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#5

 こんな世の中になっても、ヒトは完全に消滅した訳ではない。その覇権はとうの昔に失い、今や圧倒的な少数派に成り下がったとはいえ、ヒトはこの世界に生命の席を保持したまま。


 ヒトは、大きく三種に分類されている。一つは『保有者(いきびと)』。この私のように、ほかの妖怪の伝承に引っ張られる形で生き続けている者。ここにはたとえば百神のように、何かしらの方法で自我と記憶を持ち続けている者も含まれる。


 二つ目は『被験者(しにびと)』。『ヒト』という種を絶やさぬよう、保護や研究をされている者たち。他の大陸には、保護区を設け、人間のみで生活している地域があるとかないとか。それも村一つとかその程度の規模であり、その数は決して多くはない。基本的にはこの二種を指してヒトと呼ぶ。悲しいことだが、消えゆく運命の種族と言っても過言ではない。


 そして三つ目は、イレギュラーな存在である。ある日突然ふらりと現れ、ふらりと消える者。彼らを私たちは、『来訪者(まれびと)』と呼ぶ。



**




「ねぇ、そこの魚のお兄さんは不思議な人だねェ。よく見てもいい?」


「お……俺か」


 少女は美龍の困惑を他所に、じろじろと彼を見つめている。


「なあマイカ……この子は……ヒト、だよな」

「ええ。でも『保有者』や『被験者』では無さそう。『来訪者』かしら」


 おかっぱ頭の少女の視線は好奇心に満ち、べたべたと美龍の身体に触れてはきゃっきゃと楽しそうに笑う。

「ふしぎぃ」

「おいこら鱗を触るな鱗を」


「実体化を解けば良いじゃない」

「頭いいな」


「お兄さん人なのかな、お魚なのかな」

 少女は水かきのついた美龍の指をつんつんとつつく。


「出来てないわよ」

「出来てないんじゃない、なんかわかんねえけど出来ないんだよ。この子に触られてると身体が自然に実体を保とうとする」


「へんなの」


 少女は美龍に飽きたようで、今度は私の方に駆け寄ってきた。彼女は私の身体を頭から爪先まで見渡した後、真っ直ぐ瞳を見つめて、不思議そうに呟いた。


「おねえさんもお魚さんなの?」


「私は……違うわ。私はマイカっていうの。あのお魚さんはメイロンっていう名前よ。あなたの名前を教えてくれる?」


 私はしゃがみ込み、少女に目線を合わせて頭を撫でた。顔も言葉も日本人のようだ。後ろでは、魚とはなんだ、と小声で美龍がぶつぶつと文句を言っている。


「わたしはね、セキエンよ。よろしくね。マイカが『ふしぎな人』なのかなぁ」


 セキエンと名乗る少女は不思議そうに首を傾げる。細かい動作が愛らしい。私はこの少女が気に入ってしまった。

「セキエン……どこかで聴き覚えが……」

 美龍はその名に思い当たる節があるようだった。記憶を掘り起こそうとしながらも、彼は少女に注意を傾けている。私はそんな彼を放っておいて、少女をまっすぐに見つめながら質問を重ねた。

「『ふしぎな人』って、何かしら」


「おじちゃんに言われたの。『あっちにふしぎな人がたくさんいるから、見てきなさい』って。それでお家の扉をくぐったら、ここにいたの」

 美龍は弾かれるようにセキエンが指差したドアに素早く向かい、力強く開け放つ。しかしその先に広がっているのはただの廊下であった。少しため息をついたあと、こちらを向き直る。


「言われたって……誰に(・・)だ」


「私のお母さまのお兄さま。絵を描くのがお仕事なんだって」


「お前がここに来る前、何があったか覚えているか」

「えーっとね、えーっと……」


「ちょっと美龍、なにがっついてるのよ。この子が怖がっちゃうでしょうが……」



「……そうだ、お父さまがね、明日ショウグン様のいらっしゃるお城に行くの。ショウグン様はとってもえらい人なんだって。お父さまが言ってた」


 将軍。私にとっては、その言葉は懐かしい言葉であった。その言葉が意味するものを瞬時に理解した私は、立ち上がって美龍に近づき、耳打ちする。



「ショウグンといえば……一番新しいのでも滅亡は19世紀よね」


「ああ。つまりこの子は『過去から来た』ということになる」

「どうするよ。親元に送り届けないと」

「方法が無えだろ。時間遡行の機械はレア中のレアだ。それに幼女一人抱えて生きていくには、この世界はヒトに厳しすぎる」

「だからこそほっとけないわよ……!」

「そんなこと言ってもだな……ヒャイッ!?」


「うーん、でもマイカよりも、こっちのお魚のお兄さんの方がふしぎな人だよね」

 美龍が変な声を出して、突然飛び上がった。セキエンが美龍の尾びれをくすぐったようだった。なんと驚いたことに、美龍は尾びれを触られるのに弱かったのだ。今まで触る機会などなかったから、その事実は私にとっても初耳であった。そして突然の出来事に、笑いを堪えきれずにいた。

「ヒャイッですって……ふふふ」

「おさ、お魚っ……!?」

「はいはい美龍、気にしないの」

「お前がお魚のお兄さんとか言うからだろうがッ…………なあセキエン、俺のことはメイロンって呼んでくれないかな。メ、イ、ロ、ン、だ」

「うーん、お魚さんのほうが呼びやすいよ」

「せめて……お兄さん属性を付けてくれ……」


 **


「ひとまずここを出るか。セキエンにはコートを貸してやれ。外は冷えるからな」

「私が寒いのはお構いなしですか」

 嫌味を返しつつ、私はその言葉に従った。確かにこの子の体調の方が気をつけるべきだ。私は滅多なことでは病気には罹らない。


 美龍はドアを開ける。その先には真っ直ぐ廊下が走っていた。この建物は、旧世紀では一般的な作りであったマンションのようだ。他の部屋の扉は閉まっている。

 セキエンちゃんの腕をひいて、足元に気を付けながら部屋から出る。エレベーターにはもちろん電気は通っていない。さらには割れたコンクリートやら木材やらが塞いでしまっている通路が大半で、一階へと降りる道は実質一本道だった。音を立てないよう、私たちは一歩一歩慎重に進んでいく。


 階段を降りていくと、エントランスが眼前に広がった。目標の出口、透明なガラス製の自動ドアには黄色い貼り紙が何枚もくっついていて、半開きのまま電源は落ちていた。何かをぶつけてガラスを割るしか建物から出る方法は無いだろう。吊るされたシャンデリアは経年劣化で落ちてこないだろうか、などと不要な心配が頭をよぎる。

 エントランスは実質閉鎖空間だった。その中央に佇む者の存在に気付き、先頭を進む美龍は足を止めた。


「マイカ、見ろよ……」


 そこには一頭の馬が立っていた。だが驚いたことに、その顔はヒトの赤ん坊である。その顔は苦痛に歪み、こちらに気付くと弱々しくこちらに歩み寄ってくる。口から溢れるように、赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。



「可哀想に。逃げ出した『被験者』かしら」

「マイカ、鉄則覚えてるよな。合成獣に情は禁物、大抵ヤツらの食料はヒト」


「でも半分は赤子よ。もしかしたら害は無いのかも……」


「たとえ無害だとしても、自分の足元もおぼつかない俺たちが今、こいつに構う余裕はねえ。話の通じるセキエン抱えるだけで精一杯だ」


 その時、人面馬がゆっくりと顔を上げ、こちらに視線を合わせる。すると、その顔は急に歪み、割れ、ずらりと並んだ鋭い歯をむき出しにした。ギラギラと光る眼が、こちらに敵意をむき出しにする。


「……言わんこっちゃない」


 私はセキエンの手を強く引く。来た道を引き返さなければ。窓から美龍に乗って飛び降りて、低空を飛べば逃げられるかもしれない。脳内で焦る私とは打って変わって、状況が飲み込めていないのか、セキエンの目は既に、迫りくる馬に釘付けになっている。

「セキエンちゃん、早く!」

 私に強引に腕を引っ張られ、半ば引きずられるようにしてセキエンちゃんも駆け出す。だが彼女の視線は、まだ人面馬に向いたままだ。速度は遅い。

「ねぇねぇマイカ、あれは……牛さんのおばけ?」


「どう見ても馬でしょ、良いから走るのッ……って、あれ?」


 セキエンちゃんが人面馬を指さした瞬間、奇妙なことに、人面馬の身体に変化が起こりはじめた。馬の脚は歩むのをやめ、立ち止まる。その焦茶色の体皮が一瞬にして真っ赤に染まったかと思うと、馬の脚はそのままに、胴体だけが膨らんでいく。


 細身の馬の体が、でっぷりと太った身体に変化した。その身体は馬というより、むしろ()に近いものであった。急激な体重の変化についていけず、細い馬の脚はバランスを崩す。人面馬は地面に激突した。真っ赤な牛の身体に、馬の脚、赤ん坊の顔。もはや人面牛というべきだろうか。


「マイカ、いまだ急げ!!」


 美龍の鋭い声が飛ぶ。その声に我に返った私は走ろうとするが、こんな時に限って脚に激痛が走り、うまく走れない。背後からは、地面に這いつくばりながらもこちらを貪ろうと、かちかちと歯を鳴らす音が聞こえる。その時私の頭にとっさに思い浮かんだのは、百神に貰ったスーツケースだった。せめてセキエンちゃんだけでも守らなくては、と思って取った行動とは、そのスーツケースを開けることだった。


「この中に!」


 小柄なセキエンちゃんさえ守ることができれば、私だけなら後はどうにでもなる。喰われようと何されようと、死なない(・・・・)自信はあったのだ。震える手に力を込めてスーツケースを開く。すると中に収納スペースは無く、代わりにミニチュアのワンルームがぎっしりと詰まっていた。


「え?」


 すると、覗き込んでいた私達はなんと、スーツケースの中に吸い込まれてしまった。近くを漂っていた美龍を含む全員を吸い込むと、スーツケースはひとりでにパタンとしまった。人面馬は−−−−−−否、人面牛はいっしゅんにして標的を失い、悔しそうに独り、赤子の声で泣いた。


 無人の建物に、ひっそりと響く赤子の声。それに釣られたのか、各階の閉まっていた扉が次々に開き、中から異形の数々が溢れるように現れる。その誰もが、エントランスの地面に落ちたスーツケースには、一切目もくれなかった。


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