毒づきエルフといわくつきの花嫁一家
ノースポール伯爵家の玄関が閉ざされた瞬間、転移魔法でローダンセ公爵家の私室まで戻る。
周囲に人の気配がないことを確認したあと、その場に片膝を突いた。
──何なんだ、あの生き物は!!
猫の姿をしたヴィオレットは、ハイドランジアの腕に手をかけ頬にキスをした。
あざとい、実にあざといが、嫌いではない。
もちろん、人の姿をしたヴィオレットが同じことをしたら、速攻で離れていた。
しかし今回に限っては、猫の姿だった。
猫のすることに、罪はない。ハイドランジアの中では、そうと決まっている。
ふわふわ、もこもこの感触を思い出す。素晴らしいものだった。
やはり、猫は最高だ。地上に舞い降りた、天使なのだ。
そんなことを考えつつ、魔法の鐘で家令を呼び出す。
「旦那様、御用でしょうか?」
やってきたのは、茶色い髪を整髪剤できっちり整えた、神経質そうな中年男性。名を、ヘリオトロープという家令は、眼鏡のブリッジを指先でクイッと上げながら、同時に背筋をピンと伸ばす。
「ノースポール伯爵家に、一ヶ月分ほどの薪を届けてくれ」
「薪、ですか?」
「そうだ、薪だ」
おかしな命令であったものの、ヘリオトロープはそれ以上追及せずに手帳にペンを滑らせる。
「それから、近いうちにノースポール伯爵家の、ヴィオレット嬢と結婚する」
「結婚というのは、あの結婚ですか?」
「どの結婚があるんだ。普通に婚姻を結ぶという意味に決まっている」
呪いのことを言うべきか迷った。だが、ヴィオレットが猫になることが外に広まることはよくないことだろう。
傍付きにする女性使用人に言うだけでいい。
代わりに、男性使用人は誰一人として近づかないようにと、命じておく。
ただ、もしもということもある。念のために、遠回しにワケアリだということを伝えておく。
「少々変わった娘だ。何が起きても、驚かないように」
「かしこまりました」
まず、ヴィオレットの部屋を用意し、家具やドレス、宝飾類、日用雑貨など用意するように命じた。
「ローダンセ公爵家の花嫁に相応しい、一級品を用意するように」
「仰せの通りに」
通常、これらは花嫁の実家が用意する物であるが、屋敷の様子を見る限り準備することは難しいだろう。なんせ、薪やドレスを買う金すらないのだから。
薪を買って届けるようにという命令を先に聞いたからか、ヘリオトロープが表情を変えることはなかった。
実に、優秀な家令である。
「それと、調べ物をしてほしい」
それは、ノースポール伯爵家の資産について。十年前、ハイドランジアが調べた時には、そこまで差し迫った財政状況ではなかったはずだ。
一応、シラン・フォン・ノースポールがどのような人物で、どのような家柄だということは、十年前に調べていたのだ。その時、資産については一般的な貴族、といった感じだったのだ。
代替わりをして、財政が悪化したという話はよく聞く。
その原因を、探るように命じた。
「頼んだぞ」
「御意に」
ヘリオトロープがいなくなったあと、深いため息を落とす。
翌日、ヴィオレットから手紙が届いた。薪の礼が丁寧な文字で書き綴られている──と、思いきや。手紙は家令が代筆したらしい。猫の姿から戻れず、ペンが握れなかったようだ。
最後に、署名の代わりなのか、ヴィオレットの肉球スタンプが押してあった。
見た瞬間、あまりの可愛さに悶絶してしまう。
猫大好きなハイドランジアはしばらく肉球スタンプを見つめ、心癒されていた。
◇◇◇
一週間後、ノースポール伯爵家についての調査書が届く。そこに書かれていたのは、驚くべきことだった。
十年前、ハイドランジアがシラン・フォン・ノースポールと出会う一ヵ月前に、大きな事件を起こしていたようだ。
あの、温厚でお人よしにしか見えないシランが。
なんでも、個人的に付き合いがあった商人の頭部をガラス製の灰皿で殴るという事件を起こしていたらしい。
幸い、怪我はシランが回復魔法で癒したようだが、傷痕はなくなれど恨みは残る。
シランは大金を積んで、商人に犯行を黙らせていたようだ。
なぜ、罪を償わず、隠す道を選んだのか。分からない。
汚名が広がったら、家名に傷が付くと思った故の行動なのか。
意外な事実はこれだけではない。
五年ほど前より、シランは病に侵されていたようだ。魔法師団を退職し、療養していたらしい。しかし、治療も空しく、亡くなってしまったと。
息子であるノースポール伯爵は呪い殺されたといっていたが、その点の証拠はない。
資産の使い道は、父親の治療費と商人への口止め料だったようだ。
口止め料の支払いは、代替わりをしても引き続き行われているようだ。
商人の名は──トリトマ・セルシア。あまりいい噂を聞かない、悪徳商人である。
二人の間に何が起こったのかまでは、調査の中では明らかにならなかったようだ。
知っているのは、死んだシランとトリトマ・セルシアのみ。
もしかしたら、ノースポール伯爵も把握しているのかもしれない。
やはり、あの家はいわくつきだったのだ。自らの勘を、恨めしく思う。
知らなかったら、どれだけ幸せか。
おそらく、ヴィオレットは知らないのだろう。彼女だけは、希望に満ちた綺麗な瞳をしていた。
シランやノースポール伯爵のように、影が差すことはない。
「……クソ」
毒づきたくもなる。
楽をするために結婚する道を選んだのに、逆に問題を引き寄せてしまった。
ただ、このまま見ない振りはできない。ここから先は、ハイドランジア自身が動いて調べなければならないだろう。
まずは、シランがどの禁書を読んだのか。
たぶん、本に触れた者の魔力の残滓があるはずだ。シランの魔力の色も覚えている。
深い森のような、穏やかな緑だ。回復魔法に特化した魔力の持ち主である。
明日、仕事が終わったら、禁書室に向かうことに決めた。