49話 聳り屠るモノ
放たれたのは最高峰の座の一つ。
同種の最上位呪文に比べれば基本色数こそ大きく劣るものの、扱い難さはそれらを大きく上回る。
「はあ。身体強化の本当の最上位ですか」
大した感銘も受けず、力場の塊を大地に叩き付けんとするリエルは雅に手を払う。すると、それに呼応し歪んだ空が大地へと迫った。
天地が逆転でもしたかのような絶望。
しかし、それに対しスライは──
「フンッ!!!」
ジャンプして。
「ゼアァッ!!!」
その勢いのまま殴った。
「うわあ……」
一切の余波無く霧散させられる力場を見、リエルが滅多にないリアクションを取った。
しかし力場を力技で捩じ伏せるも、そこは逃げ場の無い空中。続けて四方八方から光弾が迫る。
光の尾を引きながら光弾が一点へと集中する様は、歪な線香花火を思わせた。
「ウオオオオオオオッ!!!!!」
「うるっさ……」
特に意味は無い。ただ叫んだだけである。
無策のスライに向けた光弾は、情け容赦無く猛威を振るった。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!!
「………………さっきから本当に五月蝿いですね」
リエルは顔を顰め耳を塞ぐ。音量を低く設定するべきだったか。
たっぷり二億(同時着弾を考慮すれば数千程度)の爆音が響き渡ると考えると嫌気が差したのだが、それを放ったのは他ならぬ自分である。怒りを向ける矛先が無い。
連打は数十秒にも続いた。
「はぁ………………頑丈な…………」
「ダッハッハッハッハッ!!! 最初は手で打ち落としてたんだけどよ!? よくよく考えてみりゃあ、普通に喰らっても大丈夫だったぜ!!!」
けろりと地上へと着地する。
あれだけの威力の攻撃を間断なく喰らい続けても痛痒を感じない『聳り屠るモノ』。そのスペックは異常の一言に尽きた。
しかし、スライとて無意味に切り札を出し惜しんでいたわけでは無い。
「放って置けば、勝手に死にそうですけれど」
「ダッハッハッハッハッ!!! 死ぬか!!! 「技巧」の二つ名は伊達じゃ無えよ!!!」
『聳り屠るモノ』。最上位の中で最も基本色数が控えめなこれを唱えられる者は少なくない。だと言うのに、基本色数二万『銀濤』が身体強化の限界点と言われる理由。それは──
グチャッ……
「おぉっとぉ!! 腕がもげやがった!?」
「馬鹿ですか」
──防御に比べ、あまりに強化され過ぎる膂力。それは制御を誤ると己の身体を破壊する。
「よっとぉ!!」
吹き飛んだ腕を拾い上げ、切断面に「べちゃり」と貼り合わせる。『聳り屠るモノ』、最上位呪文の名は伊達では無い。傷口はみるみるうちに再生された。
満足気に手をわしわしと動かすスライを見、リエルはポツリと洩らす。
「人として大事な何かを失っているとは思いませんか?」
「テメーが言うなや殺人狂」
少しでも力の加減と減衰を誤れば手足が吹き飛び、少しでも呼吸と減衰を乱せば肺が破裂し、少しでも瞬きと減衰を誤れば眼球が飛び出す、まさしく諸刃の剣。使いこなそうと決意を固めた者は数知れないが、皆が皆一度目の発動で全身が爆散し、悍しい死を遂げた。
内臓が潰れようと、膂力で己の骨を握り潰してしまおうと、決して身体に緊張を強いてはならない。そもそもが、そんな状況に陥ってはならない。それだけの胆力・技術が求められるが故に、基本色数二万『銀濤』が身体強化の限界点と言われる。後者は移動時の血流にさえ気をつけて運用すれば(一定ライン以上の技能を有する術者であれば)まず死ぬことは無いのだから。
「さぁてとぉ? そろそろ反撃といくかぁ?」
「出来るものなら」
言うが早いか。足元に障壁を展開したスライは、驚異的な速度でリエルへと接近する。光弾で幾らかが圧し折られていたとは言え、肉眼でリエルが見えない程度には未だ木々が生い茂っている状態にも関わらずだ。
近付くにつれ、ケルベム糸の密度は当然ながら高くなる。しかし、スライはそれらすら難無く掻い潜り駆け抜ける。
さらにそこから肉薄するまでの間隙。障壁を展開してからここまでに約二秒といったところだが、そこでスライはリエルの手元を注視する。
(コイツぁ……)
リエルの指には九つの指輪──つまりは支給型倉庫が嵌められており(何故か左手の薬指にだけは何も嵌められていないが)糸はそこから出ているようだった。
リエルは未だ動かない。反応すら出来ていない。
(貰っ──た?)
速度に物を言わせた突撃ではなく、油断無く横から首を狙った右フック。この暗闇で、かつ音を置き去りにした完全な不意打ちであった。
なのに──
(足?)
ゴンッ
速度に似合わぬ軽い音。
その右フックは高く掲げられた足。その軍靴によって阻まれる。
「……………はああ???」
素っ頓狂な声も上げようというものだろう。反応すら出来ていなかった筈の一撃を器用に足で、それも完璧な減衰で以て受け止められたのだから。
しかも、スライにはリエルの動きがまるで見えなかった。今まさに打撃を加えんとしていた相手。目など逸らすはずが無いというのに。
「ふふっ……」
リエルは嘲るように微笑う。
その目は、魔術を覚えたばかりの「自身は全能である」と驕った人間を見る目に近かった。
有り得ない。あってはならない事実。スライの目に怒気が浮かぶ。
「テメェ──」
刹那。スライの拳を受け止めていた足。それが超速度で振り下ろされる。
「やっ」
気の抜ける声が響くも、その動き自体は攻撃ではなく。
ッドォン!!!
本命へ向けての予備動作に過ぎない。
「な──」
スライが認識出来たのはここから。踏み込みで振り下ろされた足が地表の障壁にぶち当たり、凄まじい轟音を立てた瞬間から。
その反動で、逆の脚が高く振り上がり………走り高跳びのベリーロールに近いだろうか。兎に角、足撃が尋常で無い脅威としてスライへと迫る。
「──ッ!!」
軍靴の機構だろう。襲い来る足撃から悍しい形状の金属群が顔を覗かせる。この速度の足技も当然ながら恐ろしいが、その速度に対応した形状変化を行う技量の高さにもスライは戦慄した。
ガァンッ!!!
腕を交差し、辛うじて防御の構えを取り、受ける。しかし……
(お──もぃ───!?)
強化術は理屈抜きに強化対象者の防御力を底上げする。それら最上位である『聳り屠るモノ』など言わずもがな。ここから必要に応じて減衰を駆使することで、攻撃を完全にシャットアウトするのが理想となる。もっとも、最上位の身体強化である『聳り屠るモノ』の防御を貫通することなど、そうは──
「ぐぁッ──!!」
あまりの速度、あまりにも常識外な威力。スライを以てしても、減衰のタイミングを僅かに逃した。
腕を切り裂き骨へヒビを入れる一撃を受け思わず大きく後退るも、そこはケルベム糸の範囲内。またもや身体強化の防御を踏み越え、スライの全身に大小様々な傷が刻まれる。
(『聳り屠るモノ』を軽々とッ!! 可能なのかよ!? 理論上でもッ!!! リエル・レイス。魔導士、聖女、惨虐、狂人、人格の急反転、二面性──…そういやぁ多重の精神人格持つ奴が詠唱に有利で強えとかマーリンのヤツが論文書いてやがったが……)
リエルの精神は数万数億単位にまで並列複製されている。傾向と桁こそ異なりはしてはいたが、スライの推測は的を得ていた。
(!!!!)
今度は探知に反応有り。周囲一帯を糸によって球体状に包囲されていた。繭の様に包み込むのではなく、糸の先端部がスライに向けられている、まるで槍衾の如き光景。