28話 風呂場
よくよく注目して見れば、リエルの周りには大小様々な水球が浮遊し、適宜水を(チュィィィィィン!!!)噴射していた。幾つかの水球はリエルの全身を隈無く移動している。恐らくは老廃物を吸着しているのだろう。
「それ……体も洗ってるみだいだけど、ボディソープも要らないのか?」
「ええ。男性ですと魔力を無駄にしたくないので野営の時にだけ使われる方が多いんですが……髪のお手入れにも適しているので、女性の方は日常的に使いますね」
そして「ついでに体も洗ってしまうんです」とも。
「…………さいですか」
再び鏡を見れば、リエルの周囲に浮遊していた水球が、パシャリと音を立てて床に落ち散った。恐らく役目を終えたのだろう。これは即ち、リエルが髪を洗う隙に自身が入浴を済ませるという計画が瓦解した事を意味していた。
鏡に映る自分の姿が多少若返っていたりしたが、「そんな仕様だろう?」と、何だかどうでも良くなってしまう。
「一度頭からお湯を流しますね」
「……お願いします」
ジャアアアアアアアアア……
シャワー要らずのリエルは虚空から温水を召喚し、リョウの体の泡を流していく。頭も洗うつもりなのだろう。シャンプーを手に掬い取り、濡れた髪にわしゃわしゃと撫で付け泡立て始めた。
(さあてどうするか……いや本当にどうすんだこれ?)
リョウは再び浴槽を横目で確認する……が、やはり何度見たところで二人で入るスペースは無い。
(……いつまでもウジウジウジウジ女々しいし、みっともねえ。いい加減覚悟決めるか)
わしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃ…………
(あぁ〜気持ち良…………じゃねえよ正気に戻れ俺。ここは男として、筋を通すしかねえ場面……そうだよな……)
「頭の泡を流しますね」
「お願いします」
ジャアアアアアアアアア……
洗い、終えた。
何処から用意し、いつの間に仕上げたのか。鏡越しに見るリエルの髪はタオルで巻き上げられていた。マジカルな手段を用いているのか、それとも良い髪留めを用いているのだろうか。それなりの高さまで巻き上げられた髪は揺れる気配すら感じられない。
(据え膳食わぬは……ってな!)
「リエル」「リョウさん」
「「…………」」
同時に互いを呼び合い、同時に沈黙する……が!
(ここで言わせちゃ男の恥だろ!!)
間髪入れず、再び名を呼ぶ。
「リエル!」
「は、はいっ!」
俯かずに顔くらい向けて言うべきかとも思ったが、真っ赤に染まった顔がそれを是としなかった。
「……風呂、一緒に入るか」
もっとも、表情隠して耳隠さずとでも言うべきか。すぐ後ろに控えるリエルには、その耳の赤さからまるで隠せてはいなかったのだが。
「はい!」
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
卵を縦に割ったような、浅く長い浴槽。そこでリョウは何故かタオルを巻いた股を力強く閉じ、直立不動の仰向けとなって入浴していた。
リエルはリョウの右半身からうつ伏せで覆い被さるように入浴しているが、彼我の間には薄いタオルが一枚あるのみである。防御力ゼロのタオル如きでは柔肌の質感を遮断することは叶わず、その瑞々しさとハリは遺憾無く伝達されていた。
「「…………」」
互いの顔は近いのだが、会話が無い。実に気まずいのだが、そんなことよりも普段の倍以上の速さで脈打つ心臓の鼓動が漏れやしないかと、そちらの方が気が気ではなかった。
「あー……あれだ、とろみがあって、良い湯だなあ?」
沈黙に耐えかねたリョウが口を開いた……のだが、その内容は稚拙の一言に尽きる。道を歩きながら「今日は良い天気ですね」と話しかけるくらいに捻りが無い。
手持ちぶたさな両手を、どちらともなく繋ぎ指を絡めた。
「……気に入ってもらえたんでしたら嬉しいです。けど、他にもおすすめのお湯はありますので、いつでも言ってくださいね」
リエルの雪のように透き通った肌は見る影もなく真っ赤に茹だっているが、これは湯温に起因するものではないのだろう。
「それじゃあ早速お願いしたいけど……大丈夫か?」
「勿論です。ただ、一度お湯を抜きますので少しだけ寒くなりますが……」
「いや……むしろ暑いくらいだから……あっ……」
「「………………」」
「お、お湯を! 抜きますっ!」
「……お願いします」
湯が消えると重力が再び趨勢を取り戻し、体がズシリと重く感じる。近くでキラッと何かが煌めくと、洗い場に大量の水が叩き込まれた。手っ取り早く排出したかったのだと思われる。リョウは「次はどんな湯なのだろう」などと考えながら、何の気無しに──否、湧き上がる助平心からリエルの身体を見遣った。すると──
「──あ」
「打たせ湯のように少しずつお湯を替える方法も…………? リョウさん? どうしま……し……」
「「………………」」
Q①:ピッタリと巻いた布が有らん限りの水分を吸収した場合、果たしてどうなるでしょう。ただし、対象はうつ伏せであるものとする。
A①:タオルが身体に張り付き、ボディラインを露わにします。うつ伏せの場合はヒップのラインも確認できるでしょう。補足するならば、タオルの素材と姿勢の如何によっては肌色や桜色も確認できることもあるでしょう。
正解。
Q②:異世界で、水で満ちた浴槽から瞬時に水を抜きました。浴槽内で重なり合っていた二人が居た場合、どうなるでしょう。ただし、重力加速度は地球と同一であり、魔力とかなんかそーゆーマジカルなやつは考慮しないものとする。
A②:急激に自重を感じ、二人は強く密着します。補足するならば、タオルの素材と姿勢の如何によっては胸の触感を強く感じることもあるでしょう。
正解。
つまり──
ピチッ! チラッ! ムニュッ! である。
「jadikakoui#motolunga@toiha!!」
「リエル落ち着「し、召喚っ!!」
……嗚呼。
今まさに天井から降り注がんとする湯は、多分に湯の花を含んでいるのだろう。刹那の時ではあったが、濁酒のように堆積物が舞い踊っているのが確認出来た。想定の数倍はあろう湯を仰ぎ見ながら、リョウはこんな事を考えていた。
(リエルは積極的で大胆だけど、不意打ちには滅法弱えんだな……)
ドバシャアアアアアアアアアアアア!!!
「ぶおおおおおおおおおおおおお!!!」
顔と胸板に当たる水圧は中々の勢いがあり、浴槽に湯が満ちる勢いが体に若干の浮遊感を与えた。元より浴槽に溺れるような深さは無い。ここは下手にもがくのではなく、リエルを安心させるために両手を繋いだままとした。
ザアアアアアアアアアア…………
「ふうぅ……」
この量だと洗い場の排水量のキャパシティは超えているだろうが、時間が経てば勝手に流れ消えるだろう。
「リエル、大丈……夫……じゃねえな……」
髪を巻き上げていたタオルは当然の如く流れ落ちている。リョウは次の行動を予測して、さり気なく両手を解放した。リエルから視線を外すことも忘れない。
「???」
リエルは散らばった髪を掻き上げる。その格好で髪を掻き上げられると、あまりの艶かしさに反射的に太腿に力が入るのだが、それを誰も責められはしないだろう。
此方の妙によそよそしい態度を疑問に思ったのか、リエルはコテンと首を傾げた。
──そして気付いた。
頭だけではなく、身に纏っていたタオルも剥がれ落ちてしまっていることに。
リョウは全力で天井を仰ぎ見ながら、剥がれ落ちたタオルを差し出した。あの水流の中、未だタオルが浴槽内に残っていてくれた幸運を噛み締めながら。
リエルは器用にもうつ伏せで浴槽に浸かったままタオルを巻くつもりのようだが、もぞもぞと動く際に手足や諸々がヌルリと擦れて妙な気分にさせられる。
「……色々と、その、中々良い打たせ湯だったよ」
言外に「良いモノを見させてもらったからな」と告げると、顔を真っ赤に染めて俯いた。
「何年経っても、こんな風にドタバタするんだろうな」と、なんとなくそう思った。
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