2話 奴隷②
「…………」
《生まれは選べぬ。努力は実らぬ。そも、努力をする環境さえ平等には与えられない。理不尽極まる。そうだろう?》
肯定。
《ならば、壊せ。私は違う。理不尽な世界とは違う。与えてやろう。力も、手段も、知識も、私が与える》
「……………」
《………その身は私の精神の依代となり得る希少な存在。壁の外ならば。アルケー教の元ならば聖人と呼ばれる逸材だ。貴様には理不尽を壊す権利が有る》
それは悪魔の囁き。
「………………」
皮肉な事に少年に知恵と力を与えたのは、先程その存在を否定したアルケー神、その人だった。
少年は深く、深く嗤う。
《そ──ぃ──…チッ。─ソ、兄弟じ──限かぃ──か》
教えてやる必要があるのだ。無知蒙昧な者共に世界の広さを。それが幾千幾万幾億人だろうが知ったことか。こんな世界も、こんな日常もあるのだと。そして日常とは、かくも儚く絶望に変わるのだと。
階級制度の最下層。世界全てを支える土台が、全霊で以て動き出すのだ。
その影響は上に座する者全てに波及するだろう。
それこそ、天上に座する者にまで。
少年は僅かに思案した。
無関係な中層階級も存在するのだろうが……
「………………」
だからどうした。当然の報いだろう。上の階級の者は、等しく皆殺しだ。
むしろ熱で全て溶かし一つに固めてしまえば、其方の方がより良いカタチなのではないだろうか。そうなれば平等も不平等も存在しない。均一均等な世界がそこにあるではないか。
「オイ! ×××!!! テメェ何を持ってやがる!?」
先程の警邏が目敏く少年を見付けた。正確には、その手に握られた一振りの剣を。
「…………」
知識が流れ込んで来るが何も感じはしない。階級を知り、力を手に入れたからと言うのもあるが、元より少年は何に対しても一切の好悪を持たない。そのように育てられた。
だからこそ容易いのだ。
ヒュンッ
ゆらりと剣を振るう。それだけで炎熱が迸り、大地を舐め焦がした。
ゴウッ!!!
熱波が駆け抜けた後を追い、遅れて火の手が上がる。貧弱な建造物などその熱の前には無力。燃えることすら無く溶け崩れた建造物すら散見される程に。
「ギッ! ──ィイッ!?」
大型昆虫の様な声を上げながら、警邏が絶命する。準備運動としてはこんなところだろう。
トンッ!! トンッ!!
軽く飛び跳ねると、栄養失調である筈の身体がやけに軽い。先程頭に叩き込まれた説明にあった、剣の副次効果であろうか。
手始めに少年は一足飛びに母の側にまで舞い戻り、その首を刎ね切った。剣を向けてもまるで揺るがない瞳は、壁の穴の先で見た女とは別種の生き物を思わせる。
「壁を壊さないと」
次なる標的は少年の世界を切り取っていた象徴たる壁。それを破壊しなければ、一歩も先に進めない気がした。
ヒュンッ
生まれ育った荒屋が熱波により消し飛び、遥か彼方の壁すらも消し飛ばした。
《──せ。──せ》
「…………分かった」
後世に語られる、リンプファーの落とし子による大災害。それはここから僅か数時間の間に行われる。
………………
…………
……
死者・行方不明者 推定一万五千人(正確な戸籍情報の焼失・及び外部からの滞在者数が不明である為)
重傷者・怪我人 不明(近隣の村落への避難者が確認できなかった事から、残らず虐殺・または魔物に捕食されたものと推測される)
被害 城塞都市・周囲衛星村四つが融解。地形を始めとした周辺環境にも甚大な変化が見られた。
奴隷階級の人間による特級災厄魔武具の不正利用。
偶然居合わせたキィトス国軍第十軍団長 アネッテ・ヘーグバリによって討伐される。
当該魔武具の回収、及び入手ルートの解明には失敗。
事件前後の同軍団長の行動・調査結果に不可解な点が数多く見受けられることから、アネッテ・ヘーグバリに対し魔武具の着服・または不正利用の嫌疑が掛けられるも、第十一軍団長 リエル・レイスが即日調査団を派遣。即座に結果を発表し、これら疑惑を全面的に否定。
事件当日にキィトス国内にてリエル・レイスの姿を目撃した者が存在しないことから共犯の疑いが浮上。これにより調査結果を不服とする軍団長各位が打擲の手を強めんとするものの、カシュナ・キィトスが終結の宣言を行うことでこれを阻止。
テルミッド、シルーシ両名の尽力も有り一連の事件は緩やかに収束していった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
現代。トリトトリから二百キロ地点、アルカ樹海中央部。
針葉樹林を主とした植生を持つアルカ樹海の歴史は古く、その始まりは五百年前の大戦時に精霊王が敵を足止めする際に生み出された森林。それが年月を経て成長拡大されたものである。その中央部は深緑の王の棲家とされ、深部まで踏み込む者は稀。逆に、浅い外周部は魔物や木材を始めとした森の恵みを周辺都市へ与える役割を担っており、幾つかの衛星村が存在する程度には人の出入りがある。この樹海の占有権を主張する都市同士が諜報や暗殺を送り合おうとした事も過去にはあったが、それも二百年以上昔の事。双方の領主が代替わりした際の方針転換により、今は概ね平和な時代が続いていた。
……その際、新領主の意に沿わぬとして存在を抹消された諜報部隊が存在する。彼等が今もなお世界の何処かに居り、亡者として現世を彷徨っているのだという逸話が根付いているのだが、それはまた別の話。
そこでアークは教授に掌を翳されていた。
「随分と剣呑。脈絡も無し。先ずは理由をお聞かせ願おうか」
「余裕だな。アーク君」
「当然──…否、驚愕はしている。アレに興味が有るなどと、口にした事も素振りすらも無かったとは思っていたが………とは言え、世界は我々の腹の中。界外の先ならばまだしも、殊この世界に於いて私に敗北は無い」
教授は何も答えない。
「貴様が使うとするならば精霊魔法か。叛逆ならばクレセント達を呼んだ方が戦いになると思うが」
「これは私個人の問題だ。妻は──…彼女達は下がらせている。幾つか、質問があるんだがね」
「ふむ………ああ、成程。そうか。ノルンに手を出されない為に、この場を設た訳か。芸が細かいな」
「うむ。彼は………些か君に関することとなると、短絡的になるきらいがある。で、どうだろうか? 答えるつもりは有るのかね」
アークは僅かに肩を竦めた。それを肯定と受けた教授は言葉を続ける。
「先の戦いで彼女達は戦闘にならないと話していた筈だが、結果は随分と違ったようだ。これについて説明して貰いたい」
「そこはこの身にも落ち度がある。私の認識では、クレセント達は警戒に終始する筈だった」
「下らない嘘だ。想定の外だったとでも?」
「信じられんか」
「一の魔力を散布し抽出する。精霊はここに」
教授とアークを巻き包むように光球が展開される。当たったとてこの怪物に効果があるのかはさて置いて、王手をかけた形となった。
「君は、未来が見えていると言っていた筈だ」
「その通りだ。そして、その見えている未来を回避する為の策を幾重にも巡らせている。その結果の違和感を見抜けなかった。私の失態だ」
「違和感? 私は君を万能な人間だと思っていたんだがね? 彼女達を救ってくれた時もそうだ。あの時には、君を神の如き存在だと感じたものだが」
「私も嘗ての貴様と変わりはしない、ただの喪失者だ。世界に下駄を履かされながら足掻く人形に過ぎん。私に心酔するノルンの前では口が裂けても言えんのが頭痛の種だが」