16話 ハイファンタジーとは
何やら薄水色の膜が前後左右上下の全てに配置されており、さながら棺桶のよう。それらが外部からの音を遮断しているらしい。大慌てで土下座の姿勢をとった男はリエルを挟んで目と鼻の先なのだが、リョウには声どころか衣擦れ一つ聞こえてはこなかった。
(男として、どうなんだこれは。揉め事で棒立ちってアレじゃねえか?)
《この世界の常識一つ知らねえ自分が出張った所で何も出来ない。それどころか迷惑をかける可能性もあるから沈黙が金。それは理解している。だが、やはり無力感が拭えない兄弟は女々しくも、イケボで有能な頼れる兄貴分である俺から同意を得る事で安心を得るのであった………と言う事で!! お前は正しいぞッ!!!!! これでいいな!!??》
(やかましいぞッ!!!!!)
《ノリが良いなぁ兄弟〜! ウェ〜イ!》
(……………はぁ)
《テンションの落差!!》
適当に漫才に付き合っている間に話し合いが終わったらしく、リエルが此方に向き直り、薄水色の膜に触れた。すると同時に幕は消え去り、遮断されていた音も正常な形に戻る。のだが──
「話し合いは終わりましたので、街の中に入りましょうか」
「ああ、分かった。でもその……その人は? まだ土下座してるけど、解決はしたんだよな?」
話し合いにケリがついたのに、一言も言葉を発さず未だ土下座を続けられるこの状況。しかもリエルの肩越しには遠巻きに此方を伺う兵士達が見える。攻撃してきたアクティブ兵士と同様に質素な槍である事から、恐らくは部下なのだろう。ここで諸々をスルーしつつ門を潜るのは、色々とハードルが高い。
「私達への謝罪の意を示す為に、姿が見えなくなるまでこの姿勢だそうです。私は遠慮したんですが……リョウさんは、どうですか……?」
(俺は許すかどうかの確認か……それは良いとしてこの態度。相当地位の差があるって事だよな。そういやさっきエリートとか言われてたな。いや、もしくは、従属国か?)
《ほぼ従属国だ》
(なるほど、支配国のエリートさんか。そりゃあ怖いだろうな)
「詳しい事情もよく分かってない部外者だし、そもそも守ってくれたのはリエルだし。リエルの言う事に俺は従うだけで……いや、そうだな……」
「?」
リエルはコテンと首を傾げる。若干の上目遣いがとても可愛い。好きだ。
「見世物でもなし。この人の気持ちを汲んで、さっさと立ち去るってのはどうだろう。街に入っても……良いんだよな?」
「ええ、そこは確認を取りましたから……そうですね。そうしましょう」
パシリと右手を捉えられた。また手を繋いで行くのだろう。
未だ土下座をし続ける兵士の横を擦り抜け、遠巻きに見つめてくる兵士達を脇目に、そこら一帯の荒屋からの視線をも無視し、リョウとリエルは歩を進めた。目指すは街の中心部。富裕層が暮らす地域だ。
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未舗装の道を一時間程度歩くと、唐突に景色が切り替わった。
道は全てアスファルトで舗装され、歩道と車道が白線で区分されている。歩道には真新しい点字ブロックが敷設されているうえ、洒落たデザインの街灯と青々とした葉を茂らせた街路樹が植えられていた。街路樹が皆、ある程度の大きさに収められている事から、頻繁に手入れをされているのが窺える。道を挟む様に建てられた家々も規則正しく並んでいる。区画整理もしっかり行われているのだろう。それら家々には大小様々な庭があり、リョウの目を楽しませた。
(なんつーか、キャンプ場だな。やけに家と家の間隔が狭くて自然が無いキャンプ場だコレ)
《異世界らしくはねえよなあ。ガラスとか電柱とか普通にあるしよ》
リョウがキャンプ場だと言うのも道理である。そこら一帯全ての建築物が、丸太を利用したログハウスか、煉瓦造りかの二択なのだ。そこにアスファルトで舗装された道と等間隔の街灯が合わされば、現代日本人からの感想など押して知るべしだろう。更に言えば──
(服装が、現代日本と同じだしなぁ)
貧民街を歩いていた時から気付いてはいたが、通行人が普通にジーパンを履いたりTシャツを着ていたりしたのだ。無論、場所が場所だけに泥や油で汚れてはいたが、品質自体は高いように見えた。
そしてこの住宅街では、そういった汚れは見られない。つまり──
《いや、キャンプ場か……言い得て妙だな。ただ、もうちょい行けばコンクリの建築とかがチラホラ出てくるから、そしたら完全に日本の地方都市だぞ》
(ハイファンタジーって何だよ……)
「あ!」
リエルがサッ! と片手を挙げると、今まさに此方を追い抜かさんとしていた自動車が路肩にピタリと停車した。低速走行ではあったが、その走行音の小ささは電気によるものか。因みにルーフには『TAXI』の電灯が鎮座している。
後部座席の窓をスモーク加工までするとは、そのサービス意識の高さには恐れ入る。
(リンプファーよぉ、もうどっから突っ込めばいいのか分かんねえよ)
《いやあれ魔具だから! 魔力で駆動してっから! 超ファンタジーだから!》
「あれに乗って行きましょう!」
そして、リエルが挙げた手を下ろした。聞けば、タクシーはこのハシロパスカに合計三台しかなく、こんな外周付近で連絡も無しに捕まえられた事は相当幸運らしい。
刹那。
ドォォォォン………
「んん??」
腕を引かれるのも構わず、後ろを振り向いたリョウ。遥か後方で爆発が起きたらしく、ゆらゆらと黒煙が見える。黒煙の源泉など見えるわけがないと分かっていながらも、野次馬根性から半ば反射的に目を細めてしまうリョウ。
「………リョウさん? どうしました?」
「ああ、今の音聞こえなかったか? あそこだよ。位置的に、さっき通った外壁のあたりから……………………………………リエル?」
黒煙を見つめ、首を傾げるリエル。その口から出た蜂蜜のように甘く蕩ける声色。だが、その瞳を、一切の光を拒む泥沼の底ように濁り切った瞳を見て、リョウは思わず一歩後退らんとする。
「………リョウさん?」
リエルが此方に視線を戻すと、その瞳は元に戻っていた。
「あの外壁は無造作に積み上げただけですし、諸事情でよく倒壊するみたいです。住民の皆さんも慣れているでしょうし、大丈夫ですよ」
「……そうか。そうだな」
「リョウさんは優しいんですね」
「行きましょう」と手を引かれ、タクシーに乗り込むリョウ。リエルが運転手に目的地を告げると、音も無く滑らかにそれは加速する。
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