第19話 男の意地
それは、『埴輪』としか表現しようのない生き物だった。
身の丈は約2m。
赤銅色のレンガのような質感の肌をした、人型の存在。
のっぺりとした顔には3つの虚ろな穴が空き、ぱっと見で剽軽な印象を与える。
だが、その身体能力たるや異常の一言。
音速超過で移動し、その加速の結果崖に落下しても無傷。
人型であるにもかかわらず関節は柔軟かつ自由に曲がり、魔法すら打ち消す特性を秘める。
まさに『奈落』に落とされる魔物に相応しき強さだ。
そんな『埴輪人間』の前に降り立ったのは、幼児の姿をした、光の翼をもつ存在。
一目見て『神』だと分かるその幼子の姿に、『埴輪人間』は魂の昂りを感じた。
股の辺りが、熱く、滾る。
「FWOOOOOOOOOOOOO!!!!」
目の前のこの愛らしい『神』を思うがままに蹂躙する!
その嗜虐的な喜びに、『埴輪人間』は興奮を抑えられなかった。
■
『埴輪』が僕を見た瞬間、奴はいきなり興奮して叫び声をあげた。
嫌でも視界に入るのは、いきり立つ奴の腰のペンデュラム。
ぞわわわわわ~~~~!!!!
激しい悪寒が背筋を駆け巡り、全力で回れ右したくなった、のだが……
(だ、ダメだ、ここで振り向いたら……犯られるっ!
色んな意味で……神生がっ!終わるっ!)
ヒキガエル女子に追われた時の某クラネル氏は正にこんな気分を味わったのだろう。
色んな意味で逃げ道を塞がれた恐怖の中、僕は身体能力を魔法で一気に強化する!
「魔力解放!
『巨神剛力』『雷獣瞬脚』『瞬間全知』!」
こちらの魔法を感知してか、『埴輪』も臨戦態勢に……
入ったと感じた時には既に懐に踏み込んできていた!
鳩尾に向け、えぐり込むような右のアッパーが迫る!
左ひじを入れて拳をガードすると衝撃で身体が浮き上げられた。
ぞくり
第六感が危険を知らせる!
勘に任せて右手を払うように打ち上げれば、『埴輪』の左手が打ち下ろすように迫っていてギリギリのところで払いのけに成功。
怒涛の連携打にお互いほぼ零距離になったが、この間合いは小柄な僕のフィールドだ!
浮きあがった勢いに翼をはばたかせる事でさらに加速を乗せる。
先ほど払いのけた奴の右手を軸に体をひねり、左ひざを『埴輪』の顎に叩き込むと、跳ね上がった喉元に右の足刀をぶち込み反動のまま宙に舞い上がり一回転、距離を置く。
クリーンヒット!
吹き飛んだ『埴輪』は勢いよく崖壁に叩きつけられ、土埃が舞い上がった。
間髪入れずに『武器精製』の魔法を展開。
魔法を打ち消す?上等だっ!ならば物量で攻めるのみっ!
宙に120本の剣が生成されたところで土煙を突き破り『埴輪』が飛び出してきた。
「行けっ!」
踊るように襲いかかる120本の剣!
仮にも『神』が魔力で直接精製する魔導鋼製の『神剣』だ。
短時間で適当に作られた代物であっても腕の1、2本くらいは余裕で切断する……出来なのにっ!
『埴輪』は回避する様子もなく真っ直ぐ剣戟の嵐に突っ込んだかと思うと、
「FWOOOO!!」
と気合一閃、弾き飛ばしてしまう。
「嘘だろおおおおおお!?
……っがふっ!!」
最短で距離を詰められ、奴の拳が僕を打ち抜く。
ガードも間に合わず撃ち抜かれた右胸は、一撃で肺が潰され肋骨が粉みじんに砕け散った。
先ほどの『埴輪』と対照的に反対側の崖壁へと吹き飛ばされる僕を、あろうことか『埴輪』は追随!
「FWOOOO!!FWOOOOOOOFWOOOOOOOOOOO!!」
歓喜に満ちた雄叫びを上げながら、吹き飛ばされる僕へと追いつき、更なる追撃を重ねていく。
(エ、エアリアルコンボ気取りかよっ!ふざけんなっ!)
「魔力解放!『時間加速』!!
血反吐を吐きながらも即応するための魔法を詠唱、周囲との時間の流れを変化させ、奴の連撃に割り込むと身体を入れ替えるように攻撃をやり過ごし、一撃を加える。
崖壁に叩き付ける筈が逆に叩き込まれた形になり多少は動揺するかと思いきや……
ニマリ
虚ろな3つの穴が歓喜に歪んだように見えた。
ドゴン!
爆発でも起きたかの如き轟音を背に『埴輪』が再び襲い来る。
振りかぶった一撃を、まるで『避けるなよ?』とでも言わんばかりにこちらに向けて。
それは明らかな『挑戦』だった。
こちらの姿かたちなど問わない、『男なら逃げるなよ?』と訴える無言の合図だった。
あぁ、不愉快だ。
凄く、不愉快だ!
『埴輪』の癖に、いっぱしの『漢』を気取るかよっ!
俺も男だ、ガチンコ挑まれて引けるわけがねぇだろうがっ!!
フィオとの暮らしの中で削ぎ落とされてきた、生前の『おっさん』の魂が目を覚ます。
お行儀のいい『神様』な自分ではなく、やさぐれた『人間』としての『俺』が、雄叫びを上げる。
『埴輪』の拳が頬を抉り、奥歯が砕ける。
溢れる血とジャリっとした砕けた歯の感触、ぐらつく意識を痛みが繋ぎ止めお返しとばかりにこちらも全力の拳を奴の鳩尾に叩き込む。
「BFWOOOO!!!」
「一発に見えただろう?
時間加速に加えて身体強化した拳を秒速37発同じ場所に撃ちこんだんだ、効いてくれなきゃ困る」
「FWOOOOO!!!!」
フオー!としか叫ばない『埴輪』だが、有効打を受けて歓喜に震えているようだった。
見た目といい中身といい、この、ド変態めっ!
そこから乱打戦が始まった。
■
『埴輪』の体表面、素焼きの陶器のような肌はどれだけ殴ろうともまるで硬質ゴムを叩いているかのように、罅割れ一つ起きる事なく俺の攻撃を受け止め続ける。
『埴輪』の攻撃は幼児と身体的には大差ない俺の肉体をどれだけ巧みに防御しようとも瞬時にボロボロにしていくが、こちらも『神』だ。
無尽蔵ともいえる回復力を盾に傷ついた端から再生を繰り返していく。
空気が摩擦で発火するのではないかと思わせるほどの『埴輪』の一撃は、掠っただけでも俺の貧弱な肉体に大打撃を与える。
現に先ほどの攻撃も、受け流した瞬間に尺骨がバキンと折れた。
即回復したが折れた瞬間の痛みまでは癒せない。
受ける度、いなす度に肉が千切れ、焼け焦げ、骨がへし折られる。
こんな攻撃まともに受け止めていたなら、いくら傷の回復が間に合ったとしても痛みで発狂してしまうに違いない。
だからといって逃げ出したりすればどうなるか。
戦闘が始まる前に、この『埴輪』が見せた下卑た視線。
あれは野蛮人が弱者を蹂躙するときに見せる視線だ。
人の尊厳もへったくれも意に介さない、我欲に溺れる獣の目。
こんな輩を前に背を向ければ、俺もフィオも容赦なくこいつにすべてを奪われる。
暴力に任せて蹂躙され、玩具にされる運命が待っている、その確信がある。
(だからこそ引けない、絶対に!)
不退転の決意と共に歯を食いしばり、拳を握る俺だったが……一切の守りを考えない『埴輪』とカウンターを駆使しつつダメージを可能な限り抑えながら戦闘を続けていた俺の間には、僅かながら、だが確実に看過し得ない『差』が生じ始めていた。
人型の生き物の攻撃にはある程度の限界が存在する。
威力的なものはもとより、攻撃のパターンという面においては人体構造上『点』と『線』の攻撃に絞り込まれてしまうし、攻撃範囲も手足の長さという制限が存在する。
そしていくら豊富なパターンを組み合わせたとしても、フェイントを混ぜたとしても、攻撃一辺倒ではいつかはパターンが尽きてしまう。
力と手数で押し潰す『埴輪』の攻撃は、時間が経つにつれ少しづつ、だが確実にフラヴィにいなされるようになっていった。
逆にカウンターから確実に一撃を入れていくフラヴィの攻撃は一撃毎に精度を増していく。
一見それは、流れが大きくフラヴィに傾き始めた兆しに見えたかもしれない。
だが……実際に追い込まれていたのはフラヴィの方であった。
身体能力を自身が耐えられる248倍まで拡張し、そこからさらに時間加速魔法による10倍のクロックアップを行ってなお押し切れない。
幾らカウンターを入れても、それが一向に有効打にならないのだ。
魔力は無尽蔵に使用できる。
回復も余裕がある。
しかしながら精神の疲弊はいかな『神』といえども避けようがない消耗だ。
ましてや肉体的にはまだ5歳児程度の身体能力である。
致命的なまでの『決定力の不足』。
どう考えても長期戦は不利でしかなかった。
(くそっ、どうする……?
どうするどうするどうするどうするっ!?)
焦る気持ちを必死に静め、フラヴィは考える。
(一撃、一撃でいいんだ!
明確な有効打をどこかに入れられれば……)
「FWOW!!」
ブンッ!と轟音を立てて顔面すれすれを通り過ぎる『埴輪』の拳をいなし、手首を取って捻る様にねじり上げ、肘を下から突き上げれば面白いように『埴輪』は吹き飛んでいく。
普通の人間なら肘にかなりのダメージが入ろうものだがゴムのように柔軟な『埴輪』の身体は平然と捻れを受け止め、宙で姿勢を正すと着地と同時にまた襲いかかってくる。
(うがああああああああ!!本当にっ!キリがないいいいい!!!)
募る焦りは知らぬ間にフラヴィの心に積み重なっていき、ある瞬間に決壊する。
「FWOOOOOO!!」
「しまっ!ぐああああああ!」
主として拳ばかりを振るってきた『埴輪』が突然織り込んできた足技に気を取られた一瞬、ガードに上げた脚を掴まれ力任せに引きちぎられてしまう。
どさりと倒れ込んだフラヴィの伸び切った肘を、『埴輪』の足が容赦なく踏み砕く!
「ぎゃああああああああ!!」
「fwo!!fwo!!fwo!!fwo!!fwo!!」
勝利を確信し、ちぎった足を掲げ零れる血潮を飲み干す『埴輪』。
その身は興奮に震え、これから足元に転がる哀れな『神』の末路を思って喜びに噎ぶ。
(く、そっ……しくじ、った……!)
片足をちぎられ両腕は破壊され痛みに呻くフラヴィの長い黒髪を、『埴輪』はわしと掴み軽々と持ち上げその顔を覗き込む。
虚ろなはずのその眼には確かな嘲りの色が浮かび、まるで「悔しいか?ざまあないな?」と虚仮にされているかのような敗北感をフラヴィに与えた。
(俺は、負けたのか……?)
心が絶望に染まっていく。
敗北感がじわじわと心を侵していく。
『埴輪』の虚ろな瞳に抗う意志が削られ吸い取られていく。
「諦めちゃだめだよっ!フラヴィオッ!」
『埴輪』の視線が、ばっ!と崖の上へと向いた。
光に包まれた、『魂』の状態のかぁさまの姿がそこにはあった。
「そんな奴に、負けるはずがないっ!
ボクを、ミュラりんを護るんだろっ!
君は口ばっか星人なのかいっ!
立てっ! 立ち上がってよ! エル・フラヴィオ!」
いけない、ダメだ、奴がかぁさまに狙いをつけた!
ダメだ、止めなきゃ、止め……
危機感に考えばかりが先走る。
焦燥に周囲の時間が止まったように感じるのに、思考は一向にまともな答えを出さない。
そんな絶望的な一瞬の中で、『埴輪』に髪を掴まれたままのフラヴィは崖上へと飛び上がろうと屈みこむ『埴輪』の股下に、あるものを見た。
嗜虐的な興奮に昂ぶる男の象徴。
鍛えようのないむき出しのペンデュラムを。
『魔力解放!『秘技!七代祟!!』
足元から僕の魔力で召喚された巨大な魔導鋼製の『トラバサミ』が勢いよく伸びあがって『埴輪』の股間に喰らいつく!
「Foh~~~~~~!!!!!!」
悲鳴のような声を上げ、『埴輪』は僕を放り出すと股間を抑えてのたうち回る。
だががっちりと喰らいついた意思持つ『トラバサミ』は僕のオーダーに従いギチギチとペンデュラムが千切れない程度の絶妙な噛みつき加減を以て『埴輪』を苛む!
元々は捕獲罠用に用意していた一品だ。
どれだけ暴れようが藻掻こうが、これだけ綺麗に急所に食い込んでしまえばそう簡単に外れるような代物ではない。
「うわぁ~~~……」
かぁさまの呆れたような声が上から聞こえてくるが、仕方ないじゃないか。
千切られた足を拾い、くっつけるとのたうち回る『埴輪』を見下ろし、僕は呟く。
「なんだ、ほら、あれだよ。
……勝てばよかろう!! なのだ?」
先ほどまでの激戦が嘘のように弛緩した空気に、『埴輪』の悲鳴だけが響き渡る。
「Fwooooooooooooo~~~~!!!」
争いとは、かように虚しいものなのだ(お前が言うな)……。




