骨髄に徹す
体が痛い、それに寒い。プラータが目を覚ますとどこかの蔵か、それとも地下なのか暗くて寒い石造りの部屋の中に縄で縛られ転がされていた。ご丁寧なことに腕には魔力制御の魔具がつけられていて魔術が発動できなくなっていた。膨大な魔力の持ち主であれば拘束を破ることが出来ただろうが、プラータごときの魔力では破壊出来そうもない。
どうしてこうなったんだっけ、とプラータは思い返す。あれからどのくらい時間が経って、どこまで連れてこられたのだろう。店番をしてくれたアズラクが不審に思って騎士団にでも捜索依頼をしてくれればいいのだけれど。
「あなた、自分がどうして連れてこられたのか分かる?」
プラータの死角から女の嘲笑う声がした。声のする方へ顔を動かすと、木箱に座った身なりの良い女が横たわるプラータを見下ろしていた。年齢はプラータより上の成人した貴族だと推測できた。
どうして連れ去られたのか、気を失う前に聞いた悪党の発言からヴェルメリオが関係していることは明らかだった。ヴェルメリオと、この貴族の女には何か関係がある。この女は悪党を金で雇ってプラータを連れ去るように指示したのだろう。
頭の中で目の前の女とヴェルメリオを並べてみた。二人は差ほど年が離れていないように見える。そしてどちらも貴族、妙齢の男女。プラータはこの場面に既視感を感じた。最近見た事がある。文章で。流行恋愛小説の冒頭で主人公が貴族令嬢の婚約者を誘惑したという罪を着せられてしまい、貴族令嬢の権力によって主人公は手荒い方法で国を追われてしまうというものだ。プラータは自身の現状はまるでその主人公のようだと感じた。まだ混乱から醒めきっていない頭では遠回りしてしまったが、つまり目の前のこの女はヴェルメリオの婚約者か何かだったのではないかと推測していた。だが何が女の引き金を引くことになるのか分からない。不用意な言葉は口にしないでおこうという判断だけは間違っていなかった。
「だんまりね。まぁあなたが何を言ったところで無駄ですけれど。あの男が苦しむなら何だって構わないわ」
そう憎々しげに言って綺麗な笑みを浮かべるのは流石貴族といったところだ。感情を表情に乗せないのは貴族の嗜みらしい。彼女はどうやらプラータではなくヴェルメリオに恨みがあるらしい。だがプラータは先ほどヴェルメリオとは縁を切った。プラータを使ってヴェルメリオに恨みを果たすのは難しいのではないだろうかと他人事のように考えていた。それは、寒いし痛いし魔術は使えないという極限状態での現実逃避だった。
「私とヴェルメリオ様はただの店員と顧客というだけの関係です。そしてそれも先程解消したところなので、『元』を付けた方がいいです。ですから、今はもう無関係の赤の他人という事です」
だから、解放してほしいと口にはしないもののこれは意味のない事だと訴えた。人を連れ去るという暴挙をなした目の前の彼女がどこで感情を噴出させるのか分からないので丁寧に、かつ刺激しないように様子を窺う。
「まぁ、そうなの。一足遅かったのね」
「……帰してもらえませんか」
「あなたがあの男ともう無関係だと言うのなら、あの男は自分の罪によって今度は無関係の人間を害したことになるわ」
全く残念がる様子もなくそう呟いた。プラータが害されることは決定しているようだ。既に害されているとも言えるが。これはもう、プラータがヴェルメリオと何の関係もないと、どれほど弁明しようが、どうしようもない段階にきているらしい。どうあっても彼女はプラータを解放する気はなさそうだった。悪党を雇ってまで攫ってきたプラータを無事に帰せばどこから悪評が漏れるか分からない。貴族だからこそ、悪い噂は流さないよう注意を払うべきなのだが、きっと悪党を雇った段階で、もう捨て身の覚悟をだったのだろう。そうでなければもっと口の堅そうな人を雇っていたはずだ。つまり彼女は何を失っても怖くない状態で、もうプラータを無事に帰す気はないのだろう。漠然とした恐怖がプラータの思考を急き立てる。どうする、どうしたら、どうすれば、ここから帰してもらえるのか。先ほど彼女は『今度は』と言った。それはつまり、ヴェルメリオがそれ以前にも誰か人を害したという事ではないか。それがきっと彼女の恨みの根源なのだ。
プラータはヴェルメリオの事をほとんど知らない。騎士団に関係している人で、貴族で、強い魔力の持ち主、そして死にたがっていた。何故死にたいのか、本人の口から聞くことは叶わなくなったが、プラータはやはり死にたい程に生きているのが辛いからではないかと思っていた。だからヴェルメリオが死にたがっていることと、彼女の恨みには関係があるのかもしれない。でもそれならば、プラータに殺してくれと頼まなくとも目の前の彼女ならば叶えてくれそうなのに。
「今、帰してくださるなら、今日の事は誰にも言いません。あなたもその方が都合がいいのでは?このまま時間が過ぎれば不審に思った家族が通報して騒ぎになってしまいます」
「あら、私の心配をしてくれるのね。ありがとう、親切ね。かわいそう」
「……かわいそう、ですか」
「ええ、かわいそう。だってこんなに親切で、優しくて、未来ある若い女の子がヴェルメリオに関わったばかりに逆恨みで売り飛ばされてしまうんですもの」
「売り飛ばすって……」
それに逆恨みと女は言った。それはこれが逆恨みだという自覚がありながら、止めることが出来ないほど憎しみに囚われているということを意味していた。
「あなたには知る権利があるわ。あの男の選択が何を潰してしまったのかを。新天地への手土産として特別に聞かせてあげる」
知りたいと思ってしまった。だがそれは目の前の女からではなくヴェルメリオ自身の言葉で聞きたかった。
「私には婚約者が居たの。彼は騎士だった。私は何度も辞めるように言ったけれど彼は聞かなかった。才能なんてまるでないのに憧れだけを抱いて命の危険が高い任務にばかり志願していたわ。憧れのヴェルメリオ様の役に立ちたいと言ってね」
「それならなんで──」
「わかってるわ。彼の憧れを汚すことは間違っていると」
思わず口をはさんでしまった後、プラータはしまったと口をつぐんだ。彼女は逆恨みだと言っていたではないか。ここで正論をぶつけるのは火に油を注ぐような行為でしかない。プラータがつついてしまった綻びから彼女の憎悪が燃え広がる。
「でもね、彼の憧れは、ヴェルメリオは、彼を裏切ったのよ。ヴェルメリオの選択が彼の努力を全部切り捨てたんだから」
彼女が怒りを抱いているのはヴェルメリオがしたという選択だ。その選択がきっと彼女の婚約者を死に追いやることになったのだ。
「あなたは先王がご逝去なさったときの事、覚えているかしら」
「……少しだけ」
彼女を刺激しないよう慎重に答えを返す。
先王が亡くなったのは今から七年ほど前の事だ。プラータは当日まだ魔術学校に通い始めたばかりの頃で、はっきりとは覚えていない。先王は亡くなる数年前に妃を病で亡くされてから段々と衰弱していったと言われている。王宮内部での繊細な話題は秘されており、公表された情報は乏しい。
「あの日、彼は死んだわ。王都から遠く離れた村の調査をすると言って出ていったきり、戻って来なかった。戻ってきたのは身に付けていた魔具だけ。骨も何も帰っては来なかった」