世は定めなきこそいみじけれ
次の日、日を改めると言って帰っていったヴェルメリオを警戒していたが、昼を過ぎても来ないので、今日は来ないだろうと油断しているとそれはプラータの弟を連れてやって来た。
「姉貴、ヴェルメリオ様が話があるって──」
「アズ!」
プラータは鬼の形相でふんと顎を振り弟のアズラクを側に呼びつけ、小声で姉弟会議を開いた。
「なんだよ」
「あんた、あの人知り合いなの?」
「騎士の訓練場でお会いしたことがあるくらいだよ」
アズラクはプラータと同じように魔術の素養があり、魔術学校の騎士科に在籍している。
「あの人に何か言われた?」
「姉貴に望みを聞いてもらいにきたって……。姉貴こそヴェルメリオ様と知り合いなのか?」
「……昨日店に来たのよ」
詳しく聞きたそうなアズラクを目線で黙らせて大人しく姉弟の会話が終わるのを待っていたヴェルメリオへ向き直る。
「やあ。昨日はすまなかった。今日はお詫びをしたくて来たんだ」
「お詫びなんてそんな……」
そんな事はどうだっていいからもう来ないでくれとプラータは言いたかった。
「どうか受け取ってほしい」
そう言って勘定台にゴトリと音をたてて置かれた豪奢な箱に目を剥いた。ざっと見ただけでもプラータの商店の半年以上の売上価値がありそうな箱だ。横で見ていたアズラクも驚愕の表情を浮かべている。
「こんな……受け取れません!」
「君に似合うと思って選んだんだ。受け取ってもらえないか?」
そう言うとヴェルメリオは箱を開けた。中には箱よりも価値がありそうな宝飾品がいくつも入っていた。こんな商人の小娘には荷が重すぎる。確かに若い娘には人気がありそうな宝飾品ばかりが入っているがプラータはその価値を頭で計算するととてもじゃないが触ることすら出来ない。そしてここまで高価な物をタダで渡すなんて正気の沙汰ではない。そう、この美しい顔の男は正気ではない。イカれている。プラータはそれを一日経って冷静になった頭でそう判断した。そしてこの高価な品々は恐らく賄賂だ。殺してくれなどというぶっ飛んだ願いに対しての。だから受け取ってはならない。触ってもいけない。
「こんなものを持って来られても困ります。着けてみたりもしませんからどうぞ仕舞ってお持ち帰りください」
「そうか……また君を困らせてしまったのか。すまない」
少ししゅんとして箱を仕舞う姿にときめいたりしていない。これは困っているのはこちらなのに罪悪感を抱かせる表情をするヴェルメリオに苛立っているだけだ。
はぁ、とプラータがため息を吐いて隣に立つアズラクに目をやると何故か訳知り顔で頷いていた。何か盛大な勘違いをしている気がしてならない。
「当店に何もご用件がないのであればお引き取りください」
プラータがそう言うとヴェルメリオは店の中を見回し、口を開いた。
「あの葡萄を一房いただきたい」
「は?……あ、いえ、失礼しました。ではこちらで支払いを」
どうせ何も買わないのだろうと高を括っていたので驚いてしまった。気を取り直してアズラクに葡萄を包むように指示してからプラータは支払いの手続きをする。受け取った決済札で決済処理をしてからヴェルメリオに返すと、それと引き換えに一枚の紙を手渡された。一目で分かる重要書類の用紙だった。
「俺の分は記入して血印を捺してある。制約内容はまだ追加出来るから君が望む事があれば追加してから署名してほしい。そうすれば完全な制約を結ぶことができる。今は仮契約になっていて違反をすれば俺が多少の痛みを伴うくらいで契約を破ろうと思えば破れてしまう。本契約が為されれば俺の動作すら完全に封じる事が出来るはずだ」
制約内容はプラータを害する行為を禁ずることだけでも十分なはずなのに、それに加えてヴェルメリオが防御魔術等を用いてもプラータの魔術を優先して、それを無効化すると書かれていた。つまり、ヴェルメリオはプラータからの一切の攻撃を防ぐ手段がないという事だ。例え魔術を用いずに物理的な防御手段を用意したとしても、魔術攻撃を防ぐには物理防壁は有効的ではない。この二つ目の制約は恐らく殺してほしいという望みの為に付け加えられたのではないだろうか。これでは重罪人が結ばされる契約のようではないか。
「こんなの……」
「俺が勝手にした事だ。だからまた君に会いに来る事を許してほしい。俺の望みも君が良いと言うまで口にしない」
こんな制約をしなくても店にくるのは好きにすればいいと言ってやりたかったが、如何せん望みが望みなだけに、ヴェルメリオが高位の貴族であるが故に、ただの商人の小娘にはこれを破棄する度胸はなかった。
そして葡萄をアズラクから受け取ったヴェルメリオはまた来ると言い残して去っていった。
ヴェルメリオを見送りに出たアズラクが店に戻ってくるなりプラータの前に仁王立ちする。
「姉貴……説明してくれるか?」
「アズラク……私も説明してほしい……」
昨日の出来事をアズラクに全て説明すると、長い沈黙の後に成る程と呟いて一つ頷いた。
「分かった。俺はヴェルメリオ様を応援する」
「は!?え?……は!?」
「姉貴はそういうとこあるから……かといって俺が言うのも野暮だし」
「ちょ、ちょっと待って!意味が分からない……。あんたそれって何か勘違いしてるよね?」
「勘違いしてるのは姉貴だろ」
「え?え?嘘?何をどう勘違いしてるって?教えて!」
「それは教えられない」
「なんでよ!」
「姉貴自身で気づかないと意味がないだろ」
少し照れ臭そうに、楽しそうにそう言うアズラクに、プラータは確信した。間違いなく、アズラクは勘違いしている。
「あんた、もしかして殺してくれっていうのを何かの比喩だと勘違いしてるでしょ!違うからね!」
アズラクは恐らく殺してくれという望みを「人生をもらってくれ」とか「一緒の墓に入りたい」的なアレと勘違いしている。
「……あー、うん、うんうんそうかもね」
「ちょっと!今私の事鈍い奴だと思ってるんでしょ!本当に違うから!比喩な訳ないじゃない!」
「姉貴、落ち着こう?」
可哀想なものを見る様に宥めてくるアズラクにプラータは益々憤慨する。
「落ち着ける訳ないじゃない!ありえないから!」
「いや、本当に落ち着いて?冷静に考えてもみてよ。あの何でも手に入りそうなヴェルメリオ様が姉貴みたいな自分より全く劣る魔術師で、ただの小娘に自分を殺してくれなんて頼む?それこそありえないよ。一緒の墓に入りたいって言われる方がまだ現実的でしょ。姉貴はかわいいし」
プラータも弟と妹がかわいいし世話焼きな性分であるから幼い頃から弟妹の面倒をよくみていた。そんな事もあって、弟も妹もどこか姉の評価がゆるゆるなのであった。つまりかわいいというのは完全な身内贔屓であって、プラータの容姿は悪くはないがそこまで良い訳でもなく、初対面の人なら三日で忘れるくらいの平凡な容姿であった。
「いやいや、全然現実的じゃない!あんたがお姉ちゃん大好きなのは分かってたけどそれ身内贔屓な評価だから!そりゃ、確かに殺してくれなんて現実的じゃないけど……。でも確かに、直接殺してほしいとか、なるべく早く殺してほしいって言ったの聞いたし……そこを頑なに比喩表現で通す程話が通じない訳、じゃ……ない……」
プラータはそう否定したが、昨日だけでも骨が折れるかと思うほどヴェルメリオは話が通じないイカれた人だと理解してしまっていた。でも何故かプラータには殺してくれというのが比喩ではなく、本当に言葉のままの意味だという確信があった。
「ヴェルメリオ様って情熱的なんだな……」
「違う……。あの人は多分、本当に死にたいんだよ」
「まだ言う?よく考えてよ。初対面の客がいきなり見知らぬ店員に自分を殺してくれって言うのと、一目惚れしましたって言うの、どっちが確率高いかなんて考えるまでもないだろ」
「それは……そう、だけど……」
「まぁ姉貴が乗り気じゃないなら俺も断るの手伝うけどさ、でも姉貴ヴェルメリオ様のこと嫌いじゃないんだろ?」
そこで嫌いとはっきり言ってしまえば良かったのに、プラータはヴェルメリオが何故こんなにも自分に殺されたいのか、それが気になってしまってせめて理由を知ってからもう一度はっきり断ろうなんて考えてしまったのだった。