動は、可能な限り避けるべきだろう。
門前の行列を飛び越え、外壁北西部へ。
すると……
遥か前方。クアンの進行方向に陣取る十名程のシュラバアル兵が見えた。彼方も此方を認識したらしく、大声を張り上げて静止を促す。
「貴様等!! 止──「聞くな! 突破しろ!!!」
時速百五十km近い速度で進行する相手を、どうやって静止させるつもりだったのかは分からないが、考えたところで詮無きことだろう。ガルファンが既に一手を投じている。
「私が始末するッ!!! 『裁きの光』!!!」
ガルファン十八番の心中詠唱によって簡略化された、神聖魔法『裁きの光』が発動する。五百年前の大戦時、完全包囲された状況を覆すべく放たれた『裁きの光』。それを見たアルケー神の記憶なのだと言われるその呪文の威力は凄まじく、薄明光線にも似た光の柱に包まれた数名の兵士達は、肌を焼き爛れさせながら崩れ落ちた。
(数人程度なら必要経費か。仕方ねえ)
「ヒィィィ!!!」
それによって生じた隙間を駆け抜ける。障害は軽々と消え去った。しかし、クアンは一つの疑問を抱いていた。
(外壁を見回る兵士……俺達の目的地の先から来た……おまけに、俺達の立場を知った上で静止を求めるカス共)
つまりそれは、外壁を見回る兵士が運悪く黒衣の人間を見逃し、更に運悪く、その兵士がキィトス国軍の制服を着た集団に静止を求める愚か者だったと言うことを意味する。
(何かおかしい。何かが──!!)
遂に、ソレを視界に捉えた。