14話 アイロス渓谷⑦
──里長の右太腿が切断され、地面に崩れ落ちようとしていた。完璧な歩法に加えてリョウに視認出来ない速度での斬撃。
(どんだけ鍛錬を積んだら、こうなるんだよ)
リョウは驚いているが、一兵卒ですら自動車を超える速度で移動しながら魔法・スキルを放ちつつ、召喚付与式自動小銃によって900発/分の弾丸を理論上弾切れ無し・リロード無しでバラ撒いて攻め立てて来る世界である。
先の呪文の詠唱は魔導士級であるため別とするが、この程度の歩法と斬撃ならば、そんな彼等を束ねる補佐官級の魔術士であれば軽くこなす。そもそもこなせなければ、その地位には立てていない。非正規部隊まで含めれば、キィトス内に似た芸当が出来る者は百人近くに上るだろう。
こちらでは剣聖と謳われるステラでも比較して見ればこの程度。幾星霜と単身で侵略者を退けているキィトスが、如何に戦闘民族なのかが分かる。
(リエルがメイドさんの意識を操作してたことがあったな。つまり、里長の意識を操作して、嫁さんを魔物に誤認させたって訳か。でも、何だってこんなことを………)
「大分上手になりましたね」
「そりゃーどーも」
「貴方が最後の使徒です。何か言い遺すことはありますか?」
ピクリとも動かない里長を見つめていたリョウの耳にリエルの声が届く。それなりに遠く離れている筈だが、何か声を届ける魔法でも使っているのだろうか。
(本当に殺すのかよ。リエル)
里長は口を開かない。絶望の最中、声が耳に届かないのか。或いは、いっそのこと死を選ぶための介錯代わりに利用する腹積もりか。
「はあ…………残念ですけどあの人が手早く終わらせろと言っていますから、もう首を撥ねてしまいましょうか」
(確かに、リエルは度々不穏な行動をしてたようにも思うけどよ………)
里長は、未だ力無く地面に横たわっている。
「はいよー」
リョウは息を呑んだ。
「じゃあねっ!」
「よせっ!!!」
ステラが剣を振り下ろした。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
(今度は白い空間か。リンプファーと初めて会った場所に似てるな)
どこまでもどこまでも続く、白い空間。
しかし、光そのものが形を成したかの様なリンプファーの空間に対し、此方はやや趣が異なる。
リョウはしゃがみこみ、床を指で軽く撫でた。
「石灰岩………? いや、光源にもなってる。何故か発光する明るい岩なのか」
結論を出したリョウだったが、立ち上がることが出来ない。先程の情景が尾を引いているのは明らか。
(………リエル。どうしてあんなことを)
自分に見せていた優しい顔は作り物だったのだろうか? 出会いはリンプファーの差し金だと言っていた。つまり、リンプファーが手を回して彼女を操っていたのだとしたら………
(いや、まだ分からないか。相手によって対応を変えるのが普通の人間って生き物だし………)
敵と恋人。それらに等しく同じ顔を向ける人間など存在しないだろうと強引に結論付けると、強引に膝へ力を込め立ち上がる。
(信じてる神様が違うみたいだったな。イグニさんだかアグニだかを信じてる里長は、リエルからすりゃ異教徒って訳か。それにしても、あれはやり過ぎだと思うが………)
精神的に疲労が蓄積したリョウは「さっさと醒めろ」と頬を抓りながらアテもなく歩を進める。
(それにしても広い「此方です」──ッつとぉ!?)
背後からの声に飛び上がって驚いたリョウは、そのままの勢いで振り返った。
「近辺で反応がありました」
(人!! どこから湧いて来やがった!?)
一人は女性らしき輪郭をした純白の人形であり、先程口を開いたのはこれに当たる。
(人、じゃねぇな? これは女………だよな?)
目と鼻と髪は無く全裸。首や肘などの節目は球体で出来ている。声に加えて慎ましやかな胸部や肢体の形から女性をモチーフにしているのだと辛うじて理解は出来た。
「分かっている。世界め。それ程までに私を恐れるか」
(こっちは男、か。背丈は二人とも同じくらいだな)
男には目も鼻も有り、品のある顔付きをしている。色素は薄いものの肌にも色が有り、髪が長い。その長さたるや純白の髪が膝裏まで伸びているほど。聖職者なのかは分からないが白い法衣を纏っており「リエルを男性にしたらこんな風だろうか」と朧な印象を抱いた。
(偶然だよな? コイツ等、偶然、ここに来ただけだよな? 俺が見えてる訳じゃ無えよな??)
もしもの可能性を考え不法侵入への詫びとして頭を下げるも、女からの反応が無い。やはり見えてはいないらしかった。
「創造主様。奏上が──」
「分かっている。使徒が世界から消滅したことだろう」
(使徒?? さっきリエルが里長に使徒だの何だのとは言ってたが………)
「創造主様の聖断を為す者が居なくなりました。如何致しましょう」
「未だ嘗て起こり得なかった事態だ。逆に聞くが、現状を貴様はどう思う」
男は僅かな期待を込めて問いかける。しかし、答えは予想の範疇を超えはしなかった。
「素晴らしいことかと」
「………その通りだ」
期待を裏切られた失望もそこそこに、長髪の男は何かを探す様にしきりに辺りを見回す。次いで溜め息を一つ吐き、此方を見つめ口を開く。
「居るのだとすれば、その辺りか。聞け、世界よ。世界に根差した私を排する策のつもりなのだろうが、貴様の小細工は実に重畳だ。それは私の目的にも合致している。そう、貴様の言う通り素晴らしいことだ。その通りだが──」
「……………」
白い人形が無言で男へ向けて頤を上げる。目を閉じている様にも見えるその空虚な顔面は、接吻を強請る女性の姿を連想させた。
(世界? 世界には意思が有るのは聞いてるが………)
人形の首を撫でる様に男の手が添えられる。
ぎりぃっ………
(!?)
余程の握力が込められているのか、女の首からは軋みの音が鳴り、男の白い肌には赤みが差し始めていた。
(今度は仲間割れか?)
「──だからこそ口惜しく思う。どこまで浄化しようとも貴様は、創造主たる私の予想を越えられん。やはり私の想像を超える──…否、超え得る存在は、リンプファー・キィトスただ一人か」
(リンプファー? それより、この人形は失敗作だったってこと、なのか?)
「従順であれとは願った。だが、ここまで退屈な物とはな」
リョウには知る由もないが、この男の名はイグニエイト・ルヴェリオリ。世界のシステムを改変し強化された“浄化”術式の使い手であり、リンプファーにとって目下最大級の障害である。
本来ならば自身を最良の状態に保ち続ける効果しか持たない筈の“術式”は、強引に強化されたことにより凡ゆる不可能を可能にした。
「遍け──…“浄化術式”」
名から体は離れ、既に浄化とは名ばかりのもの。
人形の身体が粒子状に霧散し始める。
(女が分解される!? いや違う! さっきの里長の武器と同じ……!! これが“術式”の力なのか!?)
その実は、効果対象を自身の定めた規定(または理想)の物体・状態へと強制変換する能力。これはリンプファーの“変異”の上位互換に当たる。何より厄介なのは対象範囲の広さ。自身を含む半径数キロメートルを常に射程に捉えており、術式保有者には直接的に術式で干渉出来ないと言う世界のルールでさえも改変の結果、適用されなくなっている。
イグニエイトには壮大な計画があった。しかし、あまりにも壮大過ぎるが故に試行錯誤の連続であり、成果の確認にも膨大な時間を要する。
(完全に塵になった………)
その膨大な時間を生きる内に、イグニエイトは自分を震わせる様な存在を欲するようになった。人形もその一環である。尤も、所詮は砂粒を自身の理想へと変換しただけの代物。芸術家ではない彼は理想の顔など思いつきもせず、理想を押し固めた性質上、想定を超えるなど以ての外。
「ふふふ………世界よ。奴がこの場に辿り着く日を思うと、心が躍る」
イグニエイトはリョウに背を向け歩み去った。
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