41話 哀れなライシンサ
「そ、そうですね」
名残惜しそうに指が解かれる。
《おう戻ったぞ。因みに、それならそう言うだろアイツなら》
(それもそうだな。訳わからん。それとお帰り)
《はいただいま》
聞くこと数秒。その提案はライシンサに拍子抜けしたアネッテによる、下らない意趣返しでしかなかったが、どこか無碍にはし辛い、不思議な魅力を放っていた。
……実に勝手な話ではあるが、肩透かしを食らったリンプファーも若干の怒りを覚えていたというのもある。
リンプファーに見せる「ローテンションなアネッテ」が本心で、それ以外に見せる「ハイテンションなアネッテ」は所詮演技でしかないが、全く茶目っ気が無いという訳でもないのだ。
《……ところで、俺様に妙案がある》
(マジかよ教えろ)
《今すぐにリエルを抱き締めろ》
(今すぐにテメェは首を締めろ)
リョウは気でも触れたかと勘ぐる。
《いやマジだって。やれ。やってみてください》
(はあ、意味分かんねえ。仮にやるとして、どの程度だよ)
《思い切り全力で。お互いの肩に顎乗せるくらい》
外に整列した男達は直立不動で視線を遠方に固定しているし、唯一自由なライシンサとの間にはスモークガラスが隔たっている。アネッテと何やら大声で歓談しているのも相まって、バレはしないだろう。運転手に対する気恥ずかしさこそ一瞬頭を過るが、その他大勢にバレないのならば、この男に関しては今更だと判断した。
そんなこんなで、リョウは言われるがままにそれを敢行した。
「えっ……リョウさ──はうっ」
驚いてはいるが、しっかりとリョウの背中にリエルの手が回されていた。
「……別に──」
ガチャッ……
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(まったく、余計な気苦労を背負わせて……)
先程までやや緊張していたアネッテだが、ライシンサの底が透けて見えた今ではこれこの通り。アークの思惑という懸案事項こそあるものの、目下の問題はクリアしたも同然。ならば後は此方のターンだ。
「でもさー!! 流石は切れ者と名高いライシンサだよね。部下の指導も徹底してるし。本国ならまだしも、普通ここまでしないって」
一同に整列させるだけの歓待ならば、他領でも受けた事がある。しかし、アネッテが注目したのはその練度だ。カカシのように動かないだけならばまだしも、視線まで固定させる徹底振りはそうそうあるものではない。
……もっとも、それが保身から来る行動なのだとアネッテは看破しているが。
「飛び地でこそありますが、此処もキィトスである事に変わりありません。それならば……高貴な方をお迎えするのであれば、相応の立ち振る舞いが必要でしょう」
「素晴らしいなー……他の大使共にも聞かせてやりたいよ。その言葉」
「ふふふ…………例えば、ダーマでしょうか?」
(何……? リエルは降りて来ないのか・こっちの目的を探る・ダーマの敬称を外して賛同のアピールの狙いがある。私達が怖いやばい逃げたい……? これはどうでもいい。でもこの内心で、笑顔が一切曇らないのは驚異的)
ここでリンプファーから連絡が届いた。準備が整ったらしい。支配下に置くとは言え、結果的にこの男を守るために動くのだ。此方の勘違いとは言え大層ビビらせてくれたこの男に、これくらいの意趣返しは許されるだろう。
「そうだ! リエルにも挨拶したいんだろうからさー!! 今降りてもらうね!!」
アネッテが、今やビックリ箱の蓋と化したタクシーのドアを開けた。
ガチャッ……
「──良いだろ? 誰も見てね──」
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「──良いだろ? 誰も見てね──」
ガチャッ……
「「「「「「……………………」」」」」」
この場に居る十三人全員。誰もが言葉を発しなかった。
整列した部下達八人は動かない。視線も固定した彼等は、状況すら把握していないだろう。
リョウは固まった。背を向けているので分からないが……否、ドアの開く音は聞こえた。その帰結は当然ながら理解出来る。しかし、理解したくない。合わせる顔も無い。その心情で現実から目を背け、リエルの首元に顔を埋めた。
リエルはドアが開き、その後数秒は耐えたのだろう……が、やはり耐え切れる羞恥ではなかったらしく、リョウの首元に顔を埋めた。
運転手は徹頭徹尾喋らない。これで沈黙は十一人となる。
アネッテは表情筋を固定してフリーズしているように見せているが、実際にはライシンサの内心を覗き見て爆笑している。
《ぶぅぁっはっはっはっはっはっ!!!》
(テメェやりやがったな……!!)
ライシンサの表情から笑顔が消し飛び、目は見開かれた。
(何だ? 何なんだこの光景は? 間違い無くヘーグバリ…………様の差金。間違い無い。だが、これを見せる意味は? 私に何を期待している? リ……レイス様の演技? ただの私に対しての悪戯……は有り得ない。まさか市井に向ける清廉なレイス様が本心? 分からない分からない分からない!!! 考えるな! 思考を読まれれば不敬になる! しかし、そもそも演技にしろ本心にしろ、レイス様にこんな表情をさせるこの男性は一体──!?)
(ああ、すっきりした)
恐怖と言う名の徹底的な情報統制が敷かれている為外部に流れる事こそ無いものの、軍内部、特に上層部に於いてリエル・レイスの残虐性及び無慈悲さは有名である。直近で言えば、キィトス国内の『平等の翼』幹部全員を拷問の末に殺害した『サボテン事件』だろうか。釘を全身という全身に打ち付けてから鉢に植え、わざわざ支柱に括り付けサボテンを模すような形で送りつけた狂気の沙汰。
無論、リエル・レイスが関わった証拠などどこにも無い。ただ前日に被害者達と会談しただけである。もっとも第三者達からすれば、それだけで充分過ぎたが。
その恐怖の象徴が! かような悪魔が! 今でこそ顔を伏せたが、先程はあろうことか頬を染め、百年越しの恋を叶えたような蕩けた笑みを浮かべていたのだ。ライシンサの動揺はそれはもう凄まじく、揺さぶられに揺さぶられた精神は過剰なストレスによって限界を迎え──
(ふふっ……レイス様にも、春が来たのですな。目出度い目出度い!!!)
──考えるのを辞めた。
アネッテは溜飲を下げた。
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