13話 アイロス渓谷⑥
ジャリッ………
「くっ、ぶふっ………くっくっく──ふふっ………」
シュルッ………
(ん?)
近い。既に自宅の扉に手を掛け、中へと飛び込んで行った里長では有り得ない、至近での足音。加えて笑い声。押し殺した様なソレに続いての衣擦れの音。
(まさか!!)
何かの奇跡で蘇りでもしたのではと、リョウは目を開いた。
何処かの誰かに祈りが届いたのかと。
魔法が存在する世界なのだから、それくらいの救いが有っても良いだろうと思いながら。
「ステラ。ねえステラ。聞きましたか? 『ハァアアァッ!!!』って………ば、バカみたいっ…………こ、殺して、ふふっ、殺したのに──ぶふっ、くくくっ!!!」
「その人、どうするの?」
「も、もう、ステラったら………共通語が日本語に移行してから暫く経つのに、まだ言語に不自由しているみたいですね。コレはもう人じゃないんですよ? ただの物です。この場合は『その人』よりも『それ』が適当です。分かりましたか?」
この物言いには流石のステラも思うところがあった。言葉に出しこそしなかったが、半眼でリエルを見つめ不平を伝える。
「いやですね………そんな目で見ないで下さい。カシュナじゃあるまいし、私に死体を弄る趣味なんてありませんから」
リエル・レイスが居た。
笑いを堪えているにもかかわらず満面の笑みで。
ステラが「はあ」と溜め息を一つ。不平は伝わらなかったが、今に始まったことでは無い。
「そのカシュナさんてのも知らないんだよね。いつか会ってみたいかも」
「会う必要ありませんよ。あんなもの」
「ものて。それこそ人間でしょ?」
「いえ、私の持論だと人間なのか疑わしいですし………あっ、そんなことより!!!」
「元気だね」
「さあ、世界を救わないと!! リョウさんのために!!」
「……そうだね」
モチベーション・使命感への振れ幅が余りにも大き過ぎる。洞穴の中での涙が「鬱」であるなら、今は「躁」だろうか。この後に揺り戻しで起こるであろう「鬱」を考えると、流石のステラでも憂鬱に、そして返事もおざなりになる。
(リエルとステラさん。いつの間に……)
リエルは横にステラを配し、右手一本でアナイシャの亡骸を掴み上げている。
(…………)
頭部が無いとは言え比較的大きな女性である。その重量は衣類等を含めれば五十と数kgはあるだろう。それを片手で、アナイシャの胸倉のみを支柱に掴み上げるとは尋常でない腕力である。混迷の極みに立つリョウは嘗てのエレベーターでの一件を思い出しながら「あのピンチ力なら出来るだろうなぁ」などと、暢気に考えていた。
「さて」
会話をしながら、手慰みに指先でバッグを揺り動かす様な気軽さでプラプラと遺体を振り動かしていたリエルだが、不意にその動きを止めた。
「来るね」
「ええ」
「処分して良いんだよね」
「はい。多少は気が晴れまし─………いいえ、やっぱり少しは甚振って下さい」
「はいはい」
(???)
動きの余韻から「ゆらゆら」と揺れ続ける遺体。それを──
「えいっ!!!」
──里長の家の扉へと投擲した。
(ンなッ!?)
異様の一言に尽きる光景。遺体を投擲するという事実もそうなのだが、その投げ方が異様だった。
頭から体幹・足までもをピタリと静止させ微動だにさせない。まるで卵でも投げるかの如き軽やかなフォーム。
直立不動の姿勢で腕だけを動かして肉塊を投擲して見せたリエルは、悪趣味な人型のピッチングマシンを思わせる。
(投げっ──!?)
空中で側転を繰り返す遺体が歪な放物線を描いた。
ステラが剣を抜いた。
扉が開いた。
………………
…………
……
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
先程、ドアを開けた際に叩き付けられた遺体。顔が無くとも、誰のものなのかは分かる。
「はじめまして」
血管が急速に拡張され血液が沸騰する。哀しみ・怒りの感情も湧く。だが、心の底からの動揺は無い。
分かっていた。
覚悟もしていた。
家の周囲に魔物が跋扈し肉片が飛散した地獄。そこで妻だけが生き残るなど、そんな奇跡は有り得ない。あくまで、一縷の望みに縋ったに過ぎない。
「こんにちは。貴方は神を信じますか?」
距離があるが、その遺体を挟む様に立つ人間。やけに髪の長い一人は知らないが、もう一人は知っている。
「人生は、しばしば旅路に例えられます」
「美しい」と、そう思った。先日来訪したアネッテや、このステラとやらも顔立ちが整っている部類だが、アレは格が違う。
だが、あれは人ではない。そう直感が告げている。
知らない女は説き続ける。
「アルケー様は、その遍く広がる旅路に道標を与えます」
剣と殺気を携えた女──…ステラと言ったか。それが隙の無い佇まいで歩み寄って来る。
「やはり布教か」と結論付けると共に「その為に大陸中をこれほどまでに混沌へと陥れたのか」と憤りを覚えた。
「お前達──」
「旅路は無限に広がり続け、重なり、やがて路の様相を失い、終いに荒野の如く拓け、我々の幸せな未来への到達を阻みます。ですが案ずることはありません」
配慮のつもりなのだろうか。敵はアルケー教の推進する日本語では無く、嘗ての大陸共通語で語り掛けて来る。
その戯言と下らない配慮に叫びそうになるが、寸でのところで堪える。
怒りのまま飛び掛かる様な真似はしない。
「さあ、遍く全ての神の子ら。その旅路に幸福を。アルケー様を信じる者の行く末が、輝かしい未来と呼ぶに足るものでありますように!!!」
暴力の応酬である戦い。その中でこそ冷静でなければならないのだ。
ステラが駆ける。
里長は武器を構える。
リョウは二人の気迫に息を呑む。
剣を片手に持ち替えたステラが、指を指した。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「身のこなしが違うな」と思った。
駆け出したステラが流れる様な滑らかさで距離を詰めるのに対し、里長の動きはどこかぎこちない。勿論、動揺も有るのだろう。迎撃するべく構えを取って居たが、リョウの目から見ても実践経験の差は明らかだった。
駆けつつ、ステラが指を差す。それは彼女の進行上、二人の間に横たわるアナイシャの遺体。
(何だ? 何で指差してんだ???)
里長は数歩分右斜め後ろへとバックステップした。「遺体に何か細工が施されているのかも知れない」「何かの符牒か」「このまま妻の遺体が敵に足蹴にされるのは忍び無い」といった思考から来る行動だったが、ここではたと気付く。
「な、何故──」
(ああそうか)
ステラが指を差した先。それは切断された遺体の首の断面。
その断面は、白く分解されていた。
リエルが微笑う。
里長の手から武器が溢れ落ち、眼から涙が溢れた。
(里長は気付いてなかったんだよな………)
その傷口はイグニ神から下賜された武器でしか起こり得ない《浄化》、リョウの言うところのカビが為されていた。
「………『銀濤』」
(!!!!!)
基本色数二万『銀濤』。召喚魔術に於ける身体強化の、常識的な限界点である。これを超える色数になると、反動で自身の肉体が四散するリスクが跳ね上がる。
ステラが踏み込むと、「トンッ」と軽やかな音が響く。
未だ二十数歩の間があったが、ステラはその距離をこの一動作で駆け抜けた。
(すげぇ!!)
どの程度の衝撃波を召喚し、それをどの角度の足裏で受け、その結果どの程度移動可能なのかを完全に理解しなければ出来ない動き。これがリョウであったならば、リンプファーの補助を全力で受けても尚微調整の為に二、三度は足を地面に着けていただろう。更に──
(里長の足が!! いつの間に!?)