ヘタレエルフは、嫁の幸せを願う
ハイドランジアの発言のあと、部屋の中はシンと静まり返る。
ヴィオレットは弾かれたように立ち上がり、上からハイドランジアをジロリと睨みつけてきた。
あまりの迫力に、ハイドランジアはたじろぐ。
「旦那様、今、なんとおっしゃいましたか?」
「いや、だから、私と本当に結婚するのかと……」
美しく、聡明で、しっかり者。少々キツイ見た目をしているが、実に心優しい娘である。
ヴィオレットは何一つとして欠点のない、最高の女性だろう。
「なんというか、呪いが解けた今の状態ならば、引く手あまただろう。何も、私なんかと結婚しなくてもよいのではと、思ったのだ」
ヴィオレットの眦に、涙が浮かんでくる。瞬きをしたら、頬を伝って流れていった。
「そんな……あんなに、わたくしにさんざん口付けやら、愛やらを囁いていながら、手放そうとするなんて、ハイドランジア様なんて、大嫌い!!」
ハイドランジアはふっと笑みが零れる。その様子に、ヴィオレットは泣きながらもムッとした。
「な、何が、おかしいのです?」
「ヴィーは、嫁いできた時も、大嫌いだと言っていたなと思って」
「わ、わたくし、そんなこと言いましたか?」
「言った。最低最悪だとも」
「まったく、覚えていませんわ。本当ですの?」
「本当だとも。私はお前の兄から無理矢理話を聞くため、自白魔法を使った。兄があまりにも苦しむので、お前は私を罵った」
「ああ、そんなことが、ありましたわね」
「事実、私は人から嫌われることも多く、最低最悪だ。それは、今も変わらない」
性格や気質は、簡単に変わるわけがないのだ。
「ヴィー、怒りながら泣かないでくれ」
可愛くて、抱きしめたくなる。そんな甘い言葉は、呑み込んだ。
「どうして……わたくしを求めるような口付けなんか、したのですか? あれで、愛されていると、勘違いを、してしまいましたのよ?」
「あれは、呪いが発動しないかの確認だった」
「本当の妻になってほしいと言ったのは、嘘でしたのね」
「ヴィーの発言は一語一句覚えているが、自分の発言は記憶に残っていないな」
「無責任ですわ! そもそも、一度提出した婚姻届はどうなりますの?」
「あんなもの、陛下に頼めば破棄できる。結婚の記録も消して、何もなかったかのようにふるまうことも可能だ。よかったな、お前は、綺麗な体で新たに嫁げるのだ」
ヴィオレットはハイドランジアの股の間に膝を突き、胸を拳で打ってくる。
危うく「うっ!」と苦悶の声を上げるところだった。ヴィオレットの拳から繰り出された一撃は、強力だったのだ。
「この、結婚詐欺師! 思わせぶりエルフ! あなたなんて、大嫌い、大嫌い!」
顔を真っ赤にして、涙を流し続けながらヴィオレットは「大嫌い」だと繰り返す。
まったく説得力のない大嫌いであった。
きっと、今彼女が言う大嫌いは、大好きという意味なのだろう。
だから、ハイドランジアはヴィオレットを抱きしめて、同じ言葉を返す。
「ヴィー、私も、同じ気持ちだ」
「な、なんですって?」
「お前は、私に対する大嫌いを、大嫌いとは違う意味で言っているだろう?」
「そ、それは……」
ヴィオレットの腰から首筋までのラインを撫で、顎に手を添える。
今まで以上に真っ赤に染まった頬は、果実のようだった。
「違うか?」
「どこから、そのような自信が湧いて出てきますの?」
「ヴィーが、取り乱しているからだ」
「……」
顔を背けようとしたが、もう片方の手は頬に添える。ハイドランジアのほうをまっすぐに向かせた。
「ずっと、気にしないようにしていたのだが──……」
「なんですの?」
「我が、公爵家の寿命についてだ」
「エルフでありながら、長命種ではない、ということですの?」
「そうだ」
千年前から続くローダンセ公爵家は人と交わり、エルフとして寿命はどんどん短くなっていった。
「父は、五十年で儚くなった。人の寿命よりも、かなり短いだろう」
歴代のローダンセ公爵の享年を調べると、ここ数代は若くして亡くなっている。
「この流れからすると、私も長くは生きないだろう」
ローダンセ公爵家のエルフとしての寿命は短くなっていったが、魔力は強力なままだ。
「肉体は魔力の器だ。例えばの話だが、革袋に何年も何年も、勢いよく水が注がれ続けると、そのうち劣化して破けてしまうだろう? ローダンセ公爵家の者達は、そのような状態で生きているのだ」
上級魔法を使ったら、魔力も活性化される。ハイドランジアは邪竜との戦いのあと、以前よりずっと自身の中にある魔力が大きくなっているのを感じていた。
「つまりだ。私の命は、そこまで長くない、ということになる」
「そ、そんな……!」
もしもハイドランジアが死んだら、ヴィオレットは操を立てて再婚などしないだろう。
それでは、あまりにも不憫過ぎる。
「ヴィーには幸せになってほしいと、心から願っているのだ。だから──」
婚姻関係は破棄したほうがいいだろう。重ねて言おうとしたら、ヴィオレットの渾身の一撃がハイドランジアに被弾する。
なんと、ヴィオレットは突然「にゃあ」と鳴き、猫の姿となったのだ。




