5話 ニナ・クーラン
彼女の姿が見えなくなってもなお反響する「へぇっへっへっへっ──……!!」という奇怪な笑い声が、妙に哀愁を誘う。
「嗚呼」と呟きながら、アークは首を振る。
「これが世界の意思か。私は、この馬鹿共を率いて戦わなくてはならんのだな」
「アーク。さっきから馬鹿だ馬鹿だと言ってるけどさ。その複数形にはアタイも含まれてるんじゃないだろうね?」
「説明が必要か?」
「不要だろう。努力家であるノルン君やセラ君は勿論として、私などは元々教授職に着いていた。我々はその枠組みから真っ先に除外されるべきだと思うが」
「研究のし過ぎで自分の名前を忘れるようなヤツは、世間じゃバカって呼ぶんだよ。知らなかったかい?」
「そんなデータは聞いたことが無い。事実かね。ノルン君?」
「教授………」
「見るな、ノルン。才を失う」
「はい………」
「随分な物言いだ。君でも言って良いことと──…む? アーク君。あれは………」
「これは驚いた」
教授が言葉を詰まらせる。
「………首を繋がれてから幾百年だったか。これも聞かされていなかったと? いやはや、君は一度世界とやらと話し合った方が良いのではないか」
「話し合ったとも。何度か首の骨を握り潰してやるくらいにはな」
「世界って首あンのかい? 面白いじゃないさ。今度アタイにも締めさせておくれよ」
「セラ姉。気にするのはそこじゃ無いと思うんだけど……」
遥か遠方から茶髪の女性が二体のクレセントに支えられながら歩み寄って来ている。
「あれは世界の意思では無く、試験的に私が拾い上げた者だ。世界から一報が無くとも不思議ではあるまい」
「つまり、君の好みの女性だったと?」
「教授。話を聞け」
「減らず口閉じないと、本気で潰されるよ。アンタ」
「あ、アーク様は、ああいう女性が好みなんですか!?」
「ノルン。話を聞け」
彼女が此方に向ける視線は険しい。嘗て敵であったクレセントに対して冷静である点から鑑み、真っ当な話し合いを期待出来はするだろうか。否、それとも既に一暴れした後なのか。
「ニナ・クーラン。大昔、大陸でテレビ越しに見た事がある。生きた状態で対面出来るとは思わなかったが」
「アタイは興味無かったから見てないね。というか教授。昔を懐かしんでるとこ悪いけど、アンタが一番恨みを買ってるんじゃないかい?」
「大陸を蹂躙した挙句、トドメに妻達を暴走させたのはリンプファー・キィトスとリエル・レイスだろう。筋違いではないかね」
「でもあの人、ずっと寝てたから知らないんじゃ……」
「誰だろうと構わん。味方にならんのならば始末するだけだ」
「それが一番さね。厄介事は御免──…そうだ。騒ぐんだったら、いっそ精霊王かシャルでも呼んでみるかい? 面白いものが見られるよ」
「セラ姉、何でそんな悪魔みたいなこと思いつくのさ……」
アークは彼女へ向け一歩を踏み出す。意図に気付いたのか、二体と一人はその場に留まった。
「雷帝。貴様の願いは叶えられん。これは、世界の意思では無い」
「新しいパターンだね」
「一周回ってワンパターンだと思うのだが」
長年の昏睡が祟ったのか、膝が少しばかり震えている。しかし殺気は微塵も衰えていない。精霊魔法しか使えない脆弱者ではあるが、少しばかり揉めば使い勝手「おい、お前」
「……私か?」
「アーク様だ。言葉に気を付けろ。浅ましい侵略者の分際で──」
「お前」呼ばわりにノルンの激情が露わになるが、アークがお座なりに頭に触れると言葉が打ち切られた。
(随分と機嫌が悪いね。だいたい、殺してきた数なら………)
「セラ姉、何か言った?」
「何だい? アタイは何も言ってないじゃないさ」
「殺してきた数ならお前の方が多いだろうに」と考えていたセラが内心を見透かされ、その身を強ばらせた。
(末恐ろしいガキだよ本当に………)
ノルンには応対せず、彼女──ニナ・クーランは言葉を続けた。
「そうだ。アークと言ったか、貴様が機械共の黒幕か」
「「そこからか」い」
セラとアークの声が被る。教授は完全に興味を失ったのか、懐から本を取り出し、其方に集中を傾け始めた。
「記憶が混濁してんのかねぇ」
「ふむ。好都合ではある。ニナ・クーランよ。黒幕かは知らんが、主人はこの男だ」
「なんだと?」
アークが指で示す先には、本を読む教授の姿が。
「…………………………………………………………ハッ!! 私かっ!?」
「そうか、お前が」
話しかけられた訳では無いが、アークは首肯する。
「主人は主人なのだが、意味合いが異なる! アーク君! 説明をしてくれないか!?」
「まさか、主人でないとでも言う積もりか? 捨てられるとは、哀れな女達だ」
「その言い方は卑怯ではないかね!?」
「やり返されたね」
「やり返したね」
「術式を賜る。“転移術式”」
アークは虚空に開けた穴に身を滑らせながらノルンに命令を下した。
「ノルン。手段は問わん。我々の使命と現代の状況を教えてやれ。騒ぐようであれば殺しても構わん。教授。精霊魔法は貴様には通用せん。死ぬことは無いだろう」
「!!! 承知しました!!」
「部下に仕事押し付けて逃げやがったね。アイツ」
「待ってくれアーク君!!! うぉぉっ!?」
アークの移動を見届けたセラが半眼でチラリと見れば、教授がニナに捕まっていた。
「言われてみれば、貴様の顔は資料に載っていたな。私を誘拐するとは良い度胸だ」
「アーク様のご命令だ。下賤なお前に話がある。先ずはその手を離せ」
「後にしろ。今は取り込み中だ」
「違う。クレセントの生みの親は私では無く──」
ガクガクと揺さぶられる教授を眺め、ノルンは腕を組み「どうしたものか」と考える。ここで梃子摺っては、愛──否、敬愛するアークの期待を裏切ることとなる。
「クレセント! 助けてくれ!」
助けを呼ぶ声が聞こえているだろうに。ニナを支えていた二体のクレセントは、教授を助けるでもなく、ボンヤリと眺めるに努めていた。
「揺れてる、教授も、かわいい」
「ん、かわいい」
「褒めるよりも助けて欲しのだが!?」
「エル姉が居れば楽だったんだけどな。多分面識くらいはあっただろうし」
「面識はまだしも、前半はどうだかね。アイツはアイツでアルケー教サイドの人間だし、恨まれてそうじゃないかい? 内政がズタボロになったのは、間違い無くリエル・レイスとエルの所為さね」
「うーん……でも──」
「オイ! 聞いているのか!? そこのガキと女もだ!! さっさとここから出せ!!」
「ノルン君、セラ君、助けてくれ。今後を考えると、手荒な真似をしたくはない」
胸倉を掴まれながら詰問される教授だが、手荒に振り払うのは悪手かと考慮する。先程からのアークの口振りを鑑みるに、彼女も例によって例の如く仲間とするつもりなのだろう。であれば、ここで悪印象を抱かれれば今後の作戦に支障が出る。
「………………」
ノルンは黙考する。
「よし」
ノルンは決断する。
ここでは少々位置取りが悪いか。色々と面倒になったノルンは、ニナの後ろへと歩を進めた。
「ちょっと待ちなノルン。アンタまさか」
火線上には教授も居るのだが、まあどうとでもするだろうと結論付け、掌を翳し声高に詠う。
「喪失の槍、黒衣の賢者──」
それは神聖魔法の中でも最短の詠唱時間を誇る中距離攻撃用魔術であり、当然ながら危険性は折り紙付き。魔力の消費も低く、その使い勝手の良さ故に神聖魔法を使う者達から圧倒的な支持を得ており、ノルンもその例に漏れない。
…………クラフター氾濫・及び復讐を誓いキィトスへと向かうクトゥロー達についての世界の記憶である。決して黒衣の賢者が詠われた呪文だからでは無い。
「ノルン君!! 冗談だろう!?」
「──教授!!!! さっさと退けなッ!!!!」
「──世界を憂いて西へ導け!!!」
『運良く』余剰魔力を感知させずに詠唱が完了する。
「何をギャアギャアと。騒々しいな」
術士の九割九分九厘が精霊魔法使いであった大陸出身者である彼女。残りの一厘ですら未開の土地の召喚術士であった土地ならば、神聖魔法など存在からして知る由も無い。
「なっ──貴様!!」
水分が結露するかの如く突如として現れた精霊王がニナを吹き飛ばし、同時にクレセントは教授の奥襟を掴み、その身を安全圏へと摘み出す。
「貴様、精霊王か──!!」
嘗ての仇敵との遭遇に際し、『運悪く』彼女はその場から動けなかった。
「『魔弾の槍』!!」
世界の記憶から引き摺り出された禍々しい槍。その数四本。其れらは正確にニナの四肢へと到達し、迅速に対象を刈り取った。
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