流れよ、わが涙
翌日もヴェルメリオは店にやって来て葡萄を一房購入した。
「昨日の贈り物は受け取って貰えなかったから今日は違うものを持ってきた。受け取ってほしい。家に沢山余らせているし珍しいものではないけれど……」
そう言ってヴェルメリオが懐から出してきたものを見てプラータも横で見ていたアズラクもその場を飛び退いた。
「りっ、りりっ!」
「あ、あああ!まってアズ!やっぱりそうなの?!」
ヴェルメリオが出した金色に輝くそれの正体をプラータはまさか、と思い当たる物があったがこんなところでお目にかかれるような代物ではないので似たような別の物だろうと思いたかった。だが、こういった素材に詳しいアズラクが驚愕の表情を浮かべている。
「龍鱗!しかも金色っ!」
「ひぃっ!」
正体を言い当てたアズラクの言葉を聞いて、プラータはもう一段階飛び退いた。
龍鱗は売れば屋敷が建つほどの金になるし、使えば最高位魔術の補助もできるし最高級の薬も作れる代物だ。しかも金色となれば龍の中でもさらに希少である。現物なんて恐らく国宝として国庫に納められているものくらいしか現存していないはずでは。それをこんな、素手で無造作に扱って良いはずがない。……のだが、家に沢山余らせていて珍しくないとヴェルメリオは言わなかっただろうか。
「う、受け取れるわけがないです!丁重にお持ち帰りくださいっ!」
プラータは卒倒しそうになりながらも拒否すると、ヴェルメリオはそうか、と肩を落とした。
「そうだよな……俺もこれは貰っても嬉しくないだろうと思ったのだが、大抵の人間は喜ぶと言われてな……。うん、すまない」
そう言ってヴェルメリオは龍鱗を口へ放り込みバキバキと音をたてながら食べてしまった。
「……は?」
プラータもアズラクも目の前で何が起きたのか理解できず、ヴェルメリオがまた来ると言って店を出た後も暫く硬直して動けなかった。やっぱり、イカれている。
龍鱗事件の次の日からは葡萄を一房買う代わりに今度は花を渡してくるようになった。どうやらアズラクが見かねて入れ知恵したらしい。店に飾ってくれと言われて断ろうと思ったが、家の近くに生えていたのを摘んだから驚くようなものではないと押し迫られ、見たことはないが綺麗だったので花くらいなら、プラータへではなく店宛てだし良いかと受け取った。宝飾品、龍鱗というとんでもない物が続いたせいで判断力が鈍っていたのだ。
そうしてヴェルメリオは殺してくれと言うこともなく毎日葡萄一房を買い、プラータに花を渡して帰る日が続いた。プラータもプラータでヴェルメリオは害がないし、ただの常連だと思うようになっていった。
「で、プラータはいつ返事をするんだい?」
「え?」
近所に住む常連のご婦人の会計をしていると不意にそう聞かれて、プラータは何の事なのか分からなかった。
「とぼけちゃって!毎日来てる綺麗な貴族様だよ!もう近所中いつプラータが求婚を受けるのか気になって気になってしょうがないんだよ!」
「は!?違います!」
とんでもない噂が近所中に広がっている事を初めて知ったプラータは血の気が引いた。
「ベルデに聞いてもそういうのは娘に任せてますから、なんて言って教えてくれないしさぁ」
ベルデというのはプラータの母の名前である。アズラクに相談した日に母のベルデにも相談したら楽しげにアズラクと同じように勘違いをしてしまって家族皆がヴェルメリオの事を知る結果となってしまった。家族皆から微笑ましいと言わんばかりの雰囲気を出されてしまい、もう家族に相談するのは止めようと思ったのだった。
「本当にそういうのじゃないんです!」
「そうなのかい?プラータは器量が良いから、貴族様の目に留まったんだと皆そう言ってたんだけどねぇ……。まぁでもそうじゃないなら早目に引導を渡しておかないと外堀を埋められてしまうよ」
プラータはハッとした。ご婦人の言う通りだ。最初の出会いがあまりにもぶっ飛んでいたから、最近の大人しい、普通の常連のようになっているヴェルメリオに慣れてしまっていた。
ご婦人が帰った後にやって来た一月に一度納品しに来る薬屋の男が、飾ってある花を見て目の色を変えた。
「おい、嬢ちゃん!こいつはどうしたんだ!?」
「え?何がです?」
「この薬草だよ!ああっ!しかも霊草まで!こんなに一体どうやって……」
ヴェルメリオからもらった花が実はとても貴重なもので市場には滅多に出回らず、手に入れるには討伐隊を雇わないといけないような魔獣が住む危険な山の奥地にしか生えない珍しい薬草の花だと言う。ヴェルメリオが家の近くに生えていた珍しくない花だと言うからプラータもその辺りに生えている草花なのだろうと思っていたがそれは間違いだったようだ。そもそもよく思い出してみればヴェルメリオは魔獣がうろつくガサクの森に住んでいると言っていなかっただろうか。
しかもこの花たちは丁寧に固定魔術が施されていて、一年はこのまま保存出来るようだ。花持ちが良いと思いながら飾っていたが魔術がかかっていたなんて思いもしなかった。それもそのはずで、時に干渉する固定魔術なんて使える人は限られている。時を巻き戻すことは神の領域であるから、逆行魔術の理論は完成されているが、発動させようとしても不発に終わる。一方、固定魔術は使う魔力が膨大で術者も限られているが、現代に実在する魔術だ。だから固定魔術は神が許した、神の領域に一番近い魔術とも言われている。分かってはいたが、とんでもない人だ。あのヴェルメリオという人は。
そんなとんでもない人が一体どうして。どうしてプラータに殺してくれなんて頼んできたのだろう。何故死にたいのだろう。何にも不自由することなんてなさそうなのに。だが、何にも不自由しないからこそプラータには想像もつかないような生き方をしてきたのだろう。だからプラータには分からないけれど、ヴェルメリオは死にたい程に辛い思いを抱えているのだろうか。
今度ヴェルメリオが来たらぶっ飛んだ思考の理由を聞いて、それからきちんと断ろう。どんな理由があったとしてもプラータに人殺しなんて出来るはずないのだから。
「ヴェルメリオ様、お話があります」
店番を弟に託し、ヴェルメリオを連れて店の外へ出た。ご婦人が言っていたように近所中に良からぬ噂が回っているようでチラチラと視線を感じた。人目がつかないところで話がしたい。どこかの店に入ったとしてもこのヴェルメリオの容姿ならどこへ行ったって目立ってしまう。そう思ったプラータは商店が所有している畑までヴェルメリオを連れてきた。
今日は他に作業する人影もない。ここなら邪魔されず、人目も気にせずに話ができる。畑の脇にある切り株に腰かけるように勧めて、プラータも転がっている丸太の上に座った。
「長閑な場所だな」
「はい。作物を育てる場所は、やはり田舎が適していますから」
「それで、話とはなんだろうか?プラータ嬢から話をしてもらえるのは初めてだから嬉しいな」
ふっと口元を緩めてはにかむヴェルメリオにプラータはうっと息を詰める。怯みかけたが、今日のプラータは腹を括っていた。昨日からずっと言うと固く決意していたからだ。
「ヴェルメリオ様の望みについてのお話です」
プラータが思いきって切り出して、ヴェルメリオの顔を窺うと、しかめるでもなく嬉しそうにするでもなく、先程はにかんだ後から代わりない表情を浮かべていた。
やはり。プラータはヴェルメリオについて感じていた事を一つ確信するに至った。
ヴェルメリオにとって、殺されたいという願いは普通の事なのだ。プラータが本を読むのが好きだというのと同じ事だ。プラータは本を読むのが好きで、気になる本があれば読みたいと思う。でもそれが何らかの理由で叶わないとしても悲しい思いはすれど、何かに当たりたい程に怒る事もなく、残念に思いながら諦めてまたの機会を望むだろう。ヴェルメリオにとって殺されたい願いは恐らくそれと近いのではないだろうか。出来る事なら殺されたいが、それがプラータの意思をねじ曲げてまで叶えたいことではないのではないだろうか。それほどヴェルメリオにとって自分の命は大事でもあり、軽いものでもあるのだろう。
「ヴェルメリオ様、私は貴方の望みを叶えることが出来ません。私は貴方を殺せません。そしてこれはこの先も変わりません。本当は貴方が何故私に殺されたいのか、その理由を聞いて断ろうと思っていました。でもどんな理由でも私は、ヴェルメリオ様を殺せません。ならば望みを叶えられもしないのにその理由を知るのは狡い事だと気付きました。だから、先にはっきりお断り申し上げます」
そう言って深く頭を下げた。ヴェルメリオが何も言わないので、時間を置いた後ゆっくりと顔を上げた。ヴェルメリオはその様子を静かに眺めていた。
「プラータ嬢は誠実だ。実を言うと俺自身も、何故君がいいのか分からなかった。でも今、プラータ嬢がいいと思った俺の判断は間違っていなかったのだと分かったよ。……心惜しいが君の断りを受け入れるよ。無理やり頷かせるのは紳士のすることではないからね」
「……ありがとうございます」
「何故死にたいと思ったのか、それを伝えたい気持ちもあるけれど、きっと君の事だから聞いてしまえばあまりいい気はしないと思う。だから俺もプラータ嬢が示してくれた誠実さに報いて、もうこの話は君にしないと誓うよ。俺の為に考えて、答えを出してくれてありがとう」
「いえ、何の力にもなれなくてごめんなさい」
「いいや、そんな事はない。君に会ってからは童心に返ったように楽しかったよ」
ヴェルメリオがゆっくりとした動作で切り株から立ち上がる。外の光を受けて輝きを増した、月よりも濃い黄色の目をプラータの青い目は見つめていた。そうしてどちらともなくさようならと告げてヴェルメリオの姿は風と共にかき消えた。転移魔術を使ったのだろう。
誰も居なくなった切り株の方を眺めているとじわりと視界がぼやけて、水の中で目を開けたようになった。ヴェルメリオはもうきっとプラータの前に現れる事はないだろう。プラータはそれが寂しくて泣いているのではなく、もうイカれた男に会わなくて良くなったことにほっとして涙が出てしまっただけなのだと自分に言い聞かせた。
しばらくぼうっとした後ぱんっと両頬を叩いて気分を切り替える。店に帰って帳簿をつけよう。そう思って立ち上がり、畑の横の道を通ると見慣れない男が一人立っていた。
「お前がヴェルメリオという貴族の婚約者か」
違う。もはや返事をするのも億劫だ。わざわざ答えてやる義理もない。面倒なのに目をつけられたのだとプラータは悟り、魔術でここを突破するか助けを呼ぼうと考えた。見た目通りの人ならば魔術が得意ではなさそうなただのならず者だろう。プラータが魔術を発動させようとした時、後頭部に強い衝撃を受けた。ならず者は一人ではなかったらしい。そしてプラータはふっと意識を手放してしまった。