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#8

「マイカ……お腹空いた」

 セキエンちゃんが腕の中で駄々をこねる。


「どうしよ……携帯食も全部使い切っちゃった」

「我慢してもらえ。ここは下層域だぞ、ヒトが食えるモノなんてそんな滅多に売ってない」

「でも後回しにしたって最終的には直面する問題なのよ。セキエンちゃんとの意思疎通も思うようにいかないし......」


 冷たいヤツ、などと美龍を責めることはできない。それが事実なのだ。だが、何も食べなくてもやっていける私達に対し、彼女は純粋なヒトなのだ。栄養を摂取しなければ死んでしまう。


「ごめんねセキエンちゃん……ちょっとガマンしててね」


 急いで食事を探さないといけない。私は通りに忙しなく目線を滑らせるが、開業している店はどこも対怪異向けのものばかり。いくら空腹でも潤滑油を飲ませるわけにはいかない。美龍も口ではああ言ってはいたが、道の先を行き店先を覗き込んでいる。


「ポケットの中に飴があったはず……」

 とはいえセキエンちゃんを降ろしてポケットの中を探るわけにもいかない。今歩いている通りにも少なからず怪異が歩いているのだ。私は彼女を抱え続けなければならない。


「飴をご所望かい、了解した。用立てよう」


「あらありがと…………ッて誰!?」


 声の主に驚き、慌てて振り返る。そこにはなんと、見知った顔がいた。正確には見知った布だったが、さっきの言葉は間違いなく()から発せられたものだった。


「も、百神(・・)じゃない。あなた、一体どうしてここに」

「話は中でゆっくりしようかマイカ。おい美龍、君のちょうど真横に店があるだろう。それが僕の店だ。中に入ってくつろいでくれ給え」



 百神の言葉で美龍がハッと上を見上げる。そこにはメッキの剥がれたトタン製の看板で、大きく『百神質屋』と書かれていた。


 **


「説明しろ百神。どうしてお前も下層にいる。それにこの店はなんだ」

 質屋の奥には生活空間があった。私たちは今、その中心に置かれた炬燵を囲んで座っている。百神と向かい合う美龍が、矢継ぎ早に質問をまくし立てた。だが百神は意にも介さない。ゆっくりと緑茶をすすっている。


「……ところでマイカ、服のサイズは合っていたかい?」


「あ、うん。ぴったりだった。ありがと助かったわ。血塗れの服はなんだか気持ち悪かったの。でもなんでセーラー服なの?」


 私は脱衣所を借りて、血塗れになった服から着替えていた。だが百神から用意されたのはまさかのセーラー服。私自身は高校に行くという経験は無かったので新鮮だったが、そもそも何故百神がセーラー服なんて所持しているのだろうか。

「まさかお前…………女装趣味……」

「もちろん違うとも。僕は下層(した)では質屋だからね。客が質請けに戻ってこなかった品のうち、使い道があると判断したものはここに残して置いたのさ。うん。君に良く似合っているとも」


 彼は満足げに頷いて、また緑茶をすする。


「……それにしても怪異避けにウブメの伝承を被るというのは良い案だったね」

「だろう、それは俺が発案したんだ……ッて話をはぐらかすなよ百神。まだ俺の質問に答えてもらってないぞ」


「まァまァ待ち給えよユーレイ人魚、物事には順序があるんだ。いや……まぁでも君の機転には感謝しないといけないのは事実のようだ。なにせお得意様のマイカが人喰い妖怪に齧られたとなっちゃ目覚めが悪い。まあその場合、医薬品を用立てるのも僕なんだけど」



 彼は湯呑みを空にすると、コトンと音を立てて天板に置いた。


「で、その子が(くだん)の……」


 百神は首を斜めに傾ける。


「江戸時代から来た......」

「そのようね」

「怪異を固定化させる目を持つ……」

「おそらく」

「《来訪者》の日本人」

「多分ね」


 彼は私の返事に曖昧に頷くと、大きく息を吐き出し、それからセキエンちゃんの方を見た。


「奇遇だ。よもやこんな偶然があるとは思いもしなかった。……やァ君、今から僕はこのおねえさん達とお話ししているから、その間おとなしく待っていてくれるかな」


 百神は立ち上がると戸棚を開け、中から駄菓子の詰まった箱を取り出し、セキエンちゃんの前に置いた。おそるおそる手を伸ばす彼女であったが、すぐに気に入ったのか、笑顔で頬張りはじめた。


「それじゃあここからは大人の話をしよう。マイカ、君は老靴から死の宣告を受けたのを覚えているね」


「ええ……勿論」


 そうだ。私にとっては最も重要なことはその事実だ。決して今まで忘れていたわけではない。ただ上層へ戻るということだけを考えて、邪念と一蹴して無理やり頭の中から弾き出していた条項に過ぎない。不死身の私へ向けられた死という矛盾は、それでも矛盾と割り切るには大きすぎた。


「はじめてその話を耳にした時は僕も驚いた。なんとか君の死を防いでやれないかと頭を回し、秘蔵の匣もプレゼントした。そのスーツケース、少しは役に立っただろう」


「ああ役に立ったとも。あとでその内装の作り方を詳しく訊かせてもらおうか」


 美龍は部屋の内装の仕様に疑惑の念を傾けているらしいが、そのおかげで危険を回避できたのも事実だ。怪異に喰われるくらいで死ぬ自分では無いことは経験から理解しているとはいえ痛いのは御免だし、死の宣告も脳裏をちらつく。安全空間(セーフゾーン)を確保できるというのは精神的にも良い。


「だが君が下層に落ちたという情報を聞いた時、僕は確信した。君という存在は間違いなく死ぬ。よろず屋マイカは二度と上層で仕事を続けることはないのだと」


「どういう…意味かしら」


「言葉のままの意味だとも。もちろん日本語は指定する事実に幅があるから、解釈をしようならある程度は融通は効く」


 この古くからの知り合いは、特にその表情を暗くすることもせず、ただ淡々と言葉を並べる。


「君もよく知っている通り、上層下層間の移動は容易いことではない」


 上層に生きる者の鉄則。それは足元に気を付ける(・・・・・・・・)こと。落下は自己責任だ。もっとも多くの怪異は全方位にセンサーを外付けしたり、天候情報を同期することが多く、彼らが道を踏み外して落下することは滅多にない。生身の身体を残したがった私のような少数の生き物だけが、強風や劣化した足場に注意を払わなければならない。


「僕だって上層(うえ)から移動しているわけじゃない。予備の身体をここに置いていて、用事があるときにログインしているだけに過ぎないからね。空を飛んでいこうにも、下層から上層への浮遊に対する警備システムは厳重だ。僕の見立てでは、あれを突破するには比喩ではなく韋駄天以上の速さで空を駆けなければならない」


 百神はしれっと衝撃的なカミングアウトをこぼしたことに、私は遅れて気が付くこととなった。目の前にいる彼は、言わば二号機ともいうべき存在なのだという。たびたび彼の予備ボディの存在は耳にしていたためか、いまは改めてその存在を噛みしめる程度の衝撃に抑えることが出来た。だが、それでも矢張りこうして実物を見ると感慨深いものがある。今私たちの目の前にいる彼は、言ってしまえばただの機械に過ぎない。私達が普段出会い、話をする百神は全く別物の存在であるにもかかわらず、今目の前にいるこれを、私たちは百神(・・)と認識しているのだ。彼を彼たらしめているものは、それでは一体なんだというのだろうか。




 私と美龍は奇妙な憂慮から一瞬目線を通わせたが、そのまま流すことにした。おそらく今は、その事実は話の本質ではない。


「じゃあ上昇は無理じゃねえか。最速の飛行物体を韋駄天と定義するんだぞ。矛盾が発生する」


「その通りさ美龍君。まったくもって無理だとも。そういう風に(・・・・・・)なっている(・・・・・)のだから仕方ない。おとなしくエレベータで上がるしか残された選択肢はないのだよ。そしてそれを為し得るエレベータはあの都市伝説の通り、スカイツリー内部にだけ存在する。これは事実だと明言しておこうか。何故なら僕は......」


 この目で見たからね、と付け加え、悪戯っぽくウインクまでする彼をぼうっと見つめながら、私はなにか、漠然とした不安を抱き始めていた。私たちは必要以上に干渉しない。必要以上に介入しない。必要以上に詮索しない。する必要がないからだ。だから彼も私たちの過去を知らないし、同様に私も彼の過去を知らない。


 だがこの不安感は何なのだろう。彼は間違いなく、私たちの知らない顔を持ち、私たちの知らないことを知っている。スカイツリーについて。そしておそらく、そこに住まうクラフティアンなる者たちについてもだ。

 さらに言うならば、彼はセキエンちゃんについても何か知っている素振りを見せたではないか。今まで知識の差などに注意を払ったことは無かったが、いざ真剣に考えてみると、どんどんと思考が肥大化していく。彼は何を知っているのか。彼はどうして、そしてどこまで知っているのか。


 そうだ。私と美龍の関係ならいざ知らず、ヒトとは他人(ヒト)の素性など全くわからないのが当たり前。長い間怪異化した機械たちと暮らし、百神らヒトとも仕事上の付き合いしかしてこなかったから忘れていたが、ヒトとヒトとの関係とは、本来こういうものではなかったか。社会に求められて簡略化された私たちの役割なんかより、もっと複雑な、もっと混沌とした、なにか。



「考えごとかい、マイカ」


 百神の、鋭い視線が私を射抜く。


「......別に。よそ見してただけよ」


 彼にはわかるまい。

 否。もしかすると、案外同じことを考えているのかもしれない。


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