11話 アイロス渓谷④
「じゃあ……!!!」
リエルの目に暗い光が宿る。先程までステラと温もりを共有していたリエルの両手は妄執に囚われ、自分を抱き締める様に、腕を組む様に、強く強く強く自身の二の腕を掴み、ギリギリギリギリと病的に掴み締めていた。
世界はこの情景を『妄執の腕』とでも表現するのだろうか。
「あの里長の夫婦を!! 私達が考え得る中で一番惨たらしい方法で殺してやろうと思うんです。私の考えだと、女の方は旦那の死体の横で一晩中、いえ、三日三晩! 村の枯れた老爺共に代わる代わる輪○させてから──」
(もう、もういい。止めろ………)
想い人の口から発せられるあまりの汚言の数々に、リョウは耳を塞いだ。
ザザザッ!! ザザッ!!!
「い゛痛ぅッ!!」
最早お馴染みの頭痛が流れる刹那、場面が切り替わる。
(ッ!! 森の中!? 今度は一体──)
「………何故だ」
(!?)
三ツ眼の魔物が十体。相対するは里長と槍を持つ二十人の戦士。
三十の瞳、二十の槍。それが膠着する。
(今度は戦闘か………)
まだ娯楽として見られるだけ、先程までの情景よりは気が楽になる。リョウは鬱々としていた肺の中の空気を全て吐き出し、新鮮な空気を吸い込みながら闘いの行く末を見守った。
(こいつらの内の何人かは死ぬんだろうが、思い入れの無い奴が何人死んでも別にどうでも良いしな)
「里長! あの腕輪は──」
「分かっている」
渓谷に蔓延る者。翼の生えた蛇のようなその細長い胴体からは、人間の腕の名残が見て取れた。そして、そこには、見覚えのある腕輪があった。
(腕輪。化け物が着けるには場違いな……)
「──あの腕輪は、ファイザの物です!!」
「分かっている!!!」
犠牲になったと思われていた兵士の装飾品を身に付けた魔物。十体とは、巡回をしていた戦士達の数と同じではなかったか。
更に、このタイミングで来訪して来た二人の不信心者。そもそも、アルケー教とやらが勢力を拡大し始めたのは、きっかけこそ大災害の予言からではあったが、時期としては魔物と呼ばれる危険生物の出現と同じだった。賤陋にも人々の不安に付け込んだ卑怯者だと思っていたが──……
「そういうことか」
点と点が繋がった。
「邪教徒共。人間を魔物に変えていたか!!!」
………………
…………
……
里長の思考が流れ込んで来たリョウもまた、思考の海へと漕ぎ出さんとしていた。
(人間を魔物に変えた? アネッテがか? 馬鹿馬鹿しい)
人の腕が千切れ飛び、怒声が響く。ゴア表現の強さから戦闘は娯楽であるとの思いは消え去り、リョウは目と意識を逸らした。
(そんな魔法有るのかよ。リンプファー)
答えは無い。代わりにもならない爆音が響くが、それは三ツ眼──否、元ファイザが崩れ落ちた音だった。
水に落ちた犬を叩くべく、里長が精霊魔法を放つ。
「二十の魔力を充填し招来。精霊はここに!!!」
或いはジュニアやティーダがこの惹句を聞いていたのなら表情の一つでも変えたのだろうが、リョウには知る由も無いこと。そんなものは意に介さず思考を続ける。
(………馬鹿は居ないんだったか。にしてもおかしいだろ。鎧が発見されたんだよな? なのに腕輪だけしてるっつーのもなぁ。アネッテに強引に疑惑の目を向けたい奴の差金なんじゃねーのか? いや、腕だけは人間サイズだから取り残された? いや、そう言えばさっきエムステラさんが兵士を魔物に変えただとか……)
戦いは激しさを増す。
「受け止める!!!」
(!? おいおい。そりゃ無理だろ)
空から突撃してくる魔物を迎え撃たんと、里長が黒い警棒を構える。
(どの様な原理で空を舞っているのか本当に摩訶不思議だが)大きさから見るに魔物の質量は数トンにも及ぶだろう。彼の無謀は、滑落してくるトラックを棒切れで受け止めようとしているに等しい。
(死んだなありゃ。南無阿──…『キィンッ!!』ああ゛!?)
甲高い音が響いたかと思えば、魔物が軽々と吹き飛ばされた。
(嘘だろ!? 里長強え!!)
受け流された魔物だが、様子がおかしい。
ギギィィィッ!!!
(何だこりゃ。カビか?)
苦悶の声を上げながら地面でのたうつ魔物。その身体の至る所から白い斑点が浮かび上がる。訝しむリョウがしげしげと眺めていると──
(カビが、あっと言う間に全身に!?)
浮かび上がった白い斑点が重なり合い、最早斑点とは呼べない様相を呈する頃には、既に凡そ魔物の身体の半分がボロボロと崩れ消えていた。
(一撃、たった一撃相手に触れただけに見えたけどな。まさに一撃必殺ってやつか)
石膏像の風化を早送りで見ている様な光景にしばし魅入られる。怒声と悲鳴と断末魔に煩わしさを感じないでも無いが、無視出来ない程ではない。
(ふむ)
見つめること数分。敵の移動により戦闘域が自然と遠ざかる。距離としては二十メートル程だろうが、樹々に阻まれその姿は最早リョウからは視認出来ない。
(中々情緒があると言うか、神々しいと言うか、綺麗だな。ただ、警棒を使わないといけないってことは──)
「──接近しなければいけない。最上位二天の術式以外なら確殺と謳われる性能は圧巻の一言だけど、使い手に恵まれなかった」
(!!??)
言葉の続きと補足を加えられたリョウが振り向くと、そこには見知った顔が立っていた。
「アネッテ………お前は、俺が見えるのか?」
「分かってる。あいつは残して皆殺し。最後はリエルに」
「??? ああ、ただ偶然、会話が噛み合っただけか」
「でも、これ以上、あの子は………」
「お前、誰と話してんだ?」
アネッテは立ち止まり、樹々の先で繰り広げられる戦闘を見ている──…のだろう。それは分かるが、誰と話しているのかが分からない。辺りを見渡しても、この場に居るのはリョウとアネッテのみ。まるで──
「俺と同じ様に、中に誰か居る──…のか?」
「ぎぃっ!!!!」
「お、おい!! どうした!! アネッテ!?」
会話の最中、脈絡無く、アネッテが白目を剥き倒れ込んだ。
「オイ!! オイって!!! クソっ!! 何だよ突然!! 触れもしねぇのかよ!!」
リョウがアネッテを抱き上げようとするが、その手は横たわる身体を虚しく擦り抜け、触れる事すら叶わない。
「ステラさんは近くに居ないのか………!?」
「あ゛あ゛ぁ〜―…ったく。ガタガタガタガタ五月蝿ぇ女だ。リエルを使い倒してぶっ壊すのは既定路線だろうがよ」
(!!!!!)
「甘やかし過ぎたか。しっかし、無理矢理教育するのもな。アネッテが暴走してリエルに無駄な事を吹き込まれても面倒だ」
アネッテの口から、アネッテとはまた別の、聞き覚えのあり過ぎる声が響く。
「──…なんで」
「時間は──…残り二分か。このクソアマが。二分で皆殺しにしねぇと運命値に障が出るじゃねぇか」
「何でお前が、アネッテの中に居る?」
「術式を起動する。“空間術式”。A4-7-35-20から取得」
「そりゃまあ、俺も薄々は勘付いちゃいたけどな。リエルなんて、俺と出会ったタイミングが出来過ぎてたし。アネッテ経由で指示でも出してやがったか」
アネッテ(正確にはリンプファーだが)の周囲を奇妙な球体が公転する。それらは僅かに振動でもしているのか、妙に甲高い音を立てながら浮遊していた。
何処と無く、リエルが自身の身体を洗う際に用いていた魔術を想起させる。
「ステラさんとアネッテが一緒に行動してたのはさっきの会議で聞いた。さっきのリエルの映像が、同じ時代の話だってことは、リエルの最後の言葉で分かった」
「ロックオン完了」