32話 リエルの友人
《いつ乾かすのかと思いながら見てたわ》
そんな会話をしつつ、ごく自然な動作でコンセントにプラグを挿し円柱形のドライヤーで髪を乾かした後、ハッと我に返る。
(ヤッベェ……今、ここが異世界だって完全に忘れてたぞ)
《忘れちまえ。キィトス行ったら車がぶおんぶおーんで、完全に日本だからな》
(ぶおんぶおーんってお前(笑)気でも触れたか? あ?)
《てんめぇ……》
とは言ったものの、今の発言はリョウの心の底に何故だか引っかかる。具体的には、昨晩そんな事を口走ったような……口走りながら、ぶおんぶおーんしたような……
いや、いくら酔っていたとて、そんな意味不明な言葉を使う訳がない。気のせいだろうと断ずる。
(ところで、軍服? だよなこれ。俺なんかが勝手に着て良いのか?)
《オーケーオーケー! 何も問題ねえよ》
(問題しかねえ気がするけど、そう言うなら……)
ドアを開いてリエル達の元に戻る。声をワントーン高くするのも忘れずに。
ガチャリ。
「ヘーグバリさん、お待たせし──」
「リエルの××××××に×××××ながら×××××を××××て×××を×××った後××××して×××も××××しまくった鬼畜リョウくん。おかえりっ!!」
ふらっ……と。
確実に、数瞬意識が途切れた。
念の為に記するが、これは主人公が意識を混濁させたが故に聴き取れなかったという描写ではない。コンプライアンスを遵守する為の苦肉の策である。
「リエル……どこまで話してんだよ……」
リエルはあまりの恥ずかしさか、俯いている。
アネッテが「大まかに事情を聞いておく」と言った手前、馴れ初めや人柄等を聞いているものだと思っていたが、まさか、いやまさか「事細かに情事を」聞いていたとは思わなかった。
「コイツ情事の内容しかリエルに聞いてねえんじゃねえだろうな」という予感を抱きつつ、俯き続けている情報ソースであろうリエルの横に座る。
「ええと、ヘーグバリさん? 僕の置かれている状況等は、リエルから説明されたんでしょうか?」
「……………………」
「……………………」
まさかのドンピシャであった。漏れ出る殺気を隠すべく、強くポーカーフェイスを貼り付ける。
(世界滅ぶ前に、この女滅ぼさねえか?)
《すげえ魅力的な提案ではある。コイツに使い道が無いなら諸手を挙げて賛成なんだがなぁ》
「リエルからリョウ・キサラギって人の身元調べるように打診あったし、カシュナにすんごい無茶苦茶な手回しもしてたし……となると、記憶喪失の人を拾ったとかかなぁって予想はつくんだけどねー」
『無茶苦茶な手回し』等の気になるワードもあったが一先ず置いておくとして、まさかのドンピシャであった。兎にも角にも立ちっぱなしも何だと思ったリョウは、リエルの横、アネッテの斜向かいに腰を下ろした。
「ええと……まあ、仰る通りなんですが」
「わーぉ。自然にリエルの横に座っちゃうんだ」
「あまりからかわないでくださいよ……リエルも、友達なら何か言って…………リエル?」
てっきりリエルは情事の一部を開けっ広げに語られた羞恥心で俯いているのだと思っていたのだが、いざ真横で観察するとどうも様子が違って見える。まるで重大な危機に直面しているかのような、そんな逼迫した表情をしていた。
リョウが再び名前を呼びかけて良いものか思案していると、不意に誰かに呼びかけられたように顔を跳ね上げ、辺りをキョロキョロと見渡した。
「リョウさん。戻って来ていたんですね。軍服もとてもお似合いですよ」
声色こそ自然だが、表情には未だ緊張が色濃く残っている。何かがあったという事は、容易に察せられた。
「リエル……何か問題で「いやーごめんね!! 実は本国でちょっとトラブっちゃってて、昨晩のプレイ内容聞いた後にそれ伝えちゃったからさー」
一応、説明されなかった理由はあるらしかった。ならば情事の方を後回しに……否、聞かずに馴れ初めを静聴していて欲しかったが。
「プレイ……うう……」
横で顔を白黒させているリエルだが、話した彼女にも責任はあるだろうか? いや……否、そもそも彼女の性格ではアネッテに押し負けてしまうのだろう。リョウはそこを責めるのは酷であろうと感じていた。
「リエルも恥ずかしがってますし、ヘーグバリさんもこの辺にしておいてもらえると……」
「それ! それだよーリョウくん」
《(どれだよクソアマ)》
ハモった。
「私の名前! ヘーグバリに、さん付けなんて余所余所しいなーって。これから長い付き合いになるんだろうし、敬語も初対面の今から無しにしちゃおうよ! ホラ! お姉ちゃんだと思って普段使いの口調で!!」
「おうアネッテ。これから宜しく」
「い、一瞬の躊躇いも無いんだね? ちょっとびっくりしちゃったよ」
敬語を使い下手に出るのが面倒な手合いだったので、渡りに船とばかりに乗ってみたリョウだったが、どうやらびっくりさせたらしい。だが未だ足りない。ツッコミと黙殺が許される程度にまで距離を詰めなければ、この女の手綱は握れまい。またもや性急と思われるのだろうが、提案したのは他ならぬアネッテだ。まさか文句を言いはしないだろう。
「アネッテは、何だったか……そう、ハシロパスカに住んでんのか?」
これは訳すると、「お前何しに来たん? おぉん?」である。
「まっさかー! 本国住みだよ! リエルが私とカシュナに同時に頼み事するなんて珍しいから、ちょっと見物に来ただけだよ。ついでに色々連絡はさせてもらったけど」
「なるほど……じゃあ、リエル。今日これからの予定ってどんな感じ?」
未だ恥ずかしがっていたリエルではあるが、多少強引にでも会話に復帰してもらう。
「ダ、ダーマさんにお礼をした後に、キィトスへ移動しようと考えてました」
「足はどうしよっか? 空飛んでく?」
「そうしようかとも思ったんですけど……」
「今後の事も考えて、経験積ませるために正規の手段で行くんでしょ」
「はい。車の手配「──は、もうしてありまーす!! あの距離飛ぶとか面倒臭いし!!」
エヘンと胸を張るアネッテは、どうやら車を用意してくれたらしい。動機は不純極まり無いが。
「それと、ダーマはリエルの報告で送還だからもう居ないよ。それこそ、今頃空飛んでるんじゃないかなー」
「………………そうですか。動きが早くて驚きです」
「イレギュラーもあったからねー……値の辻褄合わせだよ」
(そーかん? って何だ?)
《送還な。悪い事したから、本国で処断されるってこった》
(ほー……んで、言葉ほど驚いてるように見えないって事は、そういう事か?)
《おう。リエルが暴いたってこったな》
元から黒い噂のあった大使を宿泊のついでに詰問したかった。その処理がある故にリョウをダーマに合わせたがらなかった。これならば筋は通るが、そうそう都合良く、しかもあんな短時間で悪事を暴けるものなのだろうか? 或いは元々証拠を所持しており、リョウが居ようが居まいがここに乗り込む予定だったのか。
このとき、リョウの頭に一つの可能性が浮上する。
(なあ、リンプファー)
《応よ、兄弟》
(リエルって、もしかしなくても心読める?)
《そりゃ読めるだろ──
「終わった」と思った。
この段になってもなお、リョウの頭の片隅には昨夜のリエルの裸体が浮かんでいるのだから。
しかし、リンプファーの言葉には続きがあった。
──ただ常時発動してるモンじゃねえし、そもそも兄弟とその他一部の人間の心は読めねえけどな》
怒る気力も失せた。
(いやそれって、いざ俺の心読もうとした時に不信感抱かれんじゃねえの?)
「……から、もう今すぐ出れるんだよね。というか出よう! カシュナも向かってるし!」
「もしかして、既にシャーミに……? でしたら、空を移動した方が良いでしょうか……」
「いやー……着くのは昼過ぎって言ってたし、大丈夫だよ! 運転手にも用あるでしょ! ほら! 立って立って! 行くよー!」
「彼方は情状酌量の余地はあるかと思いますので、お手柔らかにお願いします」
「でも示しが付かないし──」
三人グループの内二人が、リョウの知らない人間の話で盛り上がりを見せていた。これは実に気まずい。
リョウとリエルはピョンと側に寄ってきたアネッテにぐいぐいと襟を引かれ、半ば強引に立ち上げられる。
だが、危惧している点が一つ。それは──
「……リエル」
「何ですか? リョウさん」
リョウは、先程の破壊の渦中……その一点を指差して呟く。
「出発するのは分かったけど、あの六つのボロ雑巾……俺とリエルの靴じゃねえの??」
そこには、リョウが初めから履いていた布の靴・リエルが履いていた軍靴・リエルが用意したであろうリョウの軍靴……だった物達が、死屍累々の有様で床にへばりついていた。
「「「………………」」」
「い、いや! 大使館なら予備くらいあるんじゃないかな!? 直ぐに取ってくるね!!」
駆け出したアネッテの背を見送りながら、リョウは先が思いやられると思った。
「この隙に、トイレ行ってくる」
「はい」
《俺の視覚と聴覚の同期は切っといてくれよ》
(……そうやって使うのかコレは)
《俺も空気を読んで、可能なら移動するけどな。一々宣言すんのも面倒だし、癖を付けといてくれや。ああそれと夫婦生活の時も切っとけ》
今まで碌な使い方をしていなかったが、これからは使用頻度が上がりそうである。
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