24話 プライドを捨てて
コンコンッ
「リョウさん。リエルです」
「はーい。どうぞー開いてますよー」
ティーバッグの封を切り、茶を用意せんとするリョウ。しかし──
「……すっげえコレ。ほら、ティーバッグが立体のカメレオンだ」
「とてもお値段がしそうですね……」
勿論、湯出す為に湯を注ぐのだが、こと忠実に再現されているだけに、カメレオンを熱湯で虐待しているようで気分が悪い。
「せめて、もうちょっとデフォルメしてくれりゃあ良いのに……リアル過ぎて怖いわ」
「お茶の色が紅いのも、妙にリアルですね……」
《リエルがリアルでリアルがリエル……ぶはっ! でゅふ!! ぶふぉっ!!!》
(…………)
ポンッ! と、光沢のあるピンク色の綱が現《俺、黙っとくな》
しげしげと湯呑みを覗き込んでいたリエルに向けて、茶を軽く差し出してみせた後、対面位置に進上する。言葉には出さないが、「まあ座れよ」という意味が込められていた。のだが──
リエルはリョウの右横にちょこんと座ると、しずしずと此方の二の腕を摘み、先程の湯呑みを手元に引き寄せた。言葉には出していないが、「ここに座ります」という意味が込められているのだろう。照れ隠しにティーバッグを置く為の小皿を差し出しながら、リョウはまず感謝の言葉を伝えた。
「あ゛、あー……その、ありがとう。俺がここに居るのも事後承諾なんだろうし、多分色々と……大変だったろ?」
「いえ、ダーマさんは優しい方ですし全面的に協力までしてくれましたから。ですけど、その……ハシロパスカの戸籍だけじゃなくて他領にも問い合わせてくださったんですが、リョウさんの手掛かりはありませんでした……すいません……」
「記憶が無い俺が悪いんだし、謝らないでくれ」
実際に諸悪の根源はリョウにある。異世界からやって来た人間の戸籍など、どこを探しても見つかるはずがないのだから。
二の腕を摘んでいた手が、するすると右手に絡み付く。未だ慣れない女の香りと感触に、初心なリョウは顔を背けた。
「リョウさんは今後、キィトス国内で永住を前提に生活してもらおうと考えてるんですが……構いませんか?」
「た、頼るアテも無いし、助かる……けど、そんな簡単にキィトス国で暮らせるのか?」
根本を辿れば先程の門番Aは、生まれ育ちの格差を痛感し、そして捻くれたクチなのだろうとリョウは考えていた。まるで、昔の自分を見ているようだとも。そんな人間が、他領やキィトス国への移住を考えない筈が無いのだ。しかし、それは叶っていなかった。
ここにリョウが居られる点から鑑みるに、数日の入国滞在程度ならばリエルの力でゴリ押せるのか、或いは許されているのだ。そして、この高い文明レベル。現状で考えられるとすればキィトスへの旅費が莫大な金額なのか、就労許可……所謂ビザの取得が厳しかったか。
(ビザなんて無い、フリーな国だったりすんのか?)
《いんや、ガッッッッッッチガチにキツイぞ。言語はクリアーしてるが、歴史・文化・倫理の理解を一定水準以上示した上に、自分の有用性をアピールしねえと無理だな。抜け道が無いわけじゃねえけど、普通じゃ無理だ》
(うわぁ……社会人になって、テストと無縁になったってのに……)
《底辺企業だったから、資格の勉強もなにも無かったからなぁ……》
これからの勉強漬けが確定したリョウは、暗澹たる気持ちになった。
「はい。なので永住権も用意しておきました!」
「おお!! ありがとう!!」
面と向かって感謝を伝えるため、膝立ちになり体を入れ替えようとしたリョウだったが、その手は意外な力持ちのリエルに固定されている。すると──
ズルッ!!!
「どわっ!!!」
「きゃっ……!」
体勢を崩したリョウが怪我をしないように、リエルが反射的に落ち行く頭を掻き抱いた。成人男性一人を受け止めても尚微動だにしない体幹は、称賛に値するだろう。
そしてリョウも無策では無い。しかりと左手で体を支え、床への激突を防がんとした。そう、つまり──
むにゅんっ!
「「あっ……」」
リエルの胸の谷間に押しつけられる形で、リョウの頭が固定される事になる。
お互い数秒のフリーズの後……
「ごめんッ!!!」
「い、いいえッ!!!」
言うが早いか、リョウは飛び退き距離をとった。と言っても、彼我の距離が零から数cmになった程度の差である。卓に向かい座り直し双丘から距離をとると共に、リエルを死角に配置する狙いでしかない。
「あ、あー! ありがとう! その、永住権とか、凄く大変だったろ!?」
「い、いえ! カシュ──魔王様とは友人ですから!」
魔王様……王と付くが最高権力者なのかは定かではない。だが、リンプファー曰く「かなり偉い」リエルが様を付けて呼ぶ程度には偉いのだろう。そんな雲の上に座す方に、間接的にとはいえ依頼をするのは怖いものがあるが……
《おう、兄弟。ちょっと離れるから、念の為リエルの側にいろよ》
(おう、また気ぃ使わせて悪いな)
《いやマジで召集かかっただけだから気にすんな。んじゃごゆっくり》
そう言い残し、リンプファーは何処かに消えた。別段、何かが抜けて行く感覚も無いため実感はし難いが、離れると言うならそうなのだろう。
「……じゃあ、キィトスで頑張って定職に就いて働きながら記憶を探ってみるかな!」
特別な資格など持っていないリョウだったが、健康的な肉体がある上、運転技術のノウハウ程度ならある。先程のTAXIを見る限り、操作方法は日本のそれと大差は無いらしかった。どうとでもなるだろう。
「肉体労働ならなんとかなるか」とボンヤリ考えていたのだが──
「実は、働き口も紹介出来るかも知れないんですが……リョウさんさえ良ければ、どうでしょうか」
「!!! 本当にありが……いや、でも、記憶喪失で自分が何をどこまで出来るのか分からないし、ここで甘えて大きなミスをしたら紹介してくれるリエルの顔に泥を塗る事になるだろうし……有難いけど、自分で簡単な仕事を探してみようと思う」
リョウは自分の学の無さを自覚している。リエルの紹介ならばどんなミスをしようとクビにはならないのだろうが、ここまで世話になっている人に──否、惚れた女性に恥をかかせる事はしたくない。勿論、負んぶに抱っこな現状から脱却したいという見栄もあるのだが。
(仕事内容くらい聞いてみれば良かったか……? いや、ダメだ決心が鈍る!)
「デスクワークは座っているだけのお仕事ですし、大丈夫ですよ?」
リエルは可愛らしく「ううん」と唸りながら、魅力的すぎる言葉を投下した。それに対し、リョウは──
「いいか!? リエル!! ……男にはな!! 惚れた女に良いところを見せたいプライドってヤツがあるんだよ!! 確かに魅力的な提案だ! 感謝もしている! ……だかな!! 俺は!! 自力でのし上がってみせるぜ!!! リエルと並ぶぐらい、凄え男になってやる!! そしたら!! その時はッ! …………俺と結婚してくれるか?」──などと言えるわけも無く、しずしずと頭をペコリペコリし、お願いしますをした。
「じゃあ……まずは学校ですね。すぐに卒業出来るように取り計らいますから」
「はぁ〜い!」
記憶もプライドも見栄も、何もかもを捨てたゴミが、そこに居た。
「夕食までもう暫くですし、先にお風呂の準備をしますね」
「はぁ〜い!!」
そしてこの男は聞き逃していた。
「デスクワークは」と限定されていた事を……
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