元嫁は、魔法図書室で勤務を始める
魔法図書室は、ヴィオレットの父の書斎とは比べものにならないほど広い。
蔵書数は三十万冊ほどで、目にはみえない異空間の部屋もいくつか存在するらしい。
螺旋階段や天井にまで、本が敷き詰められている。古い本特有の臭いはなく、埃っぽさもない。空気は淀んでおらず、部屋の隅から隅まで清潔だった。
なんでも、塵や埃が発生しないような魔法がかけられているらしい。そのため、掃除をしなくてもいいようだ。使用人を図書室に入れないようにするための、対策でもある。
あまりにも広いので、ハイドランジアは図書室内の地図を広げて説明する。
「この辺りは、禁書を保管している場所だ。触れるだけで瘴気が生じる本もある。扱いは気を付けろ。一応、危険な本には、魔法陣で印を付けている」
「禁書は触れられないよう、封印がかけてありますの?」
「いや、警告用の魔法陣ではあるが、封印は特に付けていない」
ハイドランジアの答えに、ヴィオレットは目を見開く。
「わたくしが、うっかり禁書に触れて中を読み、大きな事件を起こすとか、考えませんでしたの?」
「ヴィーがそのようなことをする者ならば、司書部長に選んでいない」
「どうして、わたくしがそうであると、わかりますの?」
「ヴィーは魔法に対して、敬意を示している。そして、現代の魔法の扱いについて、熟知していた。それに反する行動に出ないだろうことは、魔法を教えている時から把握していた」
ヴィオレットの魔法に対する姿勢を、ハイドランジアはしっかり見ていたのだ。
思わぬ信頼に、頰が熱くなっていくのを感じる。そんなヴィオレットの様子に気づきもせず、ハイドランジアは話を続ける。
「実を言えば、ここの整理は十年ほど行われていない。入手した魔法書は、ここに適当に積んである」
ハイドランジアは懐から鍵の束を取り出し、その中の一本を何もないところで捻る。すると、空間が歪んで大きな二枚扉が出現した。
内部は、白塗りの壁に大理石のテーブルがあるばかりの部屋だった。そこに、千冊を超えるであろう本が、山のように積み上げられていた。すべて、魔法書らしい。
「これを、種類ごとに整理してほしい。禁書もあるから、扱いには注意してくれ」
本にうっすらと魔法陣が浮かんでいるものが、禁書らしい。それ以外の本にも、魔法のインクでカテゴリー分けがされているようだ。
「印がないものは、軽く内容を読んで、振り分けてほしい」
「わかりましたわ」
「頼んだぞ」
他にも修繕が必要な本や、翻訳が必要な本、処分する本など、仕事は多岐に亘る。それらを、ヴィオレットは一人でこなさなければならない。山のように仕事はあるが、ヴィオレットはドキドキと胸が高鳴っていた。
大好きな、魔法書に囲まれた空間で仕事ができるなんて夢のよう。仕事を任せてくれたハイドランジアには、感謝の気持ちしかない。
ハイドランジアは鍵の束をヴィオレットに託す。両手で受け取った鍵は、ドレスの腰にあるリボンに結んで吊した。
「昼食は、一緒に食べよう。なるべく、毎日」
「一介の団員が、師団長閣下と一緒に食事を取るなんて、畏れ多いですわ」
「気にするな」
「他の団員は、特定の者と一緒に食事を取っていると知ったら、面白くないのではなくて?」
「私のすることに、文句は言わせない」
「案外、独裁的ですのね」
「ヴィーのことに関しては、寛大になれないのでな。それにヴィーの魔力は、私と一緒にいないと安定しないだろう」
「そうでしたわね」
「まあ、そうでなくとも、なるべく、一緒にいたい」
だったらなぜ、離婚なんかしたのか。その答えは、すでに聞いている。ハイドランジアの寿命が刻一刻と迫っているからだ。
ハイドランジアの死後、ヴィオレットが結婚相手に困らないよう配慮した結果だ。
しかし、そんなことよりも、生涯添い遂げてくれと言ってくれたほうがヴィオレットは嬉しい。その価値が、自分にはないのか。そんなことすら、考えてしまう。
何か、ハイドランジアの死を回避できる方法はないものか。もしかしたら、ここの蔵書の中にあるのかもしれない。
「ハイドランジア様は、ここの本はすべてお読みになられたのですか?」
「いや、すべてではない。なんせ、読み切れないほどの量があるからな」
「ここの本を読みたい場合は、ハイドランジア様に申告すればよろしいの?」
「好きな本を好きなだけ読むといい」
「よろしいの、ですか?」
「もちろんだ。ただし、勤務中はダメだからな」
「はい。ありがとうございます」
ヴィオレットは深々と、頭を下げる。
ハイドランジアと別れたあとは、すぐに作業を開始した。
まず、一冊目の本を手に取る。薄紅色に着色された革張りの本だ。その本は鳥の羽根のように軽かったので、ギョッとした。
いったいなぜ、重さを感じないのか。その疑問は、背後に降り立ったガーゴイルが説明してくれた。
『あー、それ、妖精図鑑だよ。先代が中に封じていた妖精を逃がしちゃって、空っぽなんだよね』
『先代ったら、見ない振りをして、本を閉じて放置してしまったんだ』
「妖精は、どこに?」
『そう遠くへは行っていないと思う』
『魔法師団の敷地内にいると思うなあ』
本を開くと、妖精のシルエットが影のようになっていた。
不完全な状態で、本を棚に差し込むわけにはいかない。
ヴィオレットは妖精探しを決意した。




