12話 キィトス国内にて
同時刻。キィトス国第二軍団長テルミッド・ラインと、キィトス国第一軍団長シルーシ・チャイは、その報告内容を聞き二人揃って頭を抱え、二人揃って項垂れていた。
「意味が分かりません……」
「意味が分からんのう……」
対面する二人の間に備え付けられた机。シルーシの焼酎が注がれたグラスの氷が、カランと音を立てる。
そもそもの発端は、第十一軍団長リエル・レイスの壁外遠征であった。
アルケー教教皇でもあるリエル・レイスは毎年十月に復活祭を行うため、単身聖地アルシュテイへ向かい、ついでとばかりに教会に所属している聖人達との会議及び信徒達へ向けてのパレード・本部各部署、各領支部への視察等を済ませる。一週間でこれら全てをこなす強行軍なのだが、渦中のリエル・レイスはこの期間以外は壁外に出る事はなかった。それはある一度を除いて、この三百年保ち続けたある種の法則だったのだ。
「前にあった予定外の遠征は人材確保が目的じゃったな? 確か名前は……クアン・ジージーじゃったかのう。例の三一八小隊の」
「百年前のヌレタルジェロ氾濫は正式な派兵ですし、目的不明で言うならばその通りかと」
「三一八小隊が設立されてから、リエル・レイス自身は暗躍しなくなったかと思うたが」
シルーシはお手上げとばかりに天井を仰ぎ見つつ、大きく溜め息を吐いた。
「お主の“術式”でも答えは出んか? ……いや、それはないのう。大方情報が少な過ぎて複数の可能性が浮上し、それらは推測の域を出んといったところじゃな? それでも構わんよ。一先ずは聞かせてくれんか」
テルミッドも小さく息を吐きながらグラスに口をつけた。グラスの中身は蜂蜜エールである。エールと蜂蜜の割合が三対二というイカれた配合のモンスタードリンクだ。
「まずリエル・レイスの目的が、彼……『リョウさん』だという事は明白です」
「とうに調査を終えた禁足地に一直線に寄り道もせず向かう理由は謎じゃったが、そこについては疑問を挟む余地がないのう。問題は──」
「彼女のあの演技、ですね?」
「うむ……冷酷なリエル・レイスが民衆の前で人間の皮を被るのは理解できるが、この男の前で、そう振る舞う意味となると……むう……」
未だ幼さを残す小さな顔、白磁の様に透き通る素肌、サラリと溢れる様に流れる髪と、清楚を絵に描いた美しい女性ではあるのだが、戦闘内容は残虐の一言。それなりに周囲の建築物や無関係な人命に気を配りはしているが、基本的には広範囲殲滅魔術を叩き込んだ後、生き残りを文字通り足で踏み潰すか、手で握り潰すか、斬り捨てるというスタイルだ。その対象が泣き叫ぶ乳幼児であろうが、それを庇う母だろうが、この身と引き換えにと請い願う者だろうが、眉一つ動かさずに遂行してみせる。
この二人はリエルを敵として認識している訳ではない。それどころか、新兵時代に引き立ててくれた元上官であり、恩義がある。だが、どこか本能に近い部分で恐怖し警戒していた。それ故に密偵を放ち、状況を報告させていたのだ。
リエルが禁足地に足を踏み入れたのが一昨日の昼頃。あの化物を足音の響く屋内で、ましてや漆黒の暗闇を灯り無く追跡するなど不可能であると判断した密偵は、せめてもと集音用小型魔具を各所にばら撒いた。それでも行動に移せたのは、リエルが禁足地に侵入してからたっぷり二十四時間後。つまり前日の昼頃だったが。
そして先程、それら機材から音声データを受信した。出入り口からほど近い第二三ホール付近のデータだったが、それが二人を思考の海に叩き落とす事になる。
「単純な思考ですが、まず『リョウさん』の実力が圧倒的──そう、リエル・レイスを凌駕する程の実力を有しており、彼女は彼を懐柔する為に女の武器を使っているというものです」
「それは考え難いのう。千歩譲って……万歩譲って、リエル・レイスを圧倒する実力があったとして、あの女は生き物の心を支配出来る“術式”があるじゃろう。その“術式”に耐性を持ちつつ、実力もとなると……のう?」
その時、テルミッドの右睫毛がピクリと反応した。付き合いの長いシルーシは、これが部下から連絡を受けた際の癖であると理解している。
「!! 部下からの報告じゃな!?」
「ええ、有り得ないと切り捨てていましたが可能性②です。彼が史上類を見ない聖人という説は如何でしょう?」
「むう? ……まあ、アルケー様からの神託があったのは確かじゃろうが……そう考える理由を聞いてもよいか?」
「実は、この禁足地……監視用魔具を管理している第六軍団に問い合わせましたが、ここ一年間、一昨日にリエル・レイスが来るまで人はおろか生物の出入りが無いそうです」
「空間転移ときたか……ふむ……段階を追って整理するぞい……あの男がアルケー教の聖人とすると……奴は聖遺物の『落とし子』を用いて魔具の探査範囲を乗り越えた……いや、若しくは、何者かに転移で禁足地に飛ばされた可能性もあるわけじゃな? しかし、どちらにせよ──」
「──ええ、その二つの説のどちらにしても、そもそも彼があんな場所に転移する理由が分からない。まず転移で遺跡内に自ら飛び込むのは自殺行為です。僅かにでも座標に差異があれば、壁の中に転移して生き埋めですし、地底海なんて言うまでもありません。そして殺す手段として見ても、この方法は不確実です。術者は転移先の状況をある程度認識出来るというレポートもありますし……わざわざ生存の可能性を残す意味がありません。殺すなら、もっと浅い岩盤内に転移を行い、生き埋めにすれば良いのですから」
シルーシは考える。が、答えは出ない。降参だとばかりにプラプラと手を振り、続きを促した。
「聖人はアルケー様にとって、非常に重要な代弁者です。彼を確実に懐に迎え入れるため、一芝居打ったのでは……と」
「……まさか」
「聖人である彼は、アルケー教の手先によって禁足地に転移させられた。若しくは『落とし子』を持った何者かに無理矢理にか、自殺するつもりかで転移し、実際に地底海か岩盤内に転移した。それを事前に察したアルケー様が、リエル・レイスに『聖人である彼を引き入れろ』と神託を行ったとしたら?」
自死を選ぶ程に絶望を知った男、一寸先さえも分からず恐慌の最中にあった男。そして、それを助ける可憐な聖女……なるほど確かに籠絡は容易いだろう。アルケーが“術式”を使わせない理由が未だ謎ではあるが。
「つまり、自作自演の籠絡劇というわけじゃな? あの男……リョウが死の恐怖に直面するのを敢えて見逃したと。そして、弱みにつけ込んで手元に置くんじゃな? じゃが、“術式”を使って支配しない理由が……いや………そうじゃ!! 聖人の神託にとって、リエル・レイスの“術式”はノイズになり得る……!? だから使わせずに………いや、ついつい乗せられたわい。そこまで言えばなんでも有りじゃろうが。第一殺すにしても、死ぬにしても、もっとマシな手段が幾らでもあるじゃろうし。まあ、アルケー教の手先によって転移された可能性はあるわけじゃし、考えの一つとしておこうかの」
「次に可能性③ですが」と言いながら、テルミッドはグラスに口を付けた。鼻から息を吸い込み、蜂蜜の香りで鼻腔を満たし、再び言葉を紡ぐ。
「遺跡内に存在する『エイヘビムカデゲジゲジ』の魔術で、瞬間的にダンジョンが生成された。彼はそこを通ってきた異世界人という説は如何です?」
「それを籠絡するように、神託が下ったと? しかし、瞬間も瞬間じゃろ? それも、ゴーストのような精神生命体がギリギリ通れるか、通れないか程度の穴しか開かんじゃろうし……それは没かのう」
では最後に、と一度テルミッドは言葉を区切る。
「アルケー様から神託があったということは同様です。ただその内容が、彼を救助するだけだったとしたら? そうなると彼女のこの行動が、単純な恋心から来る物という事になります。これが可能性④です。さあ、シルーシさんはどれを推しますか?」
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お互い沈黙すること数秒の後。
「お主にはジョークの才能が無いようじゃな? あれにそんな、人間らしい感情は無い。じゃから頭を抱えておったんじゃろうが」
「ハハハ! これは手厳しい!」
「とはいえ、冷静さを取り戻せた事は礼を言うぞい。何にせよ第二三ホールと言うことは、休憩が終わり次第すぐにでも出てくるじゃろう……ここはやはり様子見じゃな?」
「ええ、反乱を企てでもしない限りは手を出すつもりはありませんでしたし、このまま様子見──と言いたいところですが、追加で面白い情報がありまして」
「そろそろ頭が痛くなってきたのう……焼酎よりも、お主と同じ蜂蜜エールにするべきじゃったか」
「いえいえ! トラブルではありません! 前代未聞ではありますが、予想通りの定石ですよ──」