全裸エルフと、差し伸べた手
竜は目つきをキッと鋭くさせる。すると、封印の礎となっていた水晶に亀裂が入り、散り散りとなった。
ハイドランジアは強力な結界を作る。飛んできた水晶の欠片は、氷柱のように鋭く結界に突き刺さった。
『ぐうっ!』
「ハイドランジア様!」
『私に、近づくな!』
さすが、竜の力だ。ハイドランジアは思う。
無敵の結界だと思っていたものが、いとも簡単に崩れようとしていた。
しかし、貫き通させるわけにはいかない。ハイドランジアの背後には、ヴィオレットがいるのだ。
父親が命を懸けて守ろうとした娘を、ここで死なせるわけにはいかない。
罅が入りかけている結界を、さらに強化させる。
厚く、厚く、厚く……どのような攻撃からでも、守れるように。
集中力を高め、魔力を結界に注ぎ込んだ。
しかし──。
二、三回咳き込んだ。地面にポタリ、ポタリと赤い斑点が浮かび上がる。
それは、ハイドランジアの血だった。
「ハイドランジア様!!」
今度はヴィオレットが近づき、小さな猫の体を抱きしめる。
魔法の展開中ゆえ、魔力同士が反発して弾けた。
ヴィオレットは痛みを感じているはずなのに、離そうとしない。
『ヴ、ヴィー、は、離れるんだ』
「嫌ですわ!」
『頼む……』
ここで、ヴィオレットが思いがけないことを聞いてきた。
「ハイドランジア様、人の姿であれば、全力で魔法を使えますよね!?」
『そ、そうだが』
もれなく全裸となる。しかし、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「でしたら、もとの姿にお戻しいたしますわ!」
ヴィオレットはそう言って、ハイドランジアに唇を寄せた。
体内の魔力が、カッと燃えるように熱くなる。
魔法陣が浮かび上がり、光に包まれた。そして──ヴィオレットは猫の姿となり、ハイドランジアは人の姿へと戻る。
手の中に、水晶杖が在るのを感じた。ハイドランジアは杖を握りしめ、結界を一気に強化させる。
全裸だが、気にしている場合ではない。今は、ヴィオレットを守らなければならなかった。
自身の恰好など、どうでもいい。今のハイドランジアは、何も怖くなかった。
片膝を突いた姿で、魔法を展開させる。
ハイドランジアの結界は水晶を弾き飛ばし、さらに、魔法の糸で竜を捕獲する。
竜は激しく抵抗する。眦から、血の涙を流していた。高い声で鳴く声は、慟哭のように聞こえた。
竜が鳴くたびに、地面がビリビリと震える。鼓膜が破れそうだと思うほど、耳に響いていた。
「うっ!」
『ハイドランジア様、大丈夫です!?』
「大丈夫……だが」
全裸なので、あまり近づかないでほしい。ハイドランジアは切に思う。
猫化したヴィオレットは気にすることなく、どんどん接近していた。
『わたくし、竜と話をしてきますわ』
「対話できる状態には見えんが」
『それでも、このままというわけにはまいりません』
ヴィオレットはハイドランジアの前に立ち、竜に言葉を投げかける。
『ごきげんよう。わたくしは、ヴィオレットですわ。あなたは?』
真面目に、自己紹介から入るらしい。思わず笑いそうになったが、奥歯を噛みしめて耐えた。
竜は高く鳴くばかりだ。ヴィオレットの声など届いてない。
『わたくしは、あなたの寂しさを、知りたいと思っていますの』
これには、反応を示す。竜はヴィオレットをじっと見つめる。
『これから先、わたくしは、あなたの心を守るよう努めます。だから、心を開いてくださいませんか?』
『……』
竜はただただ、ヴィオレットを見つめていた。
向けられた目からは、感情を読み取れない。
『お願いいたします』
『………………勝手だ』
『え?』
『ニンゲンは、勝手な生き物ダ』
『それは……』
否定できないのだろう。ヴィオレットは俯き、言葉を失っている。
ハイドランジアは竜の言葉に同意を示した。
「人は確かに勝手だ。私もそうだった」
次々舞い込んでくる見合いを鬱陶しく思い、ヴィオレットと結婚した。
「私は、契約結婚をした。しかし今は──」
ヴィオレットは、不安そうにハイドランジアを見上げている。
頭を優しく撫で、竜へ思いの丈を話した。
「妻を、愛している」
人は変わることができる。それを、実際に目で見て、確かめてほしい。
ハイドランジアはそんなことを竜へ語りかけた。
『あの、わたくしと、一緒にまいりませんか? あなたのことは、生涯守りますので』
『!』
竜の目つきが変わる。血の涙は止まり、ポロポロと水晶のような美しい涙が流れてきた。
ハイドランジアは結界を解き、ヴィオレットは竜に近づく。
『いきなり信じろというのは、難しいかもしれません。だからわたくしと、血の契約を、いたしましょう』
血の契約とは幻獣種に己の血を飲ませることによって、相手を裏切ることができないようにする呪いだ。
ヴィオレットは竜に、どうかと提案する。
竜はじっと、ヴィオレットを見つめるばかりだ。
ヴィオレットは肉球を噛み、血を滲ませる。それを、竜に差し出した。
竜は一瞬、戸惑いの表情を見せる。
『さあ、わたくしと、一緒に生きるのです』
その言葉が引き金になったようで、竜は首を伸ばし、ヴィオレットの血を舐めた。
魔法陣が浮かび上がり、眩しく発光する。契約は、結ばれたようだ。
ヴィオレットは金色の鱗に触れ、頬をすり寄らせていた。
その瞬間、金色の光に包まれる。
「くっ……!」
『な、なんですの!?』
光が収まると、ヴィオレットの目の前に大きな金の卵があった。
竜は、ヴィオレットとハイドランジアに身を任せると決めたようだ。
『ハイドランジア様、卵を持って帰りましょう』
ヴィオレットは金の卵を肉球でペタペタと触れながら、運ぶように要求する。
全裸状態のハイドランジアは溜息を一つ落とし、近くにあった少女のヴィオレットが着ていたブラウスを腰に巻く。
そして、卵とヴィオレットを持ち上げると、足元に魔法陣が浮かんだ。
ポメラニアンの転移魔法である。
ハイドランジアとヴィオレットは、金の卵と共に現実世界へと戻った。




