長き悩みの淵より、月汝を呼ばわる
魔術の素養が平均より高いプラータは王都の魔術学校に通っている。とは言え学校では成績はいつも真ん中、学校にはプラータとは比べ物にならないくらい優秀な生徒ばかりいるのである。中には『金眼』と呼ばれる取り分け膨大な魔力を持つ人もいるくらいだ。
昔から人の目の色と魔力には関係があると言われてきた。魔力が多い程彩度が高く、火属性は赤、水属性は青、地属性は緑、風属性は黄色など、魔力の属性によって大体の色が決まる。しかし、それが完全に一致するという訳ではない。火、水、地、風の四大属性は四色に依存しやすいが、希少属性の光か闇の属性魔力を多く持つ者の目の色は一貫性がない。さらに『金眼』と『赤眼』も四大属性の法則から外れる。
金とは言うものの、一見してそれは風属性魔力が多い人に見られる黄色い目と区別がつきにくい。しかし金眼は風属性魔力とは関係がない。現にプラータが知っている金眼の魔術師も、一番多く保有している魔力属性は火である。金眼は魔術師の魔力保有量が多い者にのみ現れるとされている。故に生まれたときは一般的な目の色でも成長するうちに魔力量が増え、金眼に変化するという例も過去にはあったようだ。さらに人以外にも高位の魔獣や龍種にも金眼が見られるらしいが、こちらも普通に生活していればまずお目にかかれない。
『赤眼』に至っては神話級に現実味のない話だ。赤と名につくが、火属性の魔力量が多い者に見られる赤い目とは別物である。昔の文献によれば金眼を持つ者が更に魔力を増やした時に金眼が赤みがかってくる事から、金眼持ちより上位の存在が赤眼なのではないかとされてきた。さらには神話では赤眼は最上位存在である神と豊富な魔力を持つ種族『吸血鬼』しか持てないと記されている。それが赤眼が神話級と言われる所以だ。
勿論プラータはそんな特異な能力はない。平凡な青い目である。
魔術学校には優秀な生徒が大勢いて、最上級使い魔を召喚したり、優秀な貴族生徒から何人も求婚されたりする生徒にプラータは憧れていた。しかし非凡に憧れる平凡なプラータは、そういった憧れはただの憧れであって自分には全く関係ないものだと認識している。それはプラータにとって自分の現実から酷く遠くにある夢物語だった。
そんな魔術学校も今は長期の休暇期間に入ったところである。プラータは休みの時は実家である商店の手伝いをしていた。仕入れたものや商店で育てたり加工した食品を多く取り扱っている。プラータは主に帳簿をつけながら店番をしたり、水の魔術で農園の植物を育てる手伝いをしていた。多少の違いはあれど、平坦な毎日である。それを退屈に思ってしまう事はあるけれど、嘆いても仕方がない。実家のこの仕事が嫌いな訳ではないし、少しでも手伝って家族の助けになりたい気持ちもあった。プラータには弟や妹もいる。両親は心配しなくても良いと言うがやはり商売がこの先もずっと安定していけるという保証はない。だから率先して手伝いを引き受けている。この平凡な毎日は誰かの努力によって平凡でいられるのだ。
しかし夢見がちな年頃のプラータは良い意味での非凡をやはりいつもどこかで期待してしまうのだ。
その日もプラータは一人で店番をしながら帳簿をつけていると、一人の男が店に入ってきた。プラータは帳簿から顔をあげると男の黄色い目と視線が合った。
黒く短い髪からは耳に付けられた大ぶりの魔石がついた魔具が覗き、整った顔立ちに華を添えている。背もすらりと高く人目を引く容姿だ。それにかなり鮮やかな黄色い目が強力な魔力の持ち主であると物語っている。その黄色い目はプラータには判別つかないが、もしかすると金眼なのかもしれない。そう思うほどにその男からは人の上に立つ者の風格が備わっていた。
男は陳列されている商品を見向きもせず、ずんずんと勘定台の奥へ座るプラータの前までやって来た。
「いらっしゃいませ」
表情も声色も接客態度に満点をつけてあげたいほど完璧だ。プラータは内心そう自分を評する一方で男が何を言い出すのかハラハラしていた。もしかして気をつけていたつもりでもさっき顔を見たときに視線がうるさかったのだろうか。心配になってチラと男の様子を窺おうと思った時だった。
男は勘定台の向こうにいるプラータの方へ手を出し、ぐっとその両手を掴み自分の前に引き寄せる。そして男の両手がプラータの手を包んだ。流れるような動作にプラータは避ける術もなくされるがままだった。
鮮やかな黄色の目が近づいてきた。その瞳孔は一部の魔獣のように縦に長いように見えた。プラータが珍しいそれを見て呆けていると、細かったその瞳孔がじわっと膨らんだ。
「俺を殺してくれ」
心底嬉しそうな笑顔でそう言った男を唖然と見つめるしかなかった。
「は……」
絶句。人は驚きすぎると言葉も出ないのだとプラータは頭の片隅で冷静にそう思った。
商売を手伝い初めてそこそこ経つプラータは色んな人を見てきた。同年代では自分の対人経験は平均より上だと自負している。中には困った客も沢山いたし、話が通じない人も少数ではあるが、いた。だがしかし、これは何だ。何を言っているのか全く分からない。間違いなくプラータの十数年間の人生の中で一番ぶっ飛んだ人間に違いなかった。
手を握ったままにこにこと笑顔を浮かべているこのイカれた男をどう処理すれば良いかプラータは必死に考える。とりあえず自分だけの手には負えない種類の人だ。ならば助けを呼ぶべきだ。だが店には今プラータひとりしかいない。そして店から出て助けを呼ぶにはまず目の前の手を握ったままの男をどうにかしなくてはいけない。そして思考は振り出しに戻る。つまり、詰んでいた。
「は、離して、いただけませんか……」
「わかった」
パッと手を離されて拍子抜けする。プラータは意外にも聞き分けのいい男に、先程の発言が自分の聞き間違いだったりしないだろうかと思い始めた。
「あの、どういったご用件でしょう?」
プラータは先程の発言をなかった事にしてこの場を仕切り直した。
「すまない、挨拶も無しに失礼をした」
「いえ、とんでもありません。よく聞き取れなかったものですから」
にこやかに返答する男にプラータはほっと息をついた。普通に会話はできる人だと安心したのは早計だった。
「俺の名はヴェルメリオ。家名は分からないので無い。爵位は不必要だから覚えていない。一応ガサクの森に住んでいることになっている。君の名を教えていただけないだろうか?」
家名が分からない?自分の爵位を覚えていない?魔獣がうろつく危険なガサクの森に住んでいる……ではなく『住んでいる事になっている』?……なんなのだ、この男は。一体何を言っている?
プラータは非凡に憧れていた。だがそれは良い意味の、例えるなら大衆向けの非凡な主人公が成り上がっていく夢物語のような非凡という意味だ。断じて平凡な町が突然として現れた災厄によって戦線になってしまう不穏物語ような非凡ではない。だからこの胸の緊張感は夢を見るような高鳴りではなく不穏に危機意識を募らせた生理的反応に違いないのだ。
その不穏な状況から身を守るように無意識に胸の前で握っていた手がほどかれ、プラータの左手が男に取られる。呆然としている間に左手の指先に少し温かくて柔らかいものが触れた後に息がかかった。
「……教えてはくれないのか?」
びっくりしたプラータは目にも止まらぬ速さで左手を引っ込めた。接客態度としては減点だが目の前のヴェルメリオと名乗った男は客ではないようなので問題はない。プラータは自分を心の中でそう養護した。
「……プラータ・ルプス、です」
名乗ったのは本意ではないが名乗らなくてはこの男が何をしてくるか分からないから仕方なくそうした。決して見た目が麗しく夢物語の王子役の様でときめいたからなどではない。プラータの名前を聞いて心底嬉しそうに微笑んだからといって、この男が美麗で不審だというプラータの評価に変わりはないのだ。
「名前を呼ぶ栄誉をいただき感謝する、プラータ嬢」
「そっ、それでご用件は?」
会話の主導権を相手に与えてはいけない。その一心で本題を急かした。
「プラータ嬢、どうか私を殺してほしい」
「申し訳ございません、当店ではそういったサービスは取り扱っておりません。当店より騎士団の方が適任かと存じます。騎士団へは当店を出まして右手の通りに向かいますと、左手に王城が見えます。その方向に真っ直ぐ進んでいただけますと辿り着けます」
「ああ、すまない。騎士団へは何度か出入りしたことがあるから道順は知っている。俺は騎士団でもこの店を通してでもなくプラータ嬢自身に直接俺を殺してほしいのだ」
玉砕である。プラータ渾身の接客防御壁はこの丁寧な物腰のイカれた男に全て破壊された。同じ言語を話している筈なのにプラータの真意は全く通じていない。プラータとしても回りくどく拒否するより怒鳴り付けて追い返したいがそれは出来なかった。ヴェルメリオと名乗ったこの男の発言が全て本当なら騎士団に世話になったことがあるお尋ね者か、あるいは騎士団の関係者の可能性がある。さらには爵位を持った高位の魔力持ちでもあるということだ。もし発言が仮に全て嘘だったとしてもプラータでは到底太刀打ち出来ない魔力の持ち主であることは、目の彩度や身につけている魔具の質から見ても疑いようがなかった。
「こ、困ります!急にそのような事を仰られても……」
「それもそうか。初対面でいきなり押し掛けて、君の都合を考慮していなかった。すまない」
「いえ、お分かりいただけたのなら幸いです」
やっと諦めて帰ってくれるとプラータが笑顔を浮かべると、ヴェルメリオも承知したと言わんばかりに笑顔で頷いた。プラータは男が帰ったら騎士団の人にどんな人なのか聞いて危ない人なら取り締まってもらおうと決意した。
「それで、いつなら大丈夫だろうか?なるべく早くに殺してくれると嬉しいのだが」
「そうじゃない!」
新しい商品を早く納品してほしいと楽しみにしている客の様に予定を尋ねてくる男に対して反射的にそう答えていた。
「すまない。また何か失礼をしてしまっただろうか?」
「違う違う違うっ!そういう問題じゃない!」
本当に、イカれている。初対面の人間に自分を殺してくれと頼む時点でおかしいのだが、頼み方が人にものを頼む態度では……ある。人に頼み事をする態度として間違ってはいない。そう、その『頼み事』だけがおかしいのだ。自分を殺してほしいという頼み事だけが会話の中で強烈な違和感を与えていた。殺してくれというそれ以外の言葉も表情も全てが全く普通だから、その普通さがかえって恐ろしかった。
キョトンとした顔についにプラータは思った事をそのまま口にしてしまったが、ヴェルメリオに怒った様子は見られない。
「申し訳ありません。つい、乱暴な言葉を使ってしまって……」
「いや、それは全然構わないよ。だが、それでは俺はどうすれば殺してもらえるのだろうか?」
一旦落ち着こう、とりあえず全力で断ろうとプラータは息を吐いた。
「ヴェルメリオ様、貴方に一体どのような事情があるのかはわかりませんが、どんなに頼まれようと私には人殺しは出来ません。それにあまり殺されたいなどと口にすべきではないかと思います」
「そうか。それは困ったな……」
納期に商品が間に合わない業者のように心底困ったぞという顔をされても困るのはプラータの方だった。
「それはそれとして貴方に名前を呼ばれると、こ……興奮する」
「は?」
一瞬言い澱み、言い直した言葉にプラータはやはりヴェルメリオはイカれているのだと再認識した。微笑んでこちらを見る彼の目はキラリ輝き、瞳孔は真ん丸に開かれている。間近で縦長の瞳孔が太くなるのを見てからそれが細長く戻るところをプラータは見ていない。もしかすると自分の見間違いだったのかもしれない。
「ああ、すまない。今のは失言だった……だが信じてほしいのだが俺は決して君を害したりはしない。君が望むように魔術制約を結んでもいい。だから君は思った事をさっきのように言ってほしい。今日は突然押し掛けて君を困らせてしまって済まなかった。日を改めるよ」
日を改められてもヴェルメリオの望みを叶える事は出来ないのだが、呆気に取られたプラータはそれを伝えることが出来ないまま男を見送ってしまった。
店に顔を覗かせに来た弟に店番を変わってもらったプラータは騎士団の駐在所へ走って向かった。
城壁の手前で城への通行を取り締まる騎士を一人掴まえて話を聞いてもらう事にした。プラータも両親について商品を城へ届けるのに何度か来たことがある。幸いに取り締まりの騎士も見覚えがある人だった。
「あの、すみませんが騎士団にヴェルメリオ様という方はいらっしゃいますか?」
「ああ、いるよ。でも取りつぎは出来ないよ」
騎士様に会いたいとやって来る女の子は多くて取りつがない決まりなんだと言う騎士にプラータはとんでもないと慌てた。
「いえ!絶対に取りつがないでください!」
「え?まぁ、それならいいんだけど……。まぁ取り次いでと言われてもヴェルメリオ様は基本的に騎士団にはいらっしゃらないからどうにも出来ないしね」
「そうなのですか?」
「ああ、あくまで外部協力者のような立ち位置なんだよ。これ以上は情報漏洩だし、そもそもヴェルメリオ様なんて上の方の事は俺みたいな門番程度の下っぱにはどんな方なのか全く分からない。俺は話したこともないから教えられない」
「そうですか……」
騎士にお礼を言ってからとぼとぼと店への帰路を辿る。思ったように情報は得られなかったがヴェルメリオがお尋ね者ではなく騎士団側の関係者だということが分かっただけでも安心した。少なくとも法や秩序を恐れない無法者ではない筈だ。制約魔術をかけても良いと言ったのは本気だったのかもしれない。
しかし何故ヴェルメリオは死にたいのだろうか。死にたい程何かに絶望したのだろうか。
神を信仰する多くの民は自ら命を絶つ事はしない。自ら死ぬという事は予め決められた神の期限を破り、神の領分を侵すことであるとされているからだ。神の領分を侵せばその魂は神の元へ戻れず、完全に死ぬ事も出来ず、永遠に意識を持ったまま虚空に取り残されるという。
それが本当かどうかはプラータの知るところではないが、もし自分が自ら死ぬことがあればそうなるのだろうなという漠然とした思いはあった。だからヴェルメリオがプラータと同程度の信仰心を持っているのならばあえて自ら死を選ぶことはないのではなかろうか。ましてや騎士団などという命を張った仕事をしているのなら、自ら死なずともそういった機会は多々あるだろう。
いくら他人の手で死んだとしてもそれが自ら殺してくれと頼んで死んだというのなら、それは神の領域を侵す事になるのではないか。そして何故殺す役目は今日初めて出会ったプラータでなくてはならないのだろうか。他の人ではいけないのだろうか。戦場で果てるのでは駄目なのだろうか。