猫エルフと幼女嫁
「旦那様、とっても可愛らしいですわ!」
可愛らしくなっているのはお前のほうだと言おうとしたら、ヴィオレットは突然ハイドランジアを撫で始める。
「まあ、なんて毛並みがいいのでしょう! 現実の旦那様も、髪の毛はツヤツヤなので、きっと手触りがいいのでしょうね」
ヴィオレットの触れ方は優しい。撫でられていると、意識がぼーっとなる。
しだいにうつらうつらしてきたが、抱き上げられてハッとなった。
ヴィオレットはハイドランジアに頬擦りしながら、ポツリと呟く。
「最近、スノウワイトをこのように、ぎゅっとできていなかったのです」
『こ、子馬同様のデカさだからな』
「それはそうと、わたくしの声、少々高くありません?」
『子どもの姿になっているからな』
「え!?」
ヴィオレットはハイドランジアを膝の上に置き、自らの手を見る。
そのあと、自身の頬や肩にペタペタと触れていた。
「ほ、本当ですわ。わたくし、縮んでおります」
『ようやく気づいたのか』
さらに、何かに気づいたようで、再度ハイドランジアを抱き上げた。
「旦那様は、猫ちゃんでしたの!?」
『……? 今は、見ての通り猫だが』
「違いますわ。幼いわたくしの記憶にあった、猫ちゃんかと聞いているのです」
『それは──』
たしかに、ハイドランジアは時空転移して幼いヴィオレットと接触したことがある。そのさい、正体を隠すため猫だと名乗ったのだ。
ただ、時空転移したハイドランジアに実体はなく、トリトマ・セシリアに襲われたヴィオレットを助けることはできなかった。苦い記憶である。
「今、思いだしましたわ。あの時の猫ちゃんは、姿は見えなかったのですが、ぶっきらぼうだけど、優しい旦那様の声でした」
ヴィオレットは目線の位置までハイドランジアを持ち上げ、まっすぐ問いかける。
「あの時の猫ちゃんは、旦那様で間違いありませんよね?」
『……まあ』
「ああ、なんてことですの!」
ヴィオレットはハイドランジアを、ぎゅっと胸に抱く。
「わたくし、猫ちゃんにずっと、会いたかったのです」
『なぜだ?』
「お礼を、言いたくって」
当時のヴィオレットは孤独だった。父は忙しく、兄は寄宿学校に行っていたので屋敷におらず、母は物心ついた時にはすでにいなかった。
外出は禁じられ、友達は書庫にある魔法書のみ。
魔法にのめり込んでいるように見える幼いヴィオレットを、使用人達は奇異の目で見ていた。
「誰も、わたくしのことなんて気にしない。友達なんて、一生できないと思っていました。そんな中、あなたが、猫ちゃんが来てくれて……嬉しかった」
『ヴィオレット……』
「あの時、約束をしましたよね?」
『約束?』
「わたくしを、愛称で呼ぶように、と」
『……』
ヴィオレットが家族にだけ許していた愛称──ヴィー。
ハイドランジアはヴィオレットから顔を背ける。あれは、姿が見えていなかったから言えたのだ。今、こうして向き合った姿で言うのはとても恥ずかしい。
「旦那様、わたくしを愛称で呼ぶのは、嫌?」
『い、嫌ではない』
「本当ですの?」
『ああ。まったく、これっぽっちも嫌だとは思っていない』
「でしたら、ヴィーと呼んでください」
『……』
「旦那様!」
『………………』
「旦那様、やっぱり、嫌ですの?」
『ち、違うッ』
息を大きく吸い込んで、はく。腹を括って、ヴィオレットを愛称で呼んだ。
『…………ヴィー』
「はい!」
ヴィオレットは実に嬉しそうに、返事をした。
死ぬほど恥ずかしいが、これでよかったのだろう。ヴィオレットは弾けるような笑顔を浮かべている。
「あの……旦那様のことは、これからお名前でお呼びしてもよろしいですか?」
『別に、構わないが』
父親が亡くなった今、誰も呼ばない名前となっている。もう何年も、呼びかけられていない。ポメラニアンが名を口にしていたような気もするが、精霊はノーカウントだ。
「では、ハイドランジア様、とお呼びしますね」
『……』
尻尾がピンと立ち、毛がぶわりと逆立つのが、自分でもわかった。
ヴィオレットがハイドランジアの名を口にした。それは、大事件である。
魔法使いにとって、名前は重要なものだ。力ある相手に名を呼ばれると、魔力が震える。
今、ハイドランジアはそれを実感していた。
『う……』
「大丈夫ですの!?」
『……』
「ハイドランジア様!?」
言えない。
名前を呼ばれて、興奮してしまったなどとは。
こんなことなど、初めてだった。
骨抜きにされるという感覚を、ハイドランジアは初めて知った。
「こんなにくたくたになって、猫の姿を維持するのが、苦しいのですね」
ヴィオレットはハイドランジアをさらに抱きしめ、背中を優しく撫でる。
心地よいけれど、苦しい。異なる二つの感情に、ハイドランジアは苦しめられる。
『うううう…………!』
「ハイドランジア様、お可哀想に!」
ヴィオレットが懸命に抱きしめ、名前を呼ぶほど症状が悪化している。
このままではいけない。
酩酊状態のようになったハイドランジアは、身をよじってヴィオレットの胸から脱出する。
千鳥足のハイドランジアを見たヴィオレットは、眦に涙を浮かべていた。
「ああ、ハイドランジア様……!」
『すまない。少ししたら、よくなる。そこで、大人しく──』
「わかりましたわ!」
ヴィオレットは身を屈め、猫の姿のハイドランジアと視線を同じくした。
『な、何が、わかったのだ?』
「わたくしとキスをすれば、ハイドランジア様はもとのお姿に戻れるはず!」
ヴィオレットが止めを刺しにきた──ハイドランジアは瞬時に悟った。




