戯れエルフと竜の精神世界
ハイドランジアはヴィオレットの残り香をかいでいたと悟られないよう、ぎゅっとポメラニアンを抱きしめる。
ポメラニアンは足をピンと張って、ハイドランジアの胸を押し距離を取ろうとしていた。
そんな二人を、バーベナが目を丸くしながら見ている。
「あらあら、旦那様、珍しいですね。そうやって、ポメラニアン様をお抱きになっているのは、初めて見た気がします」
「実を言うと、私達は、昔から仲良しなのだ」
そんなことはないと訴えるように、ポメラニアンは「ウウ~~!」と力強く唸っていた。
「旦那様、その、言いにくいことなのですが、ポメラニアン様は嫌がっているように見えます」
「そんなことはない。私とポメラニアンは、心の友だ。ただ、まあ、こう抱いていると、毛が抜けるな。放そう」
床にポメラニアンを置くと、弾丸のように部屋から飛び出していった。ハイドランジアはすぐさま、ヴィオレットにあとを追うように頼む。
バーベナと二人きりとなり、ハイドランジアはこの場を取り繕うように呟く。
「あいつは……恥ずかしがり屋なのだな」
そういうことに、しておいた。
「それで、旦那様はそこで何を?」
ポメラニアンを可愛がっていたことは、理由にならないようだ。バーベナの追及は続く。
困り果てたハイドランジアは、奥の手を使うことにした。
「ここは私の家だ。私がどこにいて、何をしようが私の勝手だ!」
「それはまあ、そうですね」
バーベナは納得してくれた。内心、ホッとする。
ハイドランジアはおもむろに立ち上がり、バーベナに言葉をかけた。
「私とヴィオレットは、今から出かけてくる。もしも、私が戻らなかった場合は、ヴィオレットのことは頼んだぞ」
「旦那様、それは──いいえ。私が訊ねていいことではないですね。かしこまりました。奥様のことは、お任せください」
「今まで、苦労をかけたな」
「なんですか。もうお会いできないみたいなことをおっしゃって」
「そうだな」
ハイドランジアはバーベナの肩を叩き、ヴィオレットの寝室から出る。
なんとかいい感じの会話をして、この場から逃げることに成功した。
◇◇◇
ローダンセ公爵家の地下にある、儀式の間で竜の精神世界に入る準備が行われていた。
ヴィオレットは緊張の面持ちでいる。しっかりと、紅玉杖を抱いていた。ハイドランジアも、不測の事態に備え、水晶杖を携えている。
ポメラニアンは先ほどから、結界を作っていた。
魔法陣の中心にいるのは、幻獣スノウワイト。
幻獣の魔力を結界の要にしているようだ。ヴィオレットに大人しく座るよう命じられているので、微塵たりとも動かない。
「それにしても、スノウワイト、大きくなったな」
「ええ。今は小馬くらいの大きさでしょうか?」
最終的には、馬とおなじくらいの大きさまで成長する。
それにしても、猫は大きくても小さくても可愛らしい。世界でもっとも可愛いと、ハイドランジアは絶賛する。
否──その考えはすぐさま修正された。
「旦那様、何を考えていますの」
首を絶妙な角度にしながら、ヴィオレットが問いかけてくる。
話をしている間も、ハイドランジアが贈った紅玉杖を大事そうに胸に抱いていた。
世界でもっとも可愛いのは、ヴィオレットだ。猫はその次である。
ハイドランジアは満足げに頷いていた。
「その頷きはなんですの? 質問の答えになっていませんわ」
『その男は、今晩の夕食について考えておるのだ。放っておけ』
「まあ、そうでしたのね」
ポメラニアンが微妙な助け船を出してくれた。
夕食について考えていると聞いたヴィオレットは、小さな鞄に入れていた飴玉を取り出す。
「旦那様、お腹が空いた時は、こちらをどうぞ。チョコレートのほうがいいですか?」
「いや……ありがとう」
飴を受け取り、懐にしまった。
ポメラニアンをジロリと睨んだが、「ザマーミロ」とばかりに舌を出している。
ヴィオレットとスノウワイトがいなかったら、取っ組み合いの喧嘩になっていただろう。
『準備ができた。ヴィオレット、お前も魔法陣の中心で横になれ』
「ええ、わかりましたわ」
ヴィオレットはスノウワイトを枕にする形で、魔法陣の上に横たわる。
ポメラニアンが呪文を唱えると、一瞬で深い眠りに落ちたようだ。
精神世界に介入する術式は、すぐさま完成した。
『おい、準備はいいか?』
「むろんだ」
ハイドランジアは水晶杖を手にしたまま、片膝を突く。そして、ポメラニアンが詠唱を始めると、すぐさま意識が遠のいていった。
◇◇◇
──そこは、黒一色の森だった。地面も、木々も、空さえも黒い。
真っ黒なのに、不思議と視界は鮮明だ。暗闇とは違う暗さなのだろう。
ここが、ヴィオレットの中に存在する竜の精神世界だった。
「う、ううん……」
すぐそばで、声が聞こえた。幼い少女のものだった。
ハイドランジアはぎょっとする。横たわっていたのは、幼少期のヴィオレットだった。
『お、おい。大丈夫か!?』
「ん……旦那様?」
『そうだ、私だ』
喋っているうちに、ハイドランジアは違和感を覚える。
声が、おかしい。妙な感じに響いているのだ。
喉に手を当てようとしたら、自らの手に驚く。それは、丸みを帯びた猫の手だった。
起き上がったヴィオレットは、ハイドランジアのほうをみて瞠目している。
「あの、だ、旦那様!?」
『なんだ?』
「ね、猫ちゃんに、なっていますわ!」
『!?』
お前は幼い少女になっているがな。と、返す余裕はなかった。




