20話 金欠主人公
大使館に辿り着く直前、メイド服を着た女性二人がタクシーの停車位置を挟み込むように移動した。一歩たりともそこから動かないという意思を感じるが、車幅ギリギリのその立ち位置は運転手からすれば邪魔なことこの上ないだろう。
リョウがチラリと運転手の顔を見ると、やはりと言うべきか、彼は苦笑いを浮かべていた。
(色々と下準備もありますから、今日はここで泊まりますね)
(わかった)
リエルが耳に顔を近づけ、ぽしょぽしょと言葉を伝えてきた。
タクシーが停車してから一拍置いて、後部座席の両ドアが彼女達によって開放される。自動開閉の機構があるのだが、これが歓待というものかと素直に受け入れておく。そんな事よりも──
(タクシー代って、いくらくらいが相場なんだ? カウンター消されたけど、後で幾らか払うべきだよな?)
《いや、そもそもコレ、本当ならキィトス国軍関係者が指定範囲内で乗るんなら無料なんだよ。軍服相手に何も聞かずにカウンター回すとかヤベーから。多分、がめつい大使が敢えてそうさせてんだろ。アホくせ》
念の為、リエルが領収書の類を受け取らないか確認してから下車した。
《こまけえよ兄弟。リエルは兄弟が金欠主人公なことくらい理解してっから。金も有り余ってるし、喜んで貢いでくれるぞ》
(今んとこ好かれてる要素が分からねえし、嫌われないか不安なんだよ)
「こちらへ」と、メイドに先導され建物に案内される。此方の姿が見えなくなるまで待機するつもりか、タクシーはその場を動く気配が無い。
大使館に入ると、木の木目を生かした自然な雰囲気になっており、なんとも厳かな雰囲気である。リョウは外壁とのギャップに驚かされた。
玄関口は吹き抜けのホールになっていた。太陽光をしっかり取り入れる意向なのだろう。夕陽の赤が木の木目で跳ね返り、明るくも目に優しい色合いを演出している。
「三階、執政室にてダーマ閣下がお待ちです。ご案内します」
メイドに付いて行こうと、一歩踏み出そうとしたそれを──
「あの……すいません。まず、リョウさんを客室に案内してもらってもいいでしょうか……?」
「申し訳ございません。お疲れだとは重々承知しておりますが……」
リエルが留める。が、そうは問屋が卸さない。
大使の頭を飛び越えてこんな提案が出来る辺り、やはりリエルの社会的地位は(恐らく大使よりも遥かに)高い。だが、大使にも面子がある。いくら目上の人間だろうと、ましてやその紹介とはいえ住所不定無職に碌な挨拶も無しに宿代わりに利用されるなど部下への示しがつかないし、あってはならないだろう。リョウ個人としても、一飯の恩を受ける相手には礼節をもって接したいという想いがあった。
「…い…じゅつ……………ます」
「?? リエル、今何か言ったか? いや、それよりも提案は有難いけ「承知いたしました。すぐにご案内します」
(んんん?)
「ちょっと! サーチャ!? 何を勝手に!! 貴方、立場を──」
サーチャと呼ばれた女性にメイドが詰め寄るが、同様の思いがリョウにもあった。
メイド……とどのつまり、使用人である彼女らには考える権利など有りはしない。ただただ雇用主の命令を忠実に実行する存在であり、それ以上でも以下でもあってはならないのだ。今回のようなケースであれば、急ぎ雇用主に報告・連絡・相談してから行動に移るべきであり、間違っても勝手な判断をしてはならない……のだが──
「立場を立場立ちぃぃちぃぃいい立いいいいー……………そうですね。では私は、リエル様を閣下の元へご案内します。サーチャ、九号室の清掃は済んでいましたね? そちらへご案内を」
(!?!?!? おい! なんかもう付いていけねえぞ!?)
《リエルの魔術だから落ち着けや兄弟。ここの大使が色々とクソだから、合わせたくねえんだろ多分》
(魔術ってお前……!! いや、一応クソ野郎だとしても一宿一飯の恩があるんだが?)
《しゃーねえ、諦めろ》
(…………まあ、我儘言っても仕方ねえな。リエルに負んぶに抱っこな訳だし、俺も立場を弁えるか。第一、俺を気遣っての事だろうしな)
「えーと……リエル? 俺はメイドさんに付いて行って、部屋で待機してればいいんだな?」
「はい、大使の方とお話がありますので……ごめんなさい。少しだけ待っていてください……」
「いや、謝らないでくれよ。むしろ──
「面倒事を」と続けそうになり、すんでのところで踏み止まるリョウ。二人きりならまだしも、大使の部下の前でする発言として、あまりに礼節を欠いている。
──むしろ、何もしないでグータラしてる、俺の方が心苦しくなる」
「いえ! ダーマさんとは面識もありますから、多分堅苦しい仕事という雰囲気にはなりませんし……十数分で終わると思います」
「では行きましょうか!」とリエルが告げ、その場は解散となる。リエルはメイドと共に三階の執務室へ。リョウはサーチャに連れられ、階段を上らず一階の客室へと進んだ。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
数分後、技巧を凝らされた両開き扉の部屋に辿り着いたリエルは、メイドの精神に直接指示を出した。それは、絶対の誓いとして、永遠に精神に刻まれる。
「リョウさんは何よりも尊い人です。ここに居る間は、私以外からリョウさんを守ってください。ただし指一本触れることは許しません。私を伴っていない状況で、リョウさんを視界に入れる事も許しません。万が一視界に入れたなら、自分の眼を潰してください。以上です。通常業務に戻って構いません」
「承知しました」
去って行くメイドの後ろ姿を見送ると、リエルはそっと扉に指を這わせる。そして──
「“代償術式”を始動します」
「『紺璧』『衝打』」
ドッゴォォォォォォォォン!!!!!!
「ぎゃあああああああ!!」
先程通って来た廊下が、基本色数四十『紺璧』による水色の幕で寸断され、音漏れを防いだ。その数瞬後には、基本色数二十『衝打』の衝撃で吹き飛んだ扉が、高級なデスクと調度品を蹂躙する。室内ではダーマが悲鳴を上げながらも回避して見せた。それを見たリエルは一瞬驚きの表情を浮かべるも、「一応、魔術士だったか」と一人納得する。
ゆらりと部屋に踏み入ったリエルに対し、罵声が浴びせかけられた。
「何のつもりだぁ!! 貴ッ様ァァァァ!!」
誇張や比喩や皮肉ではなく、『服を着て、頭が付いたボールが喋っている』と……リエルが本気でそう思う程に、その男──ダーマは太っていた。
色々と本気で面倒臭くなってきたリエルは、更に一歩を踏み出し──
「──跪いて、喋るな。口を閉じろ」
「ぶぶぅっ!」
体が丸過ぎて、頭の位置が多少下がったようにしか見えないが、動かなければそれで良い。