元嫁は、神杯の使用を提案する
ハイドランジアの魔力をどうにかする方法はわかった。しかしながら、なかなかすぐに実行できるものではない。
魔力の譲渡は短期間でできるものではない。毎日少しずつ、移していかなければいけないようだ。そのため、実行するならば早いほうがいいだろう。
恥ずかしいとかなんとか、考えている場合ではない。魔力が過剰に体内にあると、具合が悪くなるという研究結果もある。今も、辛いはずだ。
自分のことは後回しにして、周囲のために動いているハイドランジアを思うと、胸が締め付けられる。
ハイドランジアを延命させるために、ヴィオレットは即座に腹をくくった。
帰宅したハイドランジアを呼び出し、話をする。
自室に呼び出し、目の前に座るよう扇で示した。ハイドランジアは、素直に真向かいに腰掛ける。
「珍しいな。ヴィーのほうから呼び出すなんて」
「一刻を争うことですので」
「なんだ?」
「ハイドランジア様、神杯についてはご存じ?」
「ああ、魔力を無限に溜めることができる器のことだろう?」
「ええ、そうですわ。その神杯を、わたくしはこの身に宿しているのです。それで、ハイドランジア様の魔力を、この身に宿せないかと考えておりまして」
ハイドランジアは驚く様子はなく、そっと目を逸らすばかりだ。ため息を一つこぼし、幼子を諭すような口ぶりで言葉を返す。
「ヴィー、魔力の譲渡がどのように行われるか、知らないとは言わないだろう?」
「え、ええ。存じておりますわ」
「その方法は、ヴィーの負担が大きい。他人の魔力を大量に受け入れることは、体内に爆弾を抱え込むようなもの。いつ爆発するかわからないものを、ヴィーに抱えさせるわけにはいかない。神杯については、以前からポメラニアンに聞いていたのだが……」
ポメラニアンから話を聞いたあと、ハイドランジアは個人的に神杯について調べていたらしい。結果、行わないほうがいいだろうと判断したのだとか。
「放出することは危険。譲渡もわたくしに負担がかかる。だったら、どうすればよろしいの?」
「運命だと受け入れる他ない」
「なぜ、そのように淡々としていますの?」
「代々の当主の早死に、気づいていたからだ。しかし私も、父くらいまで生きられるとは思わなかったが、四十までは心配いらないと思っていた」
寿命を縮める引き金となったのは、邪竜との戦いだろう。つまり、ヴィオレットと出会わなかったら、四十歳まで生き延びることができたのだ。
「わたくしの、せいですわ」
「ヴィーのせいではない」
「わたくしのせいです」
「違うと言っているだろうが」
膝の上にあった手を、ぎゅっと握りしめる。ヴィオレットは今一度、神杯にハイドランジアの魔力を注いだほうがいいと勧めた。
「お願いいたします。生きてほしいと思うのは、わたくしだけではないと、思います」
気持ちが高ぶり、涙となって溢れてくる。顔を伏せて拭うが、次から次へと溢れてきていた。
ハイドランジアは、今どんな表情をしているのか。顔を上げる勇気がない。
顔を伏せたまま、最後の懇願をする。
「ハイドランジア様の苦しみを、わたくしにも、分けてください。どうか、お願いいたします」
「ヴィー……」
ハイドランジアは切なげに呟き、ヴィオレットのほうへ回り込む。隣に腰を下ろし、震えるヴィオレットの手を握りしめた。
「ありがとう。そこまで考えていたとは、思いもせずに」
「ハイドランジア様は、酷いお方ですわ。いつも、一人で何もかも決めて、わたくしには何も相談せずに、どんどん先に進んで」
「今まで独りだったから、他人に相談したり、頼ったりという思考がなかったのかもしれない」
「でしたら、この先、わたくしを頼ってください」
涙を拭い、ハイドランジアを見上げる。紫色の瞳を丸くし、驚いた表情をしていた。
魔法師団をひとまとめにする男の、なんとも隙だらけな顔である。
こみ上げてくる感情は、複雑すぎてよくわからない。
一つだけ明らかなことは、ハイドランジアに死んで欲しくないということ。
ヴィオレットはハイドランジアの頰を両手で包み込むように触れ、そっと顔を近づける。唇を寄せた。
普段だったら、こんな大胆なことなど絶対にできない。延命治療だと、思うことにする。
ハイドランジアの魔力に意識を集中させると、その濃度と量に驚いた。
これを一人で抱えているとしたら、起きて歩いていることさえも辛いだろう。
少しずつ魔力を絡め取り、ヴィオレットの神杯に注いでいく。
ハイドランジアの魔力は甘美な味わいだった。しかし、呑み込んだあとは巨大な岩が体の上にのしかかるような息苦しさを感じた。これが、ハイドランジアの言っていたヴィオレットの負担なのだろう。
ハイドランジアから離れると、しばし息が荒くなる。額に汗が浮かび、頭痛と胃痛に襲われた。
くらくらと目眩を覚え、倒れそうになる。ヴィオレットの体を、ハイドランジアが受け止めてくれた。
「ヴィー、だから言ったのだ。こんなことなど、やらせたくはなかったのに」
「ハイドランジア様のため……なんでも、ありません、わ」
そのまま、ヴィオレットは意識を失ってしまった。




