34話 魔導士アネッテ
先程までの苛ついた声色とは打って変わって、楽しげな表情で此方に振り向く。これが彼女の素なのか、単にリエルの恋人だから優しく接するのか、この運転手が知らぬ間に地雷を踏み抜いたのか。
(長い付き合いになりそうだし、早めに地雷は見極めておきてえなぁ)
《この運転手がダーマの悪事に加担してたから塩対応なだけだ。気にすんな兄弟》
(そんな人間には見えんかったけど……さんきゅ)
「是非頼み──」
なんと リエルが かなしそうに こちらをみている!▼
………………
「──いや、善意は有り難いけど、ここは先着順でリエルにお願いしよう」
リエルは表情を綻ばせ、アネッテはナイス判断と頷いていた。
「キィトスは真円形の領土なんですが、百二万㎢の領土があるんです」
「ほう」
(単位がデカくて分かんねえよ)
《地球で言えば、モーリタニアよりちょい小さいぐらいだなぁ》
(小卒にも分かるように言えやぼけ。泣くぞコラ)
《エジプトよりもチョイデカな国だ。地球のランキングで言えば二十九位だな。それと兄弟、お前義務教育は何処に置いてきた……?》
(小銭拾いと違法バイトで金稼いでた)
「縦に輪切りにした柑橘類のように十二等分されて、それぞれ区分けされているんです」
「時計をイメージしたら分かりやすいかなー。右上から一で、最後が左上で十二みたいな感じ? 各区の人口は……だいたい五百万人前後だね」
「……ちょっとイメージしてみる」
(規則正しい国境線には理由があるって小学校の先生が言ってたな)
《だから中学校……まあ、いいか。別に植民地化されてたとかじゃねえよ。効率的に国土を運営すんのにその形になっただけだ》
「なるほど、イメージ出来た」
伝わった嬉しさか、アネッテとリエルは満足気に頷く。アネッテのアホはどうでも良いが、リエルが反則的に可愛い。好きだ。
「何か、失礼なこと考えたでしょ」
勘のいい女は嫌いだよ。
「……で、その魔導士っていうのは?」
「キィトスに六十万人要る『魔』術士を『導』く程の強さを有するから魔導士なんだそうです。キィトスに十二ある地区に一人ずつ、永久空席の第七区を除いて計十一人居る人達で、それぞれ担当区を統治しています」
………………
「つかぬ事を聞くけども」
「はいっ!」
「それって、凄え偉くて強い方々なんじゃね?」
「一番偉い人が魔王様でその次に偉い人が魔導士ですから……偉い、ですね」
リョウは助手席から身を乗り出し、此方を見ているアネッテを見据える。ニヤニヤとした表情を浮かべたその女は自分を指差しながら、「魔導士、魔導士」とアピールしている。
(ここは強気に話しかけた方が得策だよな?)
《タメ口で良いだろ。本人強っての希望だしな》
(おっけー)
「……例え魔導士でも敬語使おうと思えないのが不思議だよなぁ」
「ふふふ……それでも、アネッテは人気が高いんですよ?」
「ええー……」
「ちょっとー! 『それでも』とか、『ええー……』とか、流石に酷くない!?」
和気藹々と会話が膨らむ一方で、車は左側通行もなにも関係無く猛スピードで疾走している。そう、先程の五百km云々にはハシロパスカ内の距離は含まれないのだ。ここで経過する時間は、完全なタイムロスになる。
「そうそうリョウくん。それでさ──」
経路が逆なので分かり難かったが、先日乗車した場所を通り過ぎた。そして舗装道はとうに過ぎ去り、車は硬く踏み固められた地面を爆走している。車体性能が良いのか、そこまで揺れは感じない。このままなら門を潜るまでは平和だろうと考えたが──
「…………あぁっ!!!」
「な、なになにどうしたの!? 忘れ物!?」
「リョウさん。どうしました?」
「お客様! 忘れ物ですか!!」
アネッテが忘れ物かと問うた所為だろうが、リョウが忘れ物をしたと運転手の中では決定付けられており、サッと顔を青くした。それもそのはず、ここから大使館まで戻るならば、更にタイムロスが増える事になる。そして二人称がいつの間にか「お兄さん」から「お客様」にランクアップしている。
「いや、確か昨日、崩落事故があったとかなんとか……方角的に門の辺りだったと思うんだけど、今って通れるんだよな?」
「「「あっ」」」
リエルとアネッテと運転手の声がハモった。
そしてリョウはそれに気付き、指をさす。然しものアネッテも前を見た。そう、遥か前方に見えるのだ。通行禁止のバリケードが。瓦礫を除去する作業員が。
(「あ」じゃねえよ、こんのクソ運転手。通れねえ道くらいリサーチしとけや……いくらなんでも職業意識が低すぎんだろ)
《ブラック企業の中間管理職みてーなセリフだな。兄弟》
「うわー……………あー、まあいいやっ!!(ウィーン……)運転手さん。このままの速度で進んでてね」
「アネッテ様!?」
「おい! おい危ねえって!!」
そう言いながらアネッテがおもむろに窓を開けて身を乗り出し、スルスルと屋根に躍り出た。速度のメーターを見ると、その値は時速八十kmを示していた。相応の風圧がかかる筈であり、当然ながら危険である。
「リエル! アネッテを──(ドォォォン!!)──へっ?」
何やら大きな音が響いた……と思えば、知らぬ間に遥か前方で、作業員達を「シッシッ」と追い払っているアネッテが見えた。
「屋根から思い切り飛んだみたいです」
「屋根から思い切り飛んだんスか……」
轟音に気を取られて前方の景色から目を離したとは言え、あくまで数瞬である。時速八十kmで進む車体と逆方向だったならばまだしも(それでも人間技ではないが)同じ進行方向だったと言うのに認識すら出来ないとは。
アネッテが何やら瓦礫の山に手を翳している。刹那──
ゴガシャアアアアアアアアッ!!!!!
「何だそりゃ!!!!」
あまりの衝撃映像に、思わずリョウは後部座席から身を乗り出した。
──アネッテの掌から直径十mはある石柱が現れ、それが瓦礫の山を綺麗サッパリ吹き飛ばしていたのだ。
「『礫柱』でしょうか。大きな岩の塊を召喚して、ぶつける魔術です」
「!?」
『思わず』の反射的な行動故に、先程身を乗り出したリョウの動きはリエルの存在を一切考慮していない動きであった。だと言うのに、未だリエルがリョウの懐に居を構えつつ此方の胸に手を当てている。その事実に驚愕する。
突発的に身を乗り出すリョウの行動を察知し、此方がその存在を一瞬忘れるほど滑らかかつ自然に、無音で平行移動して見せたという事になるが、果たして人間にそのような芸当が可能なのだろうか。
アネッテの操る石柱は器用にもその巨体で未だ道に転がる瓦礫を除去し、それは数秒後に何処かに消え去った。
「ああ………………」
色々と許容範囲を超えたリョウは、感嘆の声を上げながら天井を見遣る。だが、アネッテがあれだけの膂力で飛び出したと言うのに凹みが確認出来なかった。更に言えば、そんな速度で飛び出しておいて平然と着地しているのも人間技ではない。
もう服の種類を判別できる程度には近くなってきたアネッテだが、突如その姿がブレた。
「おう?」
「ゴトンッ」と、天井から物音が聞こえた。
「おお?」
「(にゅうっ)ただいま〜」
開け放たれたままの助手席の窓から、ウネウネと身体をくねらせながらアネッテが帰還して来た。風で大きく乱れた髪とその気色の悪い動きは、何かしらの妖怪を彷彿とさせる。リョウは先程の物音は着地の際に生じた音だったのだと理解した。
侵入禁止のバリケードは急拵えの簡易な造りであったことが幸いし、作業員達によって既に撤去されていた。あとはそのまま門(先程の一撃のおかげで骨組みすら残って居ないが)を潜り、走り抜けるのみである。
「おかえり。魔導士って凄えんだな……」
「本気出したらこんなもんじゃないよ。魔導士には、自分の管理区の部下全員が一斉に反乱起こしても勝てるくらいの強さが必要だからね」