15話 彼女の側面
「リエル。つかぬことを聞くけど……ここって普通に空気吸っても大丈夫か? この防壁、凄まじく体に悪そうだし、門番もスカーフとか巻いてるし」
「私達は大丈夫ですから、安心してください。ただ……言い難いんですが……スカーフ程度だと気休めにもなりません。中央部なら別ですが、ここですと防塵マスクでなんとか、というくらいに汚染が酷くて……」
そうこうしているうちに、門前まで辿り着いた。門と言ってもアーチ状の建築物と多少のバリケードがあるのみで扉は無い。門番さえ居なければ誰もが素通りできるだろう。
その門番も、リエルは顔をチラリと見られるだけで素通りできてしまった。身分証の提示等はしなくても良いらしく、住所不定無職の主人公は胸を撫で下ろす。と──
ガシャンッ!
「このアマッ!!!」
「!!!???──リエル!?」
半歩先を先行していた筈のリエルが急に眼前に現れた。リョウは追突してしまわぬよう、咄嗟に足に力を込めて踏み止まろうとする。本来ならば蹈鞴を踏む事は避けられなかっただろう。そう、地面の材質が先程までと同じだったなら。
「!?!?」
軽々と踏み止まれてしまった事実に、突然変化した地面の感触に、思わず「何かを踏んだのか」と足元を確認してしまうリョウ。しかし、目線の先に異常は見つけられず、相変わらず赤茶けた地面があるだけであった。足裏に鈍痛を感じる程の硬さ、かつ異様な摩擦力を発揮しているこの感触は、既知の物質では表現出来ないものなのだが……
「これは、何のつもりですか?」
深窓の令嬢のような慈愛溢るる声色のリエルが、あろうことか強い怒気を孕んだ声を上げた。その手には槍の柄が握られている。門番がリョウを睨み付けている点で、リョウに振り下ろされたそれをリエルが掴み止めてくれたのだと判断するのは容易であった。
「いやあ、キィトス国軍兵士殿。エリートのアンタにゃあ用はねえよ。俺はただ、身分証の提示も無く素通りしようとした馬鹿に対し、職責を全うしようとしただけでね?」
「それは精が出ますね……手を引いていた事で察して頂きたいのですが、彼は私の同行者です。身分は私が保証します」
「アンタの言う事を真に受けろって? じゃあ門番はいらねえな?」
「念の為申し上げますが、何かしらの違法行為に加担していたとしても、貴方達に私を処罰・拘束する権限はありません。勿論これは私の同行者にも適用されます。兵士……ましてや門番なら、言い含められている筈ですが?」
「勉強が出来るお嬢様に教えといてやる。悪いけどな、現場はそんな理屈で回っちゃいねえんだよっ!!」
(コイツ、俺が怪しいってのは建前で、リエルの……法的な立場が気に食わねえから突っかかってるだけだよな?)
《コイツらはキィトス国軍の人間に治外法権で干渉出来ねえのが気に入らねえ。これは兄弟も話の流れで気付いたか。もう一つは嫉妬だな。こんな酷え環境で生きてる奴だから、安心安全なキィトスで生まれ育ったリエルが気に食わねえんだろ。更に言えば、リエルは線の細いthe お嬢様ってナリしてるし、お勉強だけで軍属になった頭でっかちだとでも思ってんだろうな。んで、そんな高等教育を受けている事も妬ましいってな具合で──っと! 兄弟はまだ喋らずに居ろよ? どうせ直ぐに解決すっから》
治外法権云々は、遥か上におわす方々がお決めになった事だ。リエルに言っても仕方がないどころか、武器を振り下ろすなど悪手も悪手である。高等教育とやらが妬ましいようだが、そんな事すら理解出来ないこのオツムでは豚に真珠だろう。ここで生きなければいけない点については同情するが、人は生まれる場所も、親も、才能も選ぶ事は出来ないのだ。
前世のリョウのように。
(優れた奴を羨んでも妬んでも、現実は変わらねえんだよな。運の無い自分を恨むしかねえよ)
《人生なんて、生まれで八割方オチが見えてるクソ運ゲーだからな……お! 上官が来たぞ!》
顔色を蒼白にした兵士が駆けてくる。その手には槍が携えられているのだが、門番兵士が持つ槍とは明らかにグレードが異なる逸品だ。恐らく、ある一定のラインより上の階級の兵士が所持できるのだろう。
「ぜああああああっ!」
その兵士は躊躇もブレーキも無く、そのままの速度で槍を水平に構え、石突きを門番の肩に突き出し、吹き飛ばして見せた。
「ぐぅああああっ!!」
正中線から外れた場所に当てたにしては、男はよく飛んだ。因みにリエルはインパクトの瞬間に器用にも手を離していたらしく、巻き込まれなかった。
「この度は、私の部下が失礼を──」
「リョウさん」
「あっハイ」
「今から機密を含んだ会話をしますので、少々音を遮断しますね」
「あっハイ」
「ここから動いちゃだめですよ? ──『紺璧』」
怒ったリエルに恐怖するリョウは、言われるがまま立ち尽くすのだった。
《尻に敷かれるタイプだよな》
(女を立てるタイプと言ってくれ)
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「……随分と職業意識の高い門番ですね? 惜しむらくは、頭と運が悪かった事でしょうか」
「あ、あの男は──」
「『平等の旗』の考えに染まったか、構成員かのどちらかですよね? 何れにせよ、良い度胸じゃありませんか……キィトス国第十一軍団長の私が、貴方達の面目を潰さないよう、配慮をして、わざわざ、そう、わざわざ、門を徒歩で利用したと言うのに──いえ、それだけならまだしも、私の命より大事な人に手を出したんですから……死ぬしかありませんよね? 死ななきゃいけませんよね? 殺されて然るべきですよね? 解体するしかないですよね? ここで、今、選んでください。貴方達二人が苦しんで死ぬか。この街全てが消し飛ぶか。答えないなら折衷案で、貴方達二人を可能な限り痛めつけてから、この周囲一帯を支持層まで消し飛ばす方向で進めますが」
「あ、あああああああぁぁぁぁぁ! ……申し、申し訳ございません……」
キィトス国軍に楯突いただけでも一大事だというのに、更には軍団長などと宣わられてはたまらない。情報過多に死の恐怖も合わさったその思考は、虚しく空転するばかり。そんな男に残された手段は、無様に這い蹲り、赦しを乞うだけだった。
「……街は運命値に? このゴミ二つは予定通り……ハァ……そうですか……では、“精神術式”を始動します」
眼前で這い蹲る男と、先程突き飛ばされ意識を手放した男の体がビクビクと痙攣しだす。
「死ぬまで喋らずその体勢で、そこに居ろ」
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