35話 ハシロパスカのアレやコレ
「因みに、一つの管理区に部下は何人居る?」
アネッテは「んー……」と言いながら長考する。長考する……長考する……頭を振り回す……長考する……頭を振り回す……
「これは長くなるな」と予想したリョウは、改めて外壁を見る事にする。鉄骨らしき物や巨大なタンク、果ては小さな梯子やイスなどが組み合わさり、積み上がり、何やら現代アートに見えなくもない。
今は更地になった元倒壊場所を通り抜ける際、先日と同様に見張りをする兵士の姿が目に入った。街に入る人間だけチェックしておけば、出る人間はチェックしなくても良い決まりなのか。或いはアネッテの姿を見ての判断なのかは分からないが、先日のように絡まれる事も無い。そして、昨日の兵士Aと上官らしき兵士は見当たらなかった。
その速度と見窄らしさ故にリョウは見逃してしまったのだが、門から少し離れた場所。そこに小さな献花台があった。安物の造花が捧げられた献花台には二つの血の付着したスカーフと、グレードが異なる槍が合わせて二本供えられていた。
「わかん! ないやっ!」
「そんな気ぃしてたわ……」
呆れた口調で返事をするリョウだったが、無論怒っているわけではない。運転手への謎の辛辣さを見るに、ベタ惚れの友人を前にして口を噤んでいるだけの可能性は払拭出来ないものの、社会的立場を笠に着ず、住所不定無職で記憶喪失の不審者とも気安く言葉を交わしてくれるアネッテには感謝と尊敬の念すら抱いている。…………正直に伝えるとウザいからおくびにも出しはしないが。
「全体で六十万人ということになってますから、単純に計算すると一つの区に五万人でしょうか」
「五万人……凄えな……」
「あー……確かにそれくらいだったかも」
この車の技術力を見るに戦車や装甲車程度の武力は有しているはずであるし、それだけの人間──ましてや先程のような理不尽な力を行使する魔術士が同時多発的に反旗を翻しても勝利出来るなど想像もつかない。この小さな体に、どれだけの力が隠されているのだろうか。
《あんま揺れねえもんだな。ただ、酔ったらちゃんとリエルに言えよ? 治してもらえっから》
(あんがと)
「しっかし、こんな土壌じゃ農業は大変そうだよな……」
窓の向こうには油で微かに虹色に光る荒地が広がっているのだが、普段から人や荷車の往来はあるのだろう。目に見える石を取り除き、踏み固められただけの道は辛うじて敷かれていた。
「魔物が出難い街の中央部で土壌浄化して、何かしら栽培しようって案もあったみたいだけど、言い出しっぺを含めてだーーれも土地を提供しなかったから頓挫したみたい」
「それは、中央部は地価が高いからか?」
「そそ。外周部は値段付かないけど、中央部は他の街と比べて若干安い程度には価値があるし」
「……じゃあ、結局何処で作物育ててんだよ」
「育ててないらしいよ?」
「は?」
「驚異の食糧自給率二%。まあ、その二%の内訳も街中の鼠と近くの森の雑多な魔物だけど」
「鼠」
「鼠は体長が六十cmくらいで尻尾が長い魔物の総称なんだけどー……その、リョウくんにはショックかもしれないけど雑食でね……」
《東京のドブ鼠を六十cm台にしたやつだと考えていいぞ。因みに尻尾は体長に含まねえ》
六十cmのドブ鼠と言うだけで人類が滅亡しそうな程の恐怖だが、挙句の果てに魔物である。間違いなく己の知り得る鼠よりも数段獰猛であろう。そして、あの環境ならばあり得るだろう。雑食で言い淀むのは、そういう事か。
「つまり……六十cmありゃあ、人間も襲えるな?」
「ふっふっふっ…………ある意味では養殖だよねっ!!」
「それを自給率に含むのもアレだし、しかもそれを食うってか………」
「まーでも、そんなん言ってたら魔物肉食べれないしっ! 竜タイプの肉は美味しいから魔物肉でも唯一キィトスで価値があるけど、いざ解体したら胃袋から装備が出てきたとかザラみたいだよ?」
まるで魔境だと思うリョウだったが、実際に魔物が棲んで居る地であるからして、この地はまごう事なき魔境なのだ。
「ま、まあ竜は兎も角、そんなんでよくハシロパスカ領はやっていけるな。今の話聞いた後だと、中央部の豊かさとか信じられねえけど」
先日リエルから教えてもらった地底海と地盤沈下の一件。これを恐れて高い建造物を建ててはいないようだが、それを除けば日本とほぼ遜色無い街並みだった。
「そりゃあ、キィトスとか他の領とかからお金貰って産業廃棄物引き取ってるしねー。冒険者も、廃棄物を修理してるジャンク屋も頑張ってるし、何より観光業が外貨稼いでるし」
「観光業?? そんなすごい見処あるのか?」
「そんな意外じゃないでしょー。いや、リョウくんは記憶喪失だからピンとこないかも知れないけど……珍しいんだよ? あんな意味分かんない外壁はさ」
「……そうなのか」
確かに、地球にこんな建築物(建築物と定義して良いのかは分からないが)があれば、間違いなく観光名所になっていただろう。
《地球の場合、どこからともなく正義の団体が金の匂いを嗅ぎつ(止めとけ)
………………
《現地住民が望んでもいない人け(止めとけ)
リエルは此方の胸に顔を埋め、半ばしがみつく姿勢に移行しており表情を窺えない……のだが、微かな震えと押し殺したような笑い声が聞こえた。何がツボに入ったのかは分からないが、楽しんでいるのなら良いだろう。初めて外壁を見た時に、お前は驚いていただろうと言い出されるよりは余程良い。いや、むしろこれは──
「──リエル。具合悪いわけじゃねえよな? さっきからあんま喋ってねえけど」
「ああそうそう! 忘れてたっ! リエルだよ!」
「……? どうしました?」
二人に呼ばれ、夢から醒めたばかりのように虚な瞳で辺りを見回しているリエル。やはり具合が悪いのだろうかと、リョウはあたふたとしながら声を掛ける。
「リエル!? ……ぐ、具合が悪いなら──「い、いえ! すいません。少し考え事をしていたので……」
食い気味に否定するリエルの瞳は、先程と打って変わって晴々としていた。
「まあ、リエルがそう言うなら良いけど……辛かったら我慢しないでくれよ? 別に、俺に何が出来るってわけでもねえけど」
「そんな……その、私は、側に居てくれるだけで「ぶうう」
「ぶうう?」
「だけでぶうう」とは何ぞやと思い困惑しかけたリョウだったが、リエルはアネッテへ目線を向けており、そこで気付く。そんなバカな声を出すのは、リンプファーかアネッテしか居ないと。
果たしてアネッテを見れば、両手で頬を潰して息を吐いて(ぶうう)いた。最大限ぶっちゃけて言ってしまえば「あっちょんぶりけ」の(ぶうう)構えであり、ノーメイクだからこそ出来る荒技であった。
「女性どころか、人間まで捨てちまったか……」
「アネッテ、ごめんなさい。そんなになるまで気付かなくて……」
「ホントだよ。イチャつくの止めないバカップルには、人間捨てた変顔でもしなきゃ気付いてすらもらえないからねっ!」
「いや、もっと遣り様はあると思う」
そう言えば、何度もアネッテの発言を遮ってしまっていた。アネッテのことだからしょーもない内容なのだろうが、本気で気分を害す前に拾うべきだろう。
「ごめんごめん。んで、どうした?」
「ん」
「ん?」
アネッテが指差す先は……リエル。相変わらず可愛い彼女がどうしたと言うのか。
「リエルがどうかしたか?」
「リエルも私と同じ」
「いや、だから同じて──」